今日は、昼からやってきました。
着いたときは曇っていて、朝は晴れていたのにと思ったけど
やがて晴れてきて途中で一枚脱ぐほどでした…
ピアニストでパナソニックの執行役員をされている小川理子さんは
音響関係の仕事で関連性があるのだけど
川上敦子さんは、建築会社の社長をされているのでビックリです。
「女性ピアニスト 建設会社の社長になる」(NHK)
暑いなぁ…と空を見上げると面白い雲がいっぱい浮んでいました(*´▽`*)
こういう時は広角レンズを持ってくればと思うのですが…
(街歩きでは24mmの単体レンズです)
太宰治の『十二月八日』の続きを転記しますφ(..)
おひる近くなつて、重大ニユウスが次々と聞えて来るので、たまらなくなつて、園子を抱いて外に出て、お隣りの紅葉の木の下に立つて、お隣りのラジオに耳をすました。
マレー半島に奇襲上陸、香港攻撃、宣戦の大詔、園子を抱きながら、涙が出て困つた。
家へ入つて、お仕事最中の主人に、いま聞いて来たニユウスをみんなお伝へする。
主人は全部、聞きとつてから、
「さうか。」
と言つて笑つた。
それから、立ち上つて、また坐つた。
落ちつかない御様子である。
(『太宰治全集 第五巻』筑摩書房 昭和51年)
お昼少しすぎた頃、主人は、どうやら一つお仕事をまとめたやうで、その原稿をお持ちになつて、そそくさと外出してしまつた。
どうも、あんなに、そそくさと逃げるやうに外出した時には、たいてい御帰宅がおそいやうだ。
どんなにおそくても、外泊さへなさらなかつたら、私は平気なんだけど。
主人をお見送りしてから、目刺(めざし)を焼いて簡単な昼食をすませて、それから園子をおんぶして駅へ買ひ物に出かけた。
途中、亀井さんのお宅に立ち寄る。
主人の田舎から林檎をたくさん送つていただいたので、亀井さんの悠乃(ゆの)ちやん(五歳の可愛いお嬢さん)に差し上げようと思つて、少し包んで持つて行つたのだ。
門のところに悠乃ちやんが立つてゐた。
私を見つけると、すぐにばたばたと玄関に駆け込んで、園子ちやんが来たわよう、お母ちやま、と呼んで下さつた。
園子は私の背中で、奥様や御主人に向かつて大いに愛想笑ひをしたらしい。
奥様に、可愛い可愛いと、ひどくほめられた。
御主人は、ジヤンパーなど召して、何やらいさましい恰好で玄関に出て来られたが、いままで縁の下に蓆(むしろ)を敷いて居られたのださうで、
「どうも、縁の下を這いまはるのは敵前上陸に劣らぬ苦しみです。こんな汚い恰好で、失礼。」
とおつしやる。
縁の下に蓆などを敷いて一体、どうなさるのだらう。
いざ空襲といふ時、這ひ込まうといふのかしら、不思議だ。
でも亀井さんの御主人は、うちの主人と違つて、本当に御家庭を愛していらつしやるから、うらやましい。
以前は、もつと愛していらつしやつたのださうだけれど、うちの主人が近所に引越して来てからお酒を呑む事を教へたりして、少しいけなくしたらしい。
奥様も、きつと、うちの主人を恨んでいらつしやる事だらう。
すまないと思ふ。
亀井さんの門の前には、火叩きやら、なんだか奇怪な熊手のやうなものやら、すつかりととのへて用意されてある。
私の家には何も無い。
主人が不精だから仕様が無いのだ。
「まあ、よく御用意が出来て。」
と私が言ふと、御主人は、
「ええ、なにせ隣組長ですから。」
と元気よくおつしやる。
本当は副組長なのだけれど、組長のお方がお年寄りなので、組長の仕事を代りにやつてあげてゐるのです、と奥様が小声で訂正して下さつた。
亀井さんの御主人は、本当にまめで、うちの主人とは雲泥の差だ。
お菓子をいただいて玄関先で失礼した。
それから郵便局に行き、「新潮」の原稿料六十五円を受け取つて、市場へ行つてみた。
相変らず、品が乏しい。
やつぱり、また、烏賊(いか)と目刺を買ふより他は無い。
烏賊は二はい、四十銭。
目刺、二十銭。
市場で、またラジオ。
重大ニユウスが続々と発表せられてゐる。
比島、グワム空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。
全身が震へて恥づかしい程だつた。
みんなに感謝したかつた。
私が市場のラジオの前に、じつと立ちつくしてゐたら、二、三人の女のひとが、聞いて行きませうと言ひながら私のまはりに集まつて来た。
二、三人が、四、五人になり、十人ちかくなつた。
市場を出て主人の煙草を買ひに駅の売店に行く。
町の様子は、少しも変つてゐない。
ただ、八百屋さんの前に、ラジオニユウスを書き上げた紙が貼られてゐるだけ。
店先の様子も、人の会話も、平生とあまり変つてゐない。
この静粛が、たのもしいのだ。
けふは、お金も、すこしあるから、思ひ切つて私の履物を買ふ。
こんなものにも、今月から三円以上二割の税が附くといふ事、ちつとも知らなかつた。
先月末、買へばよかつた。
でも、買いひ溜めは、あさましくて、いやだ。
履物、六円六十銭。
ほかにクリイム、三十五銭。
封筒、三十一銭などの買ひ物をして帰つた。
帰つて暫くすると、早稲田の佐藤さんが、こんどは卒業と同時に入営と決定したさうで、その挨拶においでになつたが、生憎、主人がゐないのでお気の毒だつた。
お大事に、と私は心の底からのお辞儀をした。
佐藤さんが帰られてから、すぐ、帝大の堤さんも見えられた。
堤さんも、めでたく卒業なさつて、徴兵検査を受けられたのださうだが、第三乙とやらで、残念でしたと言つて居られた。
佐藤さんも、堤さんも、いままで髪を長く伸ばして居られたのに、綺麗さつぱりと坊主頭になつて、まあほんとうに学生のお方も大変なんだ、と感慨が深かつた。
夕方、久し振りで今(こん)さんも、ステツキを振りながらおいで下さつたが、主人が不在なので、じつにお気の毒に思つた。
本当に、三鷹のこんな奥まで、わざわざおいで下さるのに、主人が不在なので、またそのままお帰りにならなければならないのだ。
お帰りの途々、どんなに、いやなお気持だらう。
それを思へば、私まで暗い気持になるのだ。
(『太宰治全集 第五巻』筑摩書房 昭和51年)