2019年11月8日金曜日

昨日にくらべて寒いのは…

今日は「立冬
国立公文書館のTwitterに藤原俊成(としなり)の和歌が紹介されていました。

をきあかす秋の別の袖の露霜こそむすべ冬やきぬらん

安倍首相など風刺 ウィーン芸術展 日本大使館が公認撤回」(11月7日 NHK)
最近、こんなニュースが多いですね…
日本も中国並みになってきましたね。
ただ違うのは、香港の若者たちのように声をあげる人が少ないことかな?
中国は香港の若者を反政府勢力として敵視しているようで
中国 NBAの放送停止に 香港支援の投稿に反発」(NHK 10月9日)
日本も中国と言論の不自由という点では並びましたね。

こんな状況だから
やまぬ安倍首相のヤジ 今年だけで不規則発言20回超「民主主義の危機」〟(毎日新聞 11月7日)
首相が、うんざりするほど失言や失態を繰返しても居座り続けることができるのは、
三原じゅん子氏

皆様、コメントが凄いことになってますね~(笑)
では、正確に申し上げましょう。
政権を握っているのは総理大臣だけですよ。


と、ご教示してくださっているように
すでに「憲法改悪」がなされているからなんだな。
知らなかったな…
こんな日本だから
昨日の記事で『ブッダ最後の旅』より「第四章 〔16、鍛冶工チュンダ〕」を転記しました。
今日はその続き「第四章 17 臨終の地をめざして――プックサとの邂逅」を転記しますが
前半の「プックサとの邂逅」を省略して、後半を転記しますφ(..)
 第四章 17 臨終の地をめざして――プックサとの邂逅
(…省略…)
 「さてアーナンダよ。今夜最後の更(こう)にクシナーラーのウパヴァッタナにあるマッラ族の沙羅林の中で二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間で修行完成者の完全な死が起こるであろう。
  さあ、アーナンダよ、われわれはカクッター河へ行こう。」
  「かしこまりました」と若き人アーナンダは、尊師に答えた。
   プックサは、つやつやした柔かい金色の一対の衣をもって来させた。
   師はこれを見に着けて金色に輝いた。
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)
 そこで尊師は多くの修行僧とともにカクッター河に赴いた。
赴いてカクッター河につかり、浴し、また飲んで、流れを渡り、マンゴー樹の林に赴いた。
赴いてから若き人チュンダカに告げた。
  「チュンダカよ。どうか、お前はわたしのために外衣を四つに折って敷いてくれ。チュンダカよ。わたしは疲れている。わたしはよこになりたい。」
  「かしこまりました」と、若き人チュンダカは尊師に答えて、上衣を四重にして敷いた。
 そこで尊師は右脇を下につけて(右)足に(左)足をかさねて、獅子のように臥し、(しばらくたってから後にまた)立ち上がろうという思いをなして、注意して、心に念じよく気をつけておられた。
若き人チュンダカはそのまま尊師の前に坐ていた。
  ブッダは、水の清く快く澄んでいるカクッター河におもむいたが、
  師は体が全く疲れ切って、
  流れにつかった。――世に比ぶべき者のない完き人であったが。
  師は沐浴しまた飲んで、(流れを)渡り、
  修行僧の群れの中にあって先頭に立って行った。
  この世で諸々の法を説く師・尊師・偉大なる仙人は、
  マンゴーの林に近づいて、
  チュンダカという名の修行僧に告げた。――
  「わがために(衣を)四つに折って敷けよ。わたしはよこになりたい」と。
  かれチュンダカは、修養をつんだ人(=釈尊)にうながされて、
  たちどころに(外衣を)四つに折って敷いた。
  師は全く疲れ切ったすがたで、臥した。
  チュンダカもそこに(釈尊の)前に坐した。
 そこで尊師は若き人アーナンダに告げられた。
 「誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない、――<友、チュンダよ。修行完成者はお前の差し上げた最後のお供養の食物を食べてお亡くなりなったのだから、お前には利益(りやく)がなく、お前には功徳が無い>と言って。
<友よ。修行完成者は最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを、わたしは尊師からまのあたり聞き、うけたまわった、――この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。その二つとは何であるか? 修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、おようび、(このたびの)供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。鍛冶工の子である若き人チュンダは寿命をのばす業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは容色をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは幸福をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは名声を増す業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは天に生れる業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは支配権を獲得する業を積んだ>と。
 アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言ってとり除かれねばならぬ」と。
 そこで尊師は、その趣意を知って、そのときこの感興のことばを述べられた。――
  「与える者には、功徳が増す。
  身心を制する者には、怨みのつもることがない。
  善き人は悪事を捨てる。
  その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた」と。
    アーラーラの物語を含む第四章 終る
(訳注より)
 <友よ。……業を積んだ>――以上のことばは、チュンダが「自分の供養した食物で釈尊は亡くなった」と思って悲しんだり、また他の人々がそのように言ってチュンダを非難するかもしれないので、それを防いで、このように言ったのである。
ここに人間ゴータマの温かい思いやりが見られる。
すなわち、チュンダのささげた食物によって釈尊は中毒したのであるから、『誰かが鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない。』と思って、かれに心配させないように次のように言え、と伝えさせた。
――「二つの供養の食物に最上の功徳がある。それは、さとりを開いた直後に供養された食物と、チュンダが供養した食物とである。」と。
みずからは苦痛に悩みながらも、チュンダのことを気づかっていたのである。
チュンダをかばう思いやりが見られる。
ゴータマ・ブッダは思いやりの深い人であった。
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)
 ところで、仏陀の死因については、鍛冶職人だったチュンダという人が仏陀に捧げた肉が腐っていて、それを食べたためだとする説もあります。
仏教といえば肉食を禁止していると考えられがちですが、じつに仏陀は、一定の制約はありましたが、捧げられたものは拒否せずに食べることにしていたようです。
現在でも、たとえば、タイの僧侶たちは捧げられたものであれば肉も食べています。
(『仏教入門 岩波ジュニア新書322』松尾剛次 岩波書店 1999年)