2019年12月9日月曜日

青空が気持ちいい(^^)v

今朝は、風が冷たいなと思っていたのですが
青空で風がやむと暖かかったです。
カリンの実が汗(?)をかいているみたいだけど
汗をかくほどは暑くなかったなぁ…(^_-)

フィンランドで34歳の女性首相、誕生へ。母親と同性パートナーに育てられた経験も語る」(伊吹早織 BuzzedFeed)
記事を読むと、ニュージーランドの首相などもそうなんだけど日本との政治意識の格差を感じる。
日本の政権が長期になっているって、まるでロシアや中国みたいだなあと思う。
“多様性”のある社会へ ニュージーランド首相インタビュー」(NHK)

今日9日は夏目漱石の忌日[1946(大正5)年49歳]
Web版 夏目漱石デジタル文学館

2011年に心筋梗塞を発症し長い入院生活の中で(7月31日~9月13日)
夏目漱石を読み改めて凄いなと思いました。
読んだ本の中で『三四郎』の解説を転記したいと思いますφ(..)
原文は旧漢字ですが、新漢字に改めています。
行替えも原文通りではありません。
(「『三四郎解説 小宮豊隆 昭和31年5月3日」より)

(前略)

 三四郎が九州の田舎から東京へ来る汽車の中で、向ひ側に坐つた爺さんが「一体戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価(しよしき)は高くなる。こんな馬鹿気たものはない。世の好い時分に出稼ぎなどゝ云ふものはなかつた。みんな戦争の御蔭だ。……」など言つてゐるのを聞く。
名古屋で乗り換へた汽車の中では、三四郎は廣田先生から、「御互は憐れだなあ。こんな顔をして、こんなに弱つてゐては、いくら日露戦争に勝つて、一等国になつても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相応の所だが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない」と言つて聞かされる。
それに対して三四郎が、「然し是からは日本も段々発展するでせう」と、抗議するやうな弁護するやうなことを言ふと、廣田先生はすました顔で、たつたひとこと「亡びるね」と答へる。
さうして廣田先生は更に言葉を次いで、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。……日本より頭の中の方が広いでせう。囚われちや駄目だ。いくら日本の為を思つたつて贔屓の引倒しになる許だ」と言ふ。
(『漱石全集 第七巻 三四郎(全35巻)』新書版 岩波書店 1956年)
 これは、日露戦争が終つて三年目、戦勝に酔つていい気になつてゐた日本人に対して、漱石の発した痛烈な警告である。
これに似た警告を漱石は、既に『猫』の中にも書いてゐる。
又この主意を更に詳しく敷衍したものが、翌年の『それから』の中に出て来る。
なほ二年を隔てて明治44年(1911)の夏、漱石が関西でした講演の『現代日本の開化』では、この問題が、更にまともに採り上げられる。
(後略)

(「注解」より)
物価(しょしき) 諸式または諸色の意味を取って字を当てたもの。
「しょしき」の原義はよろずの品々で、転じて物価を言う。
(『漱石全集 第七巻 三四郎(全35巻)』新書版 岩波書店 1956年)
 「医師の中村哲さん 福岡空港に到着 多くの人が出迎え 死を悼む」(NHK)

皇后さま 56歳に 中村哲さんの死去に「とても残念」”(NHK)

皇后陛下お誕生日に際し(令和元年)」(宮内庁)

首相はTwitterで中村さんのことを何にも発信していないけど…
今の首相になって日本人がテロの標的になることが増えたと思っています。

安田菜津紀さんのTwitter(12月4日)

「どこの国から来たんだ?」取材中、シリアから逃れてきた人々に尋ねられ「日本だ」と答えると、歓迎されることが多々あった。
日本は攻撃を加えない国だから、と。
けれども今、そんな私たちの”強み"が揺らいでいないだろうか。
中村さんはいつも、そんな警鐘を鳴らしていた。

太宰治の『十二月八日』の続きを転記しますφ(..)
 主人の変な呟きの相手にはならず、さつさと起きて雨戸をあける。
いいお天気。
けれども寒さは、とてもきびしく感ぜられる。
昨夜、軒端(のきば)に干して置いたおむつも凍り、庭には霜が降りてゐる。
山茶花が凛と咲いてゐる。
静かだ。
太平洋でいま戦争がはじまつてゐるのに、と不思議な気がした。
日本の国の有難さが身にしみた。
(『太宰治全集 第五巻』筑摩書房 昭和51年)
 井戸端へ出て顔を洗ひ、それから園子のおむつの洗濯にとりかかつてゐたら、お隣りの奥さんも出て来られた。
朝の御挨拶をして、それから私が、
「これからは大変ですわねえ。」
 と戦争の事を言ひかけたら、お隣りの奥さんは、つい先日から隣組長になられたので、その事かとお思ひになつたらしく、
「いいえ、何も出来ませんのでねえ。」
 と恥づかしさうにおつしやつたから、私はちよつと具合がわるかつた。
 お隣りの奥さんだつて、戦争の事を思はぬわけではなかつたらうけれど、それよりも隣組長の重い責任に緊張して居られるのにちがひない。
なんだかお隣りの奥さんにすまないやうな気がして来た。
本当に、之からは、隣組長もたいへんでせう。
演習の時と違ふのだから、いざ空襲といふ時などには、その指揮の責任は重大だ。
私は園子を背負つて田舎に避難するやうな事になるかも知れない。
すると主人は、あとひとり居残つて、家を守るといふ事になるのだろうが、何も出来ない人なのだから心細い。
ちつとも役に立たないかも知れない。
本当に、前から私があんなに言つてゐるのに、主人は国民服も何も、こしらへてゐないのだ。
まさかの時には困るのぢやないかしら。
不精なお方だから、私が黙つて揃へて置けば、なんだこんなもの、とおつしやりながらも、心の中でほつとして着て下さるのだらうが、どうも寸法が特大だから、出来合ひのものを買つて来ても駄目でせう。
むづかしい。
 主人も今朝は、七時ごろに起きて、朝ごはんも早くすませて、それから直ぐにお仕事。
今月は、こまかいお仕事が、たくさんあるらしい。
朝ごはんの時、
「日本は、本当に大丈夫でせうか。」
 と私は思はず言つたら、
「大丈夫だから、やつたんぢやないか。かならず勝ちます。」
 と、よそゆきの言葉で答へになつた。
主人の言ふ事は、いつも嘘ばかりで、ちつともあてにならないけれど、でも此のあらたまつた言葉一つは、固く信じようと思つた。
 ラジオは、けさから軍歌の連続だ。
一生懸命だ。
つぎからつぎと、いろんな軍歌を放送して、たうとう種切れになつたか、敵は幾万ありとても、などといふ古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。
放送局の無邪気さに好感をもつた。
私の家では、主人がひどくラジオをきらひなので、いちども設備した事はない。
また私も、いままでは、そんなにラジオを欲しいと思つた事は無かつたのだが、でも、こんな時には、ラジオがあつたらいいなあと思ふ。
ニユウスをたくさん、たくさん聞きたい。
主人に相談してみませう。
買つてもらへさうな気がする。
(『太宰治全集 第五巻』筑摩書房 昭和51年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ハクセキレイのバトルです。
縄張り争いか?メスの取り合いか?