2019年11月4日月曜日

振替休日

今朝も日差しが暖かい穏やか朝でした。
でも、日差しが雲に隠されると寒さを感じたのでウィンドブレーカーを着て散歩しました。
昨日は、午後から出席したい集いがあったので午前中は休憩していました。
会場ではみなさんと37年ぶりに再会し嬉しかったです。
自己紹介などを聞いているといろんな人生を経験しておられる。
あんまり書くと身元がばれるので控えますが、
37年のブランクを埋めるのは大変だったと思います。
会を企画・運営してくださった幹事のみなさんに感謝です。
こんな記事があります
外国人児童らが七五三 千歳飴に笑顔 神戸・生田神社」(11月4日 神戸新聞)
七五三について
正月はなぜめでたいか――暮らしの中の民俗学
より転記しますφ(..)
七五三 呉服屋の商業政策
●―日本の伝統になかった七五三
 七五三は年々盛況になってくる。
11月15日が近づくにつれ、親たちは七五三にまいる子どもの衣装を整えるのに大わらわ。
子どもだけでなく親の衣装も気になる。
今日では七五三の意味はともかくとして、親と子どもの一大衣装見せの観さえある。
神社は神社で授与するお守りや土産(みやげ)の準備に大変であり、大阪でも当日には、神官が子どもの喜ぶ怪獣や動物の縫いぐるみをつけて、サービスに、これつとめたところもあるという。
(『正月はなぜめでたいか――暮らしの中の民俗学
  岩井宏實 大月書店 1985年)
 ところで、こうしたショー的な七五三祝いというものは、日本の固有の風習、伝統生活の中にはなかったのである。
もともと庶民の子どもの生育過程における儀礼は、もっと生活に密着した地についたものであった。
したがって七五三まいりというものはなかった。
これはもともと、江戸の町で商人、ことに呉服屋の商業政策として宣伝されて流行したもので、戦後になってとくにデパートの営業政策と神社の振興策が結びついて全国的に普及したものである。
そして、この勢力が巨大な宣伝力をもっていて、従来の伝統的な子どもの生育にかかわる通過儀礼にとってかわろうとしている。
●―七五三の本来の祝い方
 だが、この新式の都市風の七五三祝いも、実はそれを受け入れる習俗が根底にあったのである。
三歳という年は子どもの成長の一つの境い目とされ、このとき、いままで付け紐(ひも)で着物をまとうていたのをやめて、はじめて帯をつけるので、三歳の祝いを一般に「ヒモ落し」といい、また一つ身であった着物を三つ身に仕立てて着せるので、「三つ身祝い」ともいう。
 五歳の祝いは、全国的にこのとき男児のみに「ハカマ着」をするのが普通であった。
女児にもこのとき帯祝いをするところがあるし、三河あたりではカツギゾメといって、産土神(うぶすながみ)に詣でた。
男児の「ハカマ着」に対応しておこなわれたのであった。
 小児の祝いとしては七歳で最後とし、それからはいわゆる子ども仲間に入ることになる。
この年を境としてはじめて大人の世界に入る下準備が開始されることになる。
 『日本民事慣例類集』にも、子どもが生まれてすぐには人別帳に記載せず、七歳になってはじめて人別帳に名を列ねた例がいくつものっているし「七つ前は神のうち」ということわざもあって、この年齢に達するまでは葬法においても一人前の者とは別にしたり、子墓に埋めている例も多い。
要するに幼児には社会的人格が認められておらず、一つ一つ段階を経て、氏子入りにいたってはじめて神からも社会からも人格を承認されたのであり、その年を七歳とされていたのである。

 そして、これらの儀礼が、みな旧暦の11月15日におこなわれていた。
いま七五三が11月15日に固定したのも偶然ではなかったのである。
日本の神社の祭は霜月(11月)の祭りがもっとも多かった。
それは祖先の霊は山の頂にいて、春は里に降りて子孫の生業を見守り、秋には山にかえるという日本人の信仰から、秋の稔りののちに家々の神を山に送る祭りをしたからで、15日というのは満月をもって神をまつった古くからの習わしに従ったのであった。
 したがって、村人がこぞってお祭りをするこの日、すなわち旧11月15日に氏子入りをして広く社会と神の承認を得ようとしたのであった。
 今日の七五三はこの日を踏襲したにほかならない。
新式の都市的な形式的な通過儀礼である七五三にも、こうした庶民生活の伝統がひそんでいるのである。
これを考えるとなお今日の七五三のあり方に心せねばならないことが、想い起こされる。
(『正月はなぜめでたいか――暮らしの中の民俗学
  岩井宏實 大月書店 1985年)

関連して『図説 民俗探訪事典』より「女児の儀礼」を転記しますφ(..)
女児の儀礼
 知りあいに子どもが生まれると、その性別をたずねるには、「お嬢さんですか」ときくのげ礼儀であるとされている。
それは「お坊ちゃんですか」とたずねて、もしそうでないときには、相手に気まずい思いをさせるところからきているという。
このような作法が礼儀とされているのは、跡とりとしての男児が歓迎された考え方によるらしい。
しかし、そうした考え方が古くから日本にあったとは考えられない。
たとえば最初の子が女児だと、育児に手がかからないし、早く家の仕事を手伝うなどから、女児を歓迎する考えもある。
古い時代の武士の世界はともかく、庶民の家では、生まれてくる子は男であろうが、女であろうが、その性別について、とやかくいうようなことはなかったのである。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
女児への祝い
 女の子が生まれると、紅白の餅が実家から贈られたり、愛嬌よくなってほしいとの願いをこめて、「エクボメシ」と呼ばれるくぼみをつけた飯をつくったりする所がある。
また産衣(うぶぎ)についても、女児には花の形などの刺繍のついたものが贈られたりする。
成女式(せいじょしき)
 結婚できる一人前の女として社会的に認められる式。
古くは初潮の祝いが成女式に相当したらしく、たとえば八丈島では「ウイデ」と呼んで結婚式のとき以上に盛大に祝ったという。
また成女式には、「ユモジ祝い」とか「カネツケ祝い」などの名称もあり、腰巻(こしまき)をしたり、カネ(鉄漿)をつけて結婚の資格があることを披露することもあった。
こうした儀礼は十三祝いなどの名称もあることから、13歳前後に多く行われたようである。
長崎県の五島地方では13歳の祝いが盛んで、毎年11月15日に「ヘコイワイ」といって、娘は親戚などから贈られた着物を着て宮参りをし、家では大盤振舞をするという。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄 他編著 山川出版社 1983年)
ラグビー界に貢献した個人・団体に贈られる「キャラクター賞」に釜石市が、選ばれました。

ワールドラグビー 南アフリカが年間最優秀チーム 釜石市も受賞」(NHK)

日本の価値を高めてくれてよかったと思うのですが…
一方、東京オリンピックは、日本への信頼を貶めるようなことが次々と起きていると思います。

外務省が「旭日旗について」を載せています。
外務省は世界を相手にしていながら世界情勢の分析が甘いのではと思ってしまう。
Twitterの記事で知ったのですが
ガーディアン紙(英国)のオピニオン欄にコネチカット大学のAlexis Dudden教授の
Japan’s rising sun flag has a history of horror. It must be banned at the Tokyo Olympics」( The Guardian )
という記事が掲載されています。
また、日本代表サッカーチームのユニホームは迷彩柄だそうです。
東京オリンピックで旭日旗がはためき、迷彩柄の代表選手が登場までとなると
上皇さま、美智子さまが日本への批判が厳しい時に
オランダやイギリスなど外国訪問して築いた友好的な対日感情を
逆戻しにしたいのかと思ってしまう。

内田樹さんがこんなことを呟いていました。

オリジナルの外国語文が文法的に正しいものなら、自動機械翻訳はもう80%くらいの精度で記事を訳してくれます。
ですから英語を読むのが苦手という人も簡単にNew York Timesや Guardian のニュースを読めます。
日本の新聞とどれくらいレベルが違うかわかります。