2019年11月27日水曜日

雨が降るかなと…

数日前の天気予報では、雨が降るような…
今朝の天気予報でも歩いている時に雨になりそうだったけど…

スイセンの葉が落ち葉の中から顔を出していました。
この時期、よくある事故が…
ニラと間違えスイセン販売 3人おう吐 千葉の青果店」(NHK)
こちらは秋に花を咲かせてくれるヒガンバナ
花の時期には葉が出ないので、

韓国名はロマンチックだ。
サンシチヨと呼び「想思華」と書く。
1本の茎を共有しながら花と葉は決して出会うことはない。
花は葉を想い、葉は花を思い焦がれているから「想思華」。

近畿日本鉄道 花だより
アジアの民話』より朝鮮族の民話「靴のゆくえ」を転記します。
転記しながら、いろんな物語を思い出していました(^_-)
この本は、絶版になっているので図書館などで読んでください。
靴のゆくえ
 むかし、むかし、長白山天池に、一人の農夫が住んでいた。
農夫には孔姫(コンジ)という娘がいた。
コンジは、生まれつき美しく、そのうえに働き者で、すなおだった。
 農夫は妻にさきだたれ、後添(のちぞ)いをもらった。
また、女の子が生まれたので葩姫(パッジ)と名づけた。
パッジは、生まれつきみにくく、ひねくれていた。
 コンジが十歳のとき、父親も死んでしまった。
すると、継母(ままはは)は、コンジをいじめはじめた。
すなおなコンジは、それでも水くみ、柴かり、洗たく、炊事と、仕事はみんなひとりでひきうけ、けなげに働いた。
しかし、母親には、どうしても気に入ってはもらえない。
いつもあらさがしをされては、どなられていた。
パッジは、ひがないちにち、ぶらぶらとあそびまわっているが、母親は目をほそめて、あまやかせほうだいである。
(『アジアの民話』文・君島久子 絵・太田大八 講談社 昭和57年)
 ある朝、母親は二人の娘に「畑を耕しにおいき」といった。
コンジにはなまくらの木のすきをわたし、遠くの石ころだらけのとこへやった。
パッジには、よく切れる鉄のすきをわたし、近くの耕しやすいところへいかせた。
 コンジが畑にやってくると、石ころと雑草が、すっかり稲の苗をおおってしまっていた。
働き者のコンジは、けんめいに耕した。
服はぐっしょり汗でぬれ、両手には血まめができた。
長いあいだ耕したが、まだひとうねさえ耕せなかった。
それなのに木のすきは折れてしまった。
「このまま帰れば、きっと、かあさんのげんこつがとんでくる。どうすればいいのかしら」
 悲しくなって、糸の切れた真珠のような涙をながした。
コンジが泣きじゃくっていると、ふいに空から雲がおりてくるのが、ぼんやり目にうつった。
コンジが涙をふくと、じっと見つめた。
雲には黒い大牛(おおうし)がのっていて、みるみるうちに目のまえにおりてきた。
「おまえ、なにそんなに悲しげに泣いているの」
 なんと、牛が人のことばでものをいったのだ。
牛はやさしげな目をして、コンジをのぞきこんだ。
コンジはその親切がわかったので泣きながら、自分の身の上をはなした。
 黒牛は耳をかたむけて、コンジの身の上ばなしをききながら、さめざめと涙をながした。
「かわいそうなコンジ、悲しまなくてもいいのよ。わたしのいうことをよくおきき。あの滝の下流にいって足を洗い、それから中流で手を洗い、最後に上流で顔を洗って、もどっておいで。そうすれば、きっといいことがあるから」
 コンジは黒牛のいいつけどおりにして、もどってきた。
みると、あたりのようすは、すっかり変っているではないか。
畑はすみからすみまで耕されていた。
そのうえに、ピカピカ光る金のすきが置いてある。
畑のそばには、一本の栗が植えられ、大きな栗がなっていた。
だがふしぎなことに、あの黒牛の姿はどこにもなかった。
 コンジは心から黒牛に感謝し、ふかぶかと空にむかっておじぎをした。
それから、栗をとって食べてみた。
あまくて、とてもおいしい。
こんなにおいしい栗は、生まれてはじめてである。
食べながらもコンジはふとぎりの母と妹のことを思いだした。
「わたしにつらくあたるといっても、やっぱり、母と妹にはちがいないわ」
 コンジは栗をすこし食べただけで、あとは持ち帰って、二人にも食べさせてあげようと思った。
 太陽が山に沈むころ、金のすきと栗を持って、コンジはうきうきして家へもどると、戸をたたいた。
だが、コンジのるすにごちそうを食べていた二人は、戸をあけようとはしない。
「あけてよ。おいしい栗を持って帰ったのよ」
「それじゃ、戸のすきまから見せてよ」
 母子がのぞくと、コンジは大きな栗のつつみと、ピカピカ光る金のすきを持っている。
金のすきを見た母親は、いきなり外へとびだすと、金のすきをうばいとった。
 母子は、すきと栗を手に入れたわけを、ねほりはほりたずねた。
コンジは、いちぶしじゅうをのこらずはなしてきかせた。
 母親はまたもや一計(いっけい)を思いつき、夜があけるやいなや、コンジをおこして、「今日、もし、この水がめをいっぱいにできなきゃ、ごはんを食べさせないからね!」
 おとなしいコンジは、水つぼを頭にのせると、もくもくとして水をはこびつづけた。
なんどもなんどもはこんだのに、昼になっても水がめはまだいっぱいにならい。「どうして?」
 コンジは水がめを調べてみた。
「ああ、水がめは底がもれているわ。これでは、いつまでたってもいっぱいにならない。つかれて死んでしまえということなのかしら」
 コンジはしみじみと悲しくなって、その場にすわりこむと、しくしく泣きだした。
するとふいに、大きな金のかえるがとびだしてきて、「娘さん、悲しむのはおよし。わたしが助けてあげるから」というと、水がめにとびこみ、穴をきっちりふさいでくれた。
コンジは、たちまち水がめをいっぱいにすることができて、なんとかおしおきをまぬがれた。
 母親にとっては、なんともはらだたしいことだ。
「あの娘(こ)をこまらせてやろうとするたびに、なんだってお天とうさんは、助けちまうのかねえ」
 またたくまに中秋節(ちゅうしゅうせつ)がやってきた。
中秋はとてもにぎやかなお祭りの日だ。
どの家でも、女たちは美しく装い、ぶらんこに乗ったり、とび板をとんだり、すもうを見たりするのだった。
コンジもほかの娘たちのように、見物に出かけたかった。
だが、どうして許してくれよう。
パッジは朝からよそいきの服を着こみ、おめかしをして、母子そろって出かけていった。
母親は出がけに「おまえは大ざる三杯の糸を織り、三囤(トン 直径数メートル、高さ三、四メートルの円筒状に長いござを巻いた穀物囲い)の穀物をついてからでなきゃ出かけちゃいけないよ」と、コンジにいいのこした。
 コンジはいわれたとおりに、三囤の湿った穀物を中庭にほし、それがすむと機織(はたお)りをした。
織って、織って、足や腰がだるくなり、目がくらむまで織りつづけたが、それでも、ざるの糸は、ほんのわずかしかへってはいない。
 コンジは、ほっと大きなためいきをついた。
すると突然、空に虹がかかり、虹から仙女が降りてくると、銀鈴のような声がきこえてきた。
「コンジよ、わたしには、なにもかもわかっている。気だてのよいおまえが苦しめられているのがかわいそうで、わざわざ、天宮から助けにきたのです」
 仙女はそういうと、機(はた)にすわった。
(ひ)は龍のように舞い、布は長い滝のように、どんどんあふれでてきた。
あっというまに、大ざる三杯の糸は織りあげられた。
それは、みごとな絹織物であった。
 それから仙女は、天空にむかって口笛を吹いた。
すると、無数のすずめがとんできて、庭はすずめでうまってしまった。
「チチチッ」という音がきこえたかと思うと、たちまちのうちに三囤の穀物のからは、すっかりとれている。
まるで夢のようだ。
「さあ、これに着がえてお出かけなさい」
 仙女はうつくしい服と、刺しゅう入りの靴をコンジにさずけると、しずかに天へ帰っていった。
 コンジは、こんなきれいな服と靴を身につけたのは、生まれてはじめてである。
祭にかけつけ、歌い踊り、ぱっとひらいた花のように楽しかった。
帰り道に小川があった。
コンジは、川の中の石をわたっていったが、かたほうの靴を流れに落としてしまった。
流れにのった靴は、流れながれて、その国を治めている領主の目にとまった。
若い領主は、いそいで部下に靴をひろわせ、手にとるとしげしげと見つめて「この世に靴は何千何万とあるが、これほどすばらしいものはない」とためいきをついた。
「この靴の持ちぬしをかならずさがしだすように」といって、役人を上流へつかわした。
役人は靴をもって、さがしつづけた。
八十一軒たずねて、最後にコンジの家へやってきた。
役人は家の中に娘が二人いるのを見て「これは、どちらの娘の靴かな?」とたずねた。
コンジがすすみでようとすると、母親が、いそいでわって入った。
「まあ、この靴でございますか、うちのバッジのにちがいありませんとも」
 だが、バッジは大足で、靴をいくらひっぱってみても入らない。
腹をたてた母親は、いらいらして、じだんだふむがどうしようもなかった。
コンジが靴をはくと、ぴったりと足にあったので、領主はすぐさまコンジを妻にすることにきめた。
 春がめぐってくると、枯草が新芽をふくように、領主の妻になったコンジは幸せだった。
それに領主は、才もあり力もあるが、またまごころのあつい人物でもあった。
母親はコンジの思いもよらない幸せにいらだち、なんとかしておとし入れてやろうとうかがっていた。
 ある日、領主が領地の見まわりに出かけたるすに、母親はバッジをつれておしかけ、はすの花を見にいこうと、コンジをさそった。
コンジはことわりきれずに承知した。
コンジが池のほとりで、花に見とれているとき、ふいに池につきおとされてしまったのだ。
 コンジを亡きものにした母親は、代りにバッジを領主の妻の座にすわらせた。
 それからどのくらい月日がすぎたろう、領主が見まわりから帰ってきた。
バッジは手で顔をかくし、「ご苦労さまでした。道中(どうちゅう)ごぶじでございましたか」
 領主は妻の声がかわったように思った。
姿かたちも、どうも妻とはちがうようだ。
「しばらく会わないうちに、どうしてそんなに顔が黒くなったのだ」
「あなたがおでかけになってからというもの、わたしは毎日、毎日、門のところでお帰りを待っていたので、すっかり日に焼けてしまったのです」
「じゃ、顔のあばたはどうしたのだ」
「こ、これですか。これは、あなたのお帰りを待っている時、うっかり大豆の上でころびましたの」
 答えはつじつまがあっている。
信じないわけにゆくまい。
だがバッジは、コンジの持っている品性はそなえていなかった。
領主はいつも、うつうつとして気の晴れる日はなかった。
 ある晩のこと、やさしい月光にさそわれた領主が、はす池のほとりにたたずんでいると、一輪のまっ白なはすがあらわれ、かぐわしいにおいをただよわせた。
領主はいとおしく思い、そのはなすの花を折ると、書斎の花びんにいけた。
 ふしぎなことに、はすの花は日夜(にちや)、領主によりそうように咲きつづけた。
しかし、バッジはそれに気づくと、その花をかまどにほうりこんで、燃やしてしまった。
花はもえてしまったが、コンジは一粒の夜明珠(やめいしゅ<夜、光る玉>)になり、かまどからころがり出ると、きらきらと輝き、食事の用意にやってきた料理女にひろわれて、衣装箱に大切にしまいこまれた。
 ある夜のこと、女が針仕事をしていると、ふいに、ききなれた声がきこえてきた。
「もし、箱をあけておくれ」
 女はおそるおそる衣装箱をあけた。
中からコンジがでてきた。
コンジは自分の不運をはなし、手をかしてくれるようにと女にたのんだ。
女はコンジの身のうえに同情し、すぐさま承知した。
 あくる日、女はコンジのいいつけどおりに酒席を用意して、領主をまねいた。
はしをとりあげた領主は、長短ふぞろいのうえに、一本は黒く、一本は白いのに気づいた。
怒って投げすてようとすると、びょうびのうしろから声がきこえてきた。
「だんなさま、はしがちがうのにはお気づきになったのに、つれあいがちがっているのには、どうしてお気づきにならないのでしょう」
「あ、あれは、コンジの声ではないか」
 領主は宝剣をぬくと大声でいった。
「人間なら出てこい、幽霊ならされ!」
 すると、コンジがびょうぶのかげから出てきて、「わたしはコンジの亡霊でございます。どうか、はす池をおさがしになって、この仙丹(せんたん)をのませてください」といい丸薬を手わたすと、すうっと消えてしまった。
 領主は、はす池をさがさせた。
コンジは池の中に横たわっていた。
コンジにあの仙丹をのませると、たちまちに顔にあかみがさし、目をあけた。
コンジは涙ながらに、いちぶしじゅうを物語った。
 領主は、すぐさま腹ぐろい母子をとらえさせると、一生、牛馬として罪のつぐないをさせることにした。
コンジは領主と幸せにくらしたということだ。
  (朝鮮族、口述者 李仲馥 裴永鎮編 「民間文学」1981年7期)
(『アジアの民話』文・君島久子 絵・太田大八 講談社 昭和57年)
今日は、望遠レンズを諦めて50㎜マクロレンズで撮影していました。
こんなときに限ってエナガたちに出会ったり
ゴイサギの若鳥(ホシゴイ)かなと思う子に出会いました。
今朝の父の一枚です。
コサギが朝ごはんを探して捕ろうと構えると
カモたちがガヤガヤ騒いで邪魔をしていたと笑っていました。