2019年11月10日日曜日

半袖の人も…

今朝も青空が広がり風もなく暖かい。
私よりかなり年配の方が半袖姿で、かなり早足で歩いておられました。
その方が私を追い抜く時に「撮影に忙しいでしょう?」と尋ねられました。
時々、「いい写真が撮れましたか?」などと聞かれます。
以前から写真を趣味にしていてよかったなと思うのは
被写体(なんでもいい)を探して歩くのでゆっくり歩ける。
花や虫たちなどで季節の移り変わりを楽しめることです。
野鳥など専門に撮影されている方とは意気込みが違うので
メモ程度の写真しか撮れていません(^^ゞ
一瞬の出会いでしたがキクイタダキに出会えました。
菊といえば今日は、
即位祝賀パレード「祝賀御列の儀」〟(NHK)
3時からテレビの音量を下げて見ていました(^_-)-☆
雅子さまの笑顔を見るとホッとします!
美智子さまも週刊誌などでパッシングを受けられたことがある。
その時に声がでなくなるという大変な思いをされた。
雅子さまを天皇陛下が上皇さまのように守っておられるのだろうと
お二人の姿をみていて思う。
コゲラなどのキツツキは木に穴をあけて
樹をだめにすると勘違いされがちですが
キツツキが突くのは弱った樹木や枯れ枝などで、その中に害虫が産卵する。

今、世界では「排他主義・差別主義」などという怪物が席巻し巣くっている。
昨日は、ベルリンの壁崩壊30年。
シュタインマイヤー大統領が演説で、
ドイツ社会を分断する「新たな壁」が生まれていると指摘して、
市民に「取り壊そう」と訴えました。
ベルリンの壁崩壊30年 ドイツで記念行事」(NHK)
昨日の記事で『論語』の「為政」から転記しましたが、
今日は「先進」から紹介したい章があります。
初めに、宮崎市定氏の「訓読み」と「新訳」を転記しますφ(..)
先進第11 278
(訓読み)
子路(しろ)、曾晳(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、侍坐(じざ)す。
子曰く、吾れ一日爾(なんじ)に長ずるを以て、吾れを以てする毋(なか)れ。
居りては即ち曰く、吾れを知らざるなり、と。
如し爾を知るものあらば、即ち何を以てせんや。
子路、卒爾(そつじ)として対(こた)えて曰く、千乗の国、大国の間に摂(はさ)まれ、これに加うるに師旅を以てし、これに因るに饑饉(ききん)を以てす。
(ゆう)やこれを為(おさ)め、三年に及ぶ比(ころ)おい、勇ありて且(か)つ方を知らしむべきなり。
夫子、これを哂(わら)う。
求、爾は何如(いかん)
対えて曰く、方、六、七十、如しく五、六十、求やこれを為め、三年に及ぶ比おい、民を足らしむべし。
其の礼楽の如きは、以て君子を俟(ま)たん。
(せき)、爾は何如。
対えて曰く、これを能くすると曰うには非ず。
願わくはこれを学ばん。
宗廟の事、如しくは会同に、端章甫(たんしょうほ)して、願わくは小相と為らん。
(『現代語訳 論語』宮崎市定 岩波現代文庫 2000年)

( 求=冉有、 赤=公西華)
点、爾は何如。
(しつ)を鼓すること希なり。
鏗爾(こうじ)として瑟を舎(お)いて作(た)つ。
対えて曰く、三子者(さんししゃ)の撰に異なり。
子曰く、何ぞ傷まんや。
亦た各々其の志を言うなり。
曰く、暮春(ぼしゅん)には、春服既に成る。
冠する者五、六人、童子六、七人、沂(き)に浴し、舞雩(ぶう)に風し、詠じて帰らん。
夫の三子者の言は何如。
子曰く、亦た各々其の志を言うのみ。
曰く、夫子、何ぞ由を哂うや。
曰く、国を為むるには礼を以てす。
其の言譲らず。
是の故にこれを哂う。
唯だ求は則ち邦に非ざるか。
(いずく)んぞ方六、七十、如しくは五、六十にして、邦に非ざる者を見んや。
唯だ赤は則ち邦に非ざるか。
宗廟、会同は諸侯に非ずして何ぞ。
赤やこれが小たらば、孰れか能くこれが大と為らん。
 (点=曾晳)
・「」(私家版 楽器事典)
(新訳文)
子路、曾晳、冉有、公西華の四人が、陪席していた。
子曰く、今日は、私が先生だからと言って少しも遠慮しないで話をしてもらいたい。
諸君は雑談の折にいつも口癖のように、自分の才能を認めて用いてくれる人がない、と言っているが、もし本当に登用される機会があったら、何をしたいと思うかね。
子路が待ってましたとばかりに口を開いた。
戦車千乗を常備する一流国家で、強国の間に介在し、戦争で疲弊したあと、饑饉があって困窮したとします。
私がその政治を任されたなら、三年も立った頃には、再び活気を取り戻し、その上に道義を尊重する国家を育てあげて見たいと思います。
聞いていた孔子が意味あり気に笑った。
求や、お前はどうだ。
対えて曰く、六、七十里四方、いや、もっと小さい五、六十里四方の地域で、私が政治を任されましたなら、三年も立った頃には、人民の生活を豊かにしてみせたいと存じます。
もっとも文化程度の向上という点になると自信がありませんから、もっと立派な方がおいでになることを期待します。
子曰く、赤や、お前はどうだ。
対えて曰く、私は自信があっていうのではありませんが、希望だけ申しますと、宗廟における先祖の祭りや、賓客が集まる会同の際などに、端の礼服を着、章甫の冠をつけて、礼儀を助ける小相の役を果たしたいと思います。
子曰く、点や、お前はどうだ。
すると曾晳はこれまで、瑟を膝の上にのせ、ぽつりぽつりと、かそけく弾いていたのであるが、この時それをかたりと音させて傍ににおき、形を改めて居ずまいを正し、対えて曰く、私の考えは今までの方々と余りに違いますので困ります。
子曰く、一向に差支えないではないか。
みなそれぞれに自分の抱負を言ってみるだけだ。
曰く、春四月ともなれば、春の装(よそお)いに着かえ、若者五、六人、子供六、七人をひきつれて遊山に出、沂水の川で浴(ゆあみ)し、舞雩の広場で風に吹かれ、歌を口ずさみながら帰ってきましょう。
それを聞いた孔子が深い嘆息をもらして、曰く、私は点に賛成だ。
三人が退出したあと、曾晳だけ居残った。
曾晳曰く、三人の言ったことを、どうお聞きになりましたか。
子曰く、みなそれぞれに自分の抱負を言ってみただけだ。
曰く、でも先生は何故、由を笑われたのですか。
曰く、国を治めるには礼をもってすべきで、自分でもそう言いながら、あまり謙虚でないことを言い出したから、おかしくなったのだ。
次に求の自任する職場は、ひとかどの独立国だな。
六、七十里四方、もしくは五、六十里四方の地域といえば、立派な独立国の外にない。
次に赤の職場も独立国らしいな。
宗廟があり、会同を行うという以上、それは天子につぐ諸侯のことでなくて何であろう。
それに赤は遠慮して小相になると言っているが、赤が小相なら、いったい誰がその上に立つ大相になれるだろうか。
(『現代語訳 論語』宮崎市定 岩波現代文庫 2000年)
次に、高橋源一郎さんの翻訳を
一億三千万人のための『論語』教室」より転記しますφ(..)
こんなふうに論語を読むことができるんだとビックリしました。
高橋さんは宮崎市定の『現代語訳 論語』を定本として使用しています。
長文なので区切り方は上とは異なっています。
訓読みは省略しています。
 子路、曾晳(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華の四人の弟子たちが、センセイのおそばに侍(はべ)っていたときのことだった。
センセイが、いきなり、こんな質問をされたのである。
「わたしは、きみたちより、まあ若干年上なんだけれど、そこのところは気にしないで、ざっくばらんに答えてもらいたいことがあるんです。というか、きみたちの本音を聞いてみたいんですよ。きみたちは、よく、愚痴をこぼしてるでしょ? 『ああ、おれたちの才能に気づいて、雇ってくれる人がいないんだよね。もう、見る目がなさすぎでしょ』って。では、訊きますが、もし、きみたちの能力をかって、採用してくれる君主がいたとしたら、そのときには、なにをやってみたいかな?」
(「一億三千万人のための『論語』教室」高橋源一郎 河出新書 2019年)
 センセイがそう訊ねると、「待ってました!」とばかりに手をあげたのが子路だった。
「その国がですね、戦車を千台くらい常備しているような、まあ、ふつの国だとします。でも、大国の間にあって、不幸なことに戦争に巻き込まれてしまったとしましょう。アメリカ・中国・ロシアが角つきあわせている間に、北朝鮮が暴発して、集団的自衛権を発動した日本みたいな感じ、といえばわかりやすいかも。その結果、国はボロボロ、大饑饉発生となっちゃった。そんな国の政治を任されたとしても、わたし、三年で立て直してみせます。おまかせください。国力を回復させるだけじゃなくて、なんというか、近隣の国々に愛され信頼される、まっとな国家にしてみせます!」
 子路がそういうと、センセイは、ニヤリと意味ありがにお笑いになった。
そして、今度は、冉有に向かって、こうおっしゃった。
「おまえは、どうだね?」
「そうですねえ。数十キロ四方程度の、それほど大きくない国で、そして、三年の猶予をいただいたなら、まあ、なんとか、経済的には豊かにすることができるのではないか、と。でも、文化関係については、わたし、ちょっと自信がありませんので、その方面が得意な人材をリクルートして、まかせることにします」
 センセイは小さくうなずくと、続いて、公西華の方を向いた。
「で、おまえは?」
「……あの、正直に申し上げて、自信はそんなにありません……でも、雇っていただいたのですから、まず一生懸命、勉強して、主君のご先祖さまの祭礼や諸侯との会議の際に、とりあえず、きちんと礼装して、アシスタント役を果たすぐらいのことはできたらいいな……と」
 そこまで聞くと、最後に、センセイは、曾晳に質問した。
「さあ、おまえの答えを聞くことにしようか」
 すると、それまで、ギターを静かに弾いていた曾晳は、弾く手を止め、カタッと音を立ててギターを横に置くと、居住まいを正して、こう答えた。
「ぼくの考えは、いまお話しになった方々のものとは、あまりにちがいますので……」
「いいから、いいから。みんな好きなことをいっているんだから、おまえも思うところをいえばいいんだよ」
「『えっ、それ、なに?』とかいわない、って約束してくれます?」
「約束するから、思うところをいってごらん」
「はい。じゃあ、いいます。ぼくがやりたいのは、春の終わりの頃、季節にふさわしい恰好をして、五、六人の青年、あと、六、七人の子どもを連れて、遊びに出かけることです。近くの川で水浴びをして、その後、雨乞(あまご)いする広場で風に吹かれてぼんやりし、そして、最後に、歌を口ずさみながら戻ってくる。それぐらいですね。他にやりたちことはありません」
 それを聞いたセンセイは深いためいきをついて、こうおっしゃった。
「それ……いいねえ、曾晳についてゆくのがいちばん楽しそうですね」
 さて、子路、冉有、公西華の三人が退席したあとも、曾晳はひとり残っていた。
センセイに訊いてみたいことがあったからだ。
「センセイ」
「なんですか?」
「センセイは、あの三人がしゃべったことをどう思われたのですか?」
「どうもこうも、みんな、やりたいことをしゃべっただけでしょう」
「でも、センセイ。子路さんがしゃべったあと、ニヤリとされたじゃないですか。あれは?」
「ああ、あれね。だって、子路はまっとうな国家にします、っていってるわりには、あまり謙虚な感じがしなかったから。いってることと態度が矛盾している、そんな感じがしなかったかい?」
「そうかも」
「それから、冉有は、『それほど大きくない国』っていったけれど、『数十キロ四方』っていえば、立派な国ですよ。冉有は、謙遜してるけど、子路がいってる『戦車を千台』の大国だって治められるぐらいの能力があると思いますね。ほんと謙虚すぎるんですよ。そして、最後に、公西華。アシスタント役だなんていってるけど、全般を指揮することだってできるんだけどね、彼は。ほんとうに、公西華も、謙遜が過ぎますね」
(「一億三千万人のための『論語』教室」高橋源一郎 河出新書 2019年)
父の一枚です(^^)v
露出オーバーになっているので断定できませんがゴイサギかな?
父は母と一緒に熱心にさがしていたので野鳥に出会う確率が高かったです。