2019年11月7日木曜日

青空に雲

今朝も青空でした。
その青空に巻雲が広がっていて
雲の変化を楽しみながら歩いていました(*´▽`*)
サヘル・ローズさんが出演する番組がおススメです。
日曜日にあったのがEテレで
こころの時代~宗教・人生~「砂浜に咲く薔薇のように」
今までにもサヘルさんが辿って来た道を
いろんな番組で見てきて知っているつもりでしたが
想像以上に厳しい道を歩んでこられています。
その困難さの中でも薔薇のように咲いていて、

私は「何のために生まれてきたんだろう」ってずっと思ってきたけど、
今は本当に これは言える。
私は人と出会うために生まれ、そのために生かされている。


Eテレで11月9日(土)午後1時から再放送されます。
また、KazeはBSを契約していないので見ることができないのですが
11月8日(金) 午後11時00分から
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
にもサヘルさんが井筒俊彦氏の足跡を訪ねます。
番組のタイトルにあるように井筒氏はまさに知の巨人だと思います。
Kazeがイスラムのことを知ろうとした時、最初に読んだのが
イスラーム文化 その根柢にあるもの』(岩波文庫)
昨日の記事でキノコの話を今昔物語から転記しましたが
ブッダ最後の旅』にもキノコ料理がでてきます。
第四章 〔16、鍛冶工チュンダ
 そこで尊師はボーガ市にこころゆくまでとどまったあとで、若き人アーナンダに言った。
――
 「さあ、アーナンダよ。パーヴァーに行こう。」
 「かしこまりました」と若き人アーナンダは尊師に答えた。
 それから尊師は多くの修行僧らとともにパーヴァーに赴いた。
そこで尊師はパーヴァーにおいて、鍛冶工の子であるチュンダのマンゴーの林にとどまった。
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)
 鍛冶工の子であるチュンダは聞いた、――「尊師は実にパーヴァーに到着された。パーヴァーのうちのわがマンゴーの林にとどまっておられるとのことだ」と。
そこで鍛冶工の子であるチュンダは尊師のおられるところに近づいた。
尊師に近づいて敬礼して一方に坐した。
実に一方に坐した鍛冶工の子チュンダに、尊師は<法に関する講話>をして教えて、諭し、激励し、喜ばせた。
 そこで鍛冶工の子であるチュンダは、尊師によって<法に関する講話>をもって教えられ、諭され、激励され、喜ばされて、次のように言った。
 「尊い方よ。尊師は明朝、修行僧らの集いとともに、わたくしの家で食事をなさるのを承諾してください」と。
 尊師は沈黙によって同意された。
 そこで鍛冶工の子であるチュンダは、尊師の承諾を知って、座から起ち、尊師に敬礼して、右肩を向けてまわって、去って行った。
 それから鍛冶工の子チュンダは、その夜の間に、自分の住居に、美味なる嚙む食物・柔かい食物と多くのきのこ料理とを用意して、尊師に時を告げた、「時間になりました。尊い方よ。お食事は準備してございます」と。
 そこで尊師は、早朝に、内衣をととのえ、衣と鉢とをたずさえて、修行僧のなかまとともに、鍛冶工の子チュンダの住居におもむかれた。
おもむいて、かねてから設けられてあった席に坐せられた。
坐してから、尊師は、鍛冶工の子チュンダに言われた。
 「チュンダよ。あなたの用意したきのこ料理をわたしにください。また用意された他の嚙む食物・柔かい食物を修行僧らにあげてください」と。
 「かしこまりました」と、鍛冶工の子チュンダは尊師に答えて、用意したきのこ料理を尊師にさし上げ、用意した他の嚙む食物・柔かい食物を修行僧らにさし上げた。
 そこで尊師は、鍛冶工の子チュンダに告げられた。
 「チュンダよ。残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また神々・人間を含む生きものの間でも、世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を、見出しません」と。
 「かしこまりました」と、鍛冶工の子チュンダは尊師に答えて、残ったきのこ料理を穴に埋めて、尊師に近づいた。
近づいて尊師に敬礼し、一方に坐した。
チュンダが一方に坐したときに、尊師は<法に関する講話>によってかれを教え、諭し、励まし、喜ばせて、座から起って、出て行かれた。
 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起り、赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
尊師は実に正しく念(おも)い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
 さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。
 「かしこまりました」と、若き人アーナンダは答えた。
  このように、わたくしは聞いた。
 ――鍛冶工であるチュンダのささげた食物を食(め)して、
 しっかりと気をつけている人は、ついに死に至る激しい病いに罹(かか)られた。
 菌(きのこ)を食べられたので、師に激しい病いが起った。
 下痢をしながらも尊師は言われた。
 「わたしはクシナーラーの都市に行こう」と。
 それから尊師は路から退いて、一本の樹の根もとに近づかれた。
近づいてから、若き人アーナンダに言った。
 「さあ、アーナンダよ。お前はわたしのために外衣を四つ折りにして敷いてくれ。わたしは疲れた。わたしは坐りたい。」
 「かしこまりました」と、アーナンダは尊師に答えて、外衣を四重にして敷いた。
 尊師は設けられた座に坐った。
坐ってから、尊師は、若き人アーナンダに言った。
「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ。」
 こう言われたので、若き人アーナンダは尊師にこのように言った。――
 「尊い方よ。いま五百の車が通り過ぎました。(ここにある)その(河の)水は、車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れています。かのカクッター河は、遠からぬところにあり、水が澄んでいて、水が快く、水が冷やかで、清らかで、近づき易く、見るも楽しいのです。尊師はそこで水を飲んで、お体を冷やしてください。」
 再び、尊師は、若き人アーナンダに告げられた。
――「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ。」
 再び、若き人アーナンダは尊師にこのように言った。――
 「尊い方よ。いま五百の車が通り過ぎました。(ここにある)その(河の)水は、車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れています。かのカクッター河は、遠からぬところにあり、水が澄んでいて、水が快く、水が冷やかで、清らかで、近づき易く、見るも楽しのです。尊師はそこで水を飲んで、お体を冷やしてください。」
 三度(みたび)、尊師は、若き人アーナンダに告げられた。
――「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。アーナンダよ。わたしは飲みたいのだ。」
 「かしこまりました」と、若き人アーナンダは尊師に答えて、鉢をとって、その河におもむいた。
 さてその河は、車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れていたが、若き人アーナンダが近づいたときには、澄んで、透明で、濁らずに、流れていた。
 そこで若き人アーナンダは、このように思った。
「ああ、不思議なことだ。ああ珍しいことだ、修行完成者には大神通・大威力がある! 実にこの小川は車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れていた。ところが、わたしが近づくと、その河の水は澄んで、透明になり、濁らずに流れている!」かれは、鉢で水を汲んで、尊師のいますところに近づいた。
近づいて、尊師にこのように言った。
 「尊い方よ。不思議なことです。珍らしいことです。修行完成者には大神通・大威力があります! いまこの小川は車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れていました。ところが、わたくしが近づくと、その小川の水は、澄んで、透明で、濁らずに流れていました。尊師はこの水をお飲みください。幸いな方はこの水をお飲みください。」
 そこで尊師はその水を飲まれた。
(訳注より)
チュンダ 
 チュンダは釈尊並びに弟子たちを招待し得たのであるから裕福な人であったにちがいない。
しかしインドのカースト社会においては、鍛冶工や金細工人は賤しい職業と見なされ、蔑視されていた。
その招待を釈尊は受け入れたのである。
こおにわれわれは二つの注目すべき歴史的特徴を認めることができる。
(1)当時漸く富裕となりつつあったが、社会的に蔑視されていた人々は、新しい精神的な指導者を求めていた。
(2)ゴータマ・ブッダの動きは当時のこの階級的差別打破の要求に答えたものであった。
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)

続きは後日、転記しますφ(..)
この実は、ガガイモの莢果(きょうか)です。
ズーッと探していたのです。
ガガイモの花は見ることができたのですが、生えていたところが除草作業で刈られてしまっていました。
この莢果も根本は刈られていたので枯れてしまうだろうな…
『古事記』で大国主神の前に少名毘古那(すくなびこなの)神が「天(あめ)の羅摩船(かかみぶね)」に乗って現れます。

かかみ 羅摩[記]
古事記> 
 故(かれ)、大国主(の)神、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(ま)す時、波の穂(ほ)より天(あめ)の羅摩船(かかみぶね)に乗りて、……。(上巻)
[今名]ががいも(ががいも科)
[考証]
 カガミの名は日本古典文学大系『日本書紀』に「白蘞(かがみ)の皮を以て舟に為(つく)り」(神代上)とあるが、白蘞はヤマカガミ(今名,ビャクレン)で、別種のものであるからこれをカガミと訓ませているのは誤りである。
 カカミは『本草和名』に「蘿摩子 和名加々美」とあり、貝原好古(かいばらよしふる 1664-1700)の『和爾雅(わじが)』には「蘿摩 ガガイモ ジカイモ チグサ」とある。
ガガイモは、この茎や葉を切ると白い汁を出すので、チグサの名はわかるが、カカミの語源はわからない。
これはガガイモについた最も古い名と解されるものである。
 ガガイモは、日当たりのよいやや乾いた原野に生えるツル性の多年草で、夏に淡紫色の花を開き、のちに成る果実は広皮針形で表面にイボがあり、中の種子には白色の絹糸状の毛があり、この毛はワタの代用として針さしや印肉に用いられている。
『古事記』の「天の羅摩船」は、この実を割ると小舟の形に似ているので、カカミ船といったのである、と頭注にある。
(『古典植物辞典』松田修 講談社学術文庫 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ジョウビタキ♂とハクセキレイが並んで写っています(*´▽`*)
セキレイは『日本書紀』に登場します。

神代 上 
 一書(第五)にいう。
女神が先に唱えていわれるのに「ああうれしい。立派な若者に会えた」と。
そのとき女神のことばが先だったので、不祥(ふしょう)であるとして、また改めて回り直した。
そして男神が先に歌って「ああうれしい、愛らしい少女に会えた」と。
そして交合しようとした。
しかしその方法を知らなかった。
そのとき鶺鴒(せきれい)が飛んできて、その頭と尻尾を振った。
二柱の神はそれを見習われて、交合の方法を知られた。
(『日本書紀(上)』宇治谷孟訳 講談社学術文庫 1988年)