2019年12月19日木曜日

晴れていたのに…

天気予報では晴れで、公園に着いたときも晴れていたのに
途中で曇り空になりました。
昨夜の 又吉直樹のヘウレーカ!
オススメ!京都の新名所は鴨川の“橋”!?
見ていて、
四条大橋は、旧橋を撤去し1942年(昭和17年)に架け替えられています。
年表 1928-1947」(京都市上京区)を見ると分かるのですが
この時代に橋が壊れてもいないのに
金属拠出強制の情勢によくできたものだとビックリしました。
また、ある橋で高橋良和京都大学教授が「防災の暴力」という言葉を使っておられた。
人間の力で災害を完全に防ぐことは無理なことだと思っています。
例えば、東日本大震災の後、津波から住民を守るということで
防波堤を高くしたために台風19号によって浸水が起きてしまっている。
前から思っているのは防波堤を高くするよりも
高台にすぐ避難できる直線の道路などを作った方が理にかなっていると思うのだけど…

台風19号で津波対策の堤防障害に 岩手・山田で水せき止め70戸超被害 「人災」住民から批判〟(河北新報 2019年10月17日))
昨日のニュースで天皇ご一家が
この世界の(さらにいくつもの)片隅に」をご覧になったことが報道されていました。
いよいよ明日から上映ですね(^^)v

天皇ご一家 映画のチャリティー試写会に出席」(NHK)

 片渕須直さんのTwitter

実は、皇后陛下に、すずさんと晴美ちゃんのフィギュアを差し上げてしまいました。
すずさんたちのことをずっとご記憶いただけるといいな、と思いまして。

 『アジアの民話』から「チャウ・マージャのとんち」を転記しますφ(..)
読んでいて似た話があったなと思いました。
チャウ・マージャのとんち
 むかし、たいそうとんちのある人がいた。
チャウ・マージャというその名は村に知れわたっていた。
村人たちは、こまったことがおこるといつもチャウ・マージャを呼んでくる。
チャウ・マージャなら、どんなことでもおとくいのとんちで、うまく解決してくれるからだ。
(『アジアの民話』文・君島久子 絵・太田大八 講談社 昭和57年)
 さて、ある日のこと、あかんぼうをつれた母親が、川べにやってきた。
母親は川原のきれいな砂の上に、あかんぼうをすわらせ、少しはなれた川の流れのところへ行って、子どものきものを洗いはじめた。
 すると、いつのまにかこっそりとあかんぼうに近よった女がいた。
女はひょいとあかんぼうをだきあげると、足音をしのばせて立ちさって行った。
 せんたくをすませて、母親がふりかえって見ると、子どもがいない。
あわてて見まわすと、ずっと川下の方の道を、子どもをだいて逃げて行くではないか。
「あっ、わたしの子どもを!」
 母親はむちゅうで追いかけた。
女はどんどん逃げて行く。
母親もどんどん追いかけた。
しばらくたって、やっと追いつくと、「かえして! わたしの子どもを!」とさけんだ。
女はふりかえると、すました顔で言った。
「まあ、なんですって。これは、わたしの子どもだよ」
「とんでもない。わたしの子です」
「なにを言ってるの。わたしのだよ」
「かえして」
「いやだよ。うるさいね」
 このさわぎに人びとが集まってきた。
こまったことに、そこはもう知らない村にきていたのだ。
あかんぼうがこの母親の子どもであることをだれも知ってはいない。
「そうだ。チャウ・マージャさまを呼んでこよう。あのかたにおさばきをつけてもらうのだ」
「そうだ、それがいい」
 村の人たちはそう言って、チャウ・マージャを呼んできた。
チャウ・マージャがやってくると、あかんぼうをだいた女がかけよりながら言った。
「マージャさま、お願いです。この女がわたしの子どもをぬすもうとしたのです。この女はきちがいです」
「いいえ、これはわたしの子どもです。本当です」
 マージャはふたりをじっと見つめていたが、「よし、よし」と言って、地面に輪を書いた。
そして、そのまん中にあかぼうをすわらせると、輪の外がわに母親と女を向かいあわせに立たせた。
「いいかね。わたしが合図をしたら、このあかんぼうをうばい合うのだ。うばいとった者が勝ちじゃ」
 マージャはさっと手を上げて合図をした。
ふたりは同時に、ぱっと子どもにしがみついた。
ひとりが体をだくと、ひとりが足を持ちあげた。
ふたりが子どもをひっぱり合うと、あかんぼうは、わっと大声で泣きだした。
その声でひとりがはっと手をはなしてしまった。
それは母親のほうだった。
あかんぼうがかわいそうでたまらなかったからだ。
女はぐいとあかんぼうを自分のほうへ引きよせると、勝ちほこったようにこう言った。
「ほうら、やっぱりこの子はわたしのものだよ」
 そして火のついたように泣きさけんでいるあかんぼうをかかえて歩きだした。
「こら、まて!」
 マージャがきびし調子で言った。
「その子はおまえのものじゃないぞ。おまえには母親の心がなかった。子どもをかわいそうだと思う心がないのは、本当の母ではないからだ」
 マージャはあかんぼうをとりかえすと本当の母親にわたした。
「この子はあなたのものですぞ」
 これを見て、みんなは手をたたいてよろこんだ。
  (ダイ族、作家協会昆明分会編 「雲南各族民間故事選」より)
(『アジアの民話』文・君島久子 絵・太田大八 講談社 昭和57年)
今朝の父の一枚です。
ポツポツと咲いているのはフユザクラだと思います。
母とこのサクラを見た時はビックリしていました。
そして咲くのを楽しみにするようになりました。