2019年11月21日木曜日

風が吹いていないので…

昨日と比べて気温が少し高いだけでなく、風が吹いていなかったのでホッとしました。
クヌギの葉を見ると…虫こぶ(クヌギハケタマフシ?)
11月21日 
  東北地方の娘身売りを防ぐための基金が設けられた。
                 1934(昭和9)年

 この日の『読売新聞』には、「東北地方の娘の身売りを防ぐために、内務省は民間からの寄付をもとに今回11万円の基金で一時しのぎの貸付金制度を設けることにした」との記事が見える。
 1934年の秋には東北大凶作の記事が新聞をみぎわした。
夏じゅう降りつづいた冷たい雨のために、稲は青いまま実らず、天明以来の大凶作となった。
稗飯(ひえめし)を食べられるのは上等の方で、大半の農民はあざみの葉や椎(しい)の実を食べて飢えをしのいだ。
 小学生は学校へ弁当を持って行けなかった。
東北線沿線では、汽車の窓から捨てられた弁当の食べ残しを子どもたちが拾う姿も見られた。
小作料が払えない農民たちは、高利貸や地主から多額の借金をし、ついにはやむなく娘を都会のカフェの女給や芸者に売った。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
昨夜の
そして能は生まれた 世阿弥 時代を超える戦略」(NHK)
を見ていて、昔、読んだ『風姿花伝』をもう一度読みたくなりました。
古典の面白さを教えてくれる本に出会いました。
サイエンス・ライターが古文のプロに聞く こんなに深い日本の古典
σ(^-^;は、現代語訳を読んで解ったつもりになっていますが
時代背景(歴史)などを知ると、なお一層面白くなると改めて思いました。
黒澤弘光さんと竹内薫さんとの対話で構成されているので読みやすいです。
出たばかりの本なので数か所抜き書きしたいと思います。
その前に『大和物語』にある「姥捨」を小学館の日本古典文学全集より現代語訳を転記すると
大和物語
  百五十六 姥捨
 信濃(しなの)の国の更級(さらしな)という所に、一人の男が住んでいた。
若い時に親は死んだので、伯母(おば)が親のように、若い時からそばについて世話をしていたが、この男の妻の心はたいへん困ったものだと思われることが多くて、この姑(しゅうとめ)が年をとって腰がまがっているのを、いつも憎み憎みして、男にもこの伯母のお心がふつごうで、この上もなく悪いということをいい聞かせたので、昔のとおりでもなく、この伯母に対しておろそかにすることが多くなった。
この伯母はたいそうひどく年をとって、からだが折れ重なるばかりに腰がまっている。
このことをやはり、この嫁は、じゃまでわずらわしいと思って、「いままでよくもまあ死なないで生きてきたものだ」と思って、夫によくない告(つ)げ口をして、「連れていらっしゃって、深い山奥に捨てておしまいになってください」と、そのことだけを責めたてたので、男は責めたてられて困って、「そうしてしまおう」と思うようになった。
(『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語 日本古典文学全集8』
  高橋正治他校注・訳者 小学館 昭和47年)
月のたいへんあかるい夜、「おばあさんよ、さあいらっしゃい。寺で尊い法会(ほうえ)をするということですから、お見せいたしましょう」といったので、この上もなく喜んで、背負われてしまった。
高い山のふもとに住んでいたので、その山にはるばるはいって、高い山の峰のおりてくることができそうもない所に、置いて逃げてしまった。
伯母は、「これこれ」というけれど、男は返事もしないで、逃げて家にきて思っていると、妻が伯母の悪口をいって腹をたてさせたおりは、腹をたてて、このようにしてしまったのだが、長い間、親のように養い養いしていっしょに暮らしてくれたので、たいそう悲しく思われたのだった。
この山の上から月もたいそうこの上もなくあかるく出ているのを、じっと物思いにふけって見つめ、一晩じゅう、寝ることもできず、悲しく思われたので、このように詠(よ)んだ。

  わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て
(わたくしの心を慰めることはできないのだ。更級のおば捨て山に照る月を見ていると)

と詠んで、また行って、迎えて連れもどった。
それからのち、この山をおば捨て山といったのである。
「なぐさめがたい」というとき、おば捨て山を引き合いに出すのは、このようないわれがあったのだ。
(『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語 日本古典文学全集8』
  高橋正治他校注・訳者 小学館 昭和47年)
小学館版では原文の「をば」を「伯母」としていますが、
黒澤弘光さんは「叔母」とされています。

黒澤
 お姉さんだとすれば、自分の弟か妹が結婚して子どもを持ち、その子が何歳かになるまで独り身でいたということになる。
この時代だと、それはちょっと不自然です。
いまなら女性は十分自立して独りでやっていけるけれど、当時の貧しい農村ではそうではありませんから、よほど理由がない限り結婚します。
その点から考えれば、この主人公の幼いときに両親が死んだときに独り身でいて、母親代わりになってくれるとしたら妹のほうだろうと考えるほうが蓋然性は高いと思うんです。
可能性はどちらもあるんですけどね。
(『サイエンス・ライターが古文のプロに聞く こんなに深い日本の古典
  黒澤弘光、竹内薫 ちくま文庫 2019年)
叔母の年齢を幾つだと考えるか
竹沢さんもビックリするのですが

黒澤
 この男の両親が結婚して子どもをつくったのは何歳かと考えると、おそらく十五、六歳前後といったところです。
そのときに、この叔母はせいぜい十三、四。
それで、この男がまた十四、五で結婚したら、まだ三十になるかならないか。
当時はそうなんです。
当時の女性は、ことに農村部では、あっと言う間に老けます。
仮に「伯母さん」だったとしても三十代半ばがせいぜいでしょう。

(この『大和物語』は平安時代中期に成立したようですが
芭蕉の句に

  老(おい)の名の有共(ありとも)しらで四十(しじふ)から

があります。江戸時代でも40代は初老でした。)
黒澤さんはこんな問題を投げかけています。

黒澤
 この叔母さんは自分を山の峰に置いて帰っていく甥に、「おい、おい」と呼びかけましたね。
では、この「おい、おい」の後に何を言おうとしたのか。
指導書などではよく、「わしをこんなところに置いていくのか」、「おまえ、わしを置いてどこへ行くんだ」というようなことがこの後に略されているとありますが、どう思いますか。
考えてみてください。
指導書のような考え方に対して

黒澤
 そんなことがあるわけないと僕は思っているんです。
なぜかというと、そういう考え方は「時間」という視点をまったく考えに入れていないからです。
男の家からこの峰の上にくるまでどれだけ時間がかかっていると思いますか。
黒澤
 むしろ、ここに書かれていない叔母さんの心中の思いを考えなくてはいけない。
夜の山にどんどん深く入って、登っていく。
この先は寺どころか、人の家さなない。
つまり、時間の経過とともに、叔母さんはだんだん「おや、これは寺への道じゃない。どんどん山に入っていく。ああ……」とわかるはずなんです。
叔母さんはこの間、いろいろなことを思って黙っていたんでしょう。
その黙っている思いを察し取らなくてはいけないんですよ。
また、男の妻についてひどい嫁だなと思いますが
視点を変えると違った見方もできることを教えてくれました。
黒澤
 男女の愛とは違いますが、親子の間柄にはない微妙なものを、この女房は感じ取ったのかもしれませんね。
この話を授業で扱うときは、授業が終わった後に、生徒にこう話すんです。
「この妻はいやな女だ、意地悪だ、残酷だと思うだろう。それはそうなんだが、ちょっと視点を変えて、自分がこの女の立場になったとき、叔母さんをどう思っただろうかと考えてごらん」と。
もちろん、この嫁の言動を肯定するわけではないけれど、そういう心情に傾きやすくなってしまう心情もわからないではない。
こんなに深い「姨捨」のポイント
1 叔母さんと幼い甥の二人が生き延びるために送った生活は、どのようなものだったのでしょうか。
2 甥に冷たく扱われるよういなってしまった月日、そして久々に優しい言葉を掛けられたときの叔母さんの心境はどうだったのでしょうか。
3 甥に背負われて、高い峰に連れて行かれるまで、どのくらい時間がかかったのでしょうか。
そして、その間の叔母さんの心の内はどうだったのでしょうか。
(『サイエンス・ライターが古文のプロに聞く こんなに深い日本の古典
  黒澤弘光、竹内薫 ちくま文庫 2019年)
今朝の父の一枚です。
薔薇の中にジョウビタキ♂が隠れています。
駐車場に戻ってきた父が、シャッターが下りないと文句を言ったので
カメラを見るとバッテリー切れ
家を出る前にバッテリー残量を確認していたのですが…
家に戻って父の写した画像を確認すると100枚を超えていました。
カメラが古く、バッテリーもヘタッテきているのです。