雨は止んだのですが、来週循環器科の診察があるので、事前に血液検査を受けてきました。
検査後に帰宅して朝食を食べてから電車に乗って淀屋橋に向かうと
「第9回大阪マラソン」(12月1日)のお知らせの看板がありました。
中之島図書館に資料を探しにきました。
展示室にこんなあいさつが書かれていました。
ごあいさつ
四代目 旭堂南陵
本日はご多用の中ご来場下さりありがとうございます。
当コレクションは、私の古書収集の中で集まってきたものです。
集めたという意識はなく、講談の研究の延長上に歌舞伎や文楽があり、そのさらなる延長上に花街の文化があったので、なりゆき上集まってきたものです。
近松作品や並木正三作品にも、花街や廓の情景が出てまいります。
また明治に入ると雑誌の口絵部分には全国各地の有名が芸妓が登場してまります。
現代のグラビアアイドルと同じ扱いです。
しかし、“はなやか”さとうらはらに影の部分があることは確かです。
今日は花街の陰と陽の部分を心にきざんでいただければ幸いです。
敬白
「大阪の花街展」を見ていると大阪にも舞子さんがいたことを知りました。
お昼は市役所の地下食堂でカレー(400円)とマカロニサラダ(150円)を戴きました。
見ているとご高齢の夫婦がニコニコと語り合いながらおうどんなどを食べておられました。
そんなお姿を見ていると、一層美味しくなりました(*´▽`*)
資料調べを終えてある碑を探してしたら目に留まったのが
(目的の碑は見つけられなかった…)
「手形交換所発祥の地」(船場navi)
この石碑があったのは…
三井住友銀行大阪本店営業部
住友の夢。川辺に聳える大大阪の巨人
日本最大の設計事務所、日建設計の歴史はここからはじまる。
1900(明治33)年、住友はこの本店ビルを建設するため本店臨時建築部を結成する。
多くの優れた才能が呼び寄せられ、今からみるとひとつの組織というよりも、個人名が先に立つ建築家集団といった印象が強い。
辰野金吾の教え子、第二世代にあたる野口孫市にはじまり(辰野金吾も建築顧問を務めた)、日高胖、第三世代の長谷部鋭吉、そして竹腰建造へと至る豪華リレー。
他にも室内装飾に腕を振るったデザイナー、小川安一郎や笹川慎一などがいた。
彼らのなかには組織としての設計の他に、個人的な仕事でも名作を残したり、独立して活躍した人物も少なくない。
実際、本書でも他のページでその名前を見つけることができるだろう。
本店建設のために結成された建築部だが、なかなかその設計ははじまらない。
竹腰建造などは地方の支店ばかりやらされて、いつまでたってもはじまらない本店設計に業を煮やし、一時は本気で大学に移ることを考えたと当時を振り返る。
そして組織設立から実に30年、満を持してというには余りにも長い年月を経て、念願であった本店、住友ビルディングが完成する。
設計では日高が全体統括の立場に立ち、平面計画など実務的な部分を竹腰が担当、長谷部はもっぱら装飾的な細部に力を注いだ。
豪華絢爛な営業室の装飾は、長谷部を助けた笹川の力量に追うところが大きい。
重厚な外観は竜山石を用いた仕上げで包まれ、土佐堀川の川越しに眺めるその姿は巨大な岩山のようだ。
本店ビルが完成した後に組織は縮小され、1933(昭和8)年に長谷部と竹腰は独立、住友の援助を受けて長谷部竹腰は独立、住友の援助を受けて長谷部竹腰建築事務所を設立。
これが後に日建設計となる。
旧称:住友ビルディング
所在地:中央区北浜4-6-5
建築年:1期1926年(大正15)、2期1930年(昭和5)
構造・規模:鉄筋コンクリート造5階建 地下1階(後年6階に増築)
設計:住友工作部
(『新装版 大大阪モダン建築』橋爪紳也監修 青幻社 2016年)
「三井住友銀行大阪本店ビル」(住友グループ広報委員会)
「日建設計の歩み」(日建設計)
こんばんは~
返信削除住友銀行本店、懐かしく住友ビルディングのお写真を見ました。
働いていた昭和は遠くなりにけりです。(^-^;
そういえば、そろそろ半世紀前に働いていた職場には、日建設計の方がよく来られてました。
そんな歩みがあったのですね。
はじめて知りました。(^-^;
カイさんこんばんは(^^)/
削除カイさんにとって懐かしい場所ですよね(*´▽`*)
中之島一帯には昭和どころか明治、大正時代の建物が残っていて興味深いです。
日建に限らず、会社の社史などを見ると興味深いですよね!
本には、大大阪時代の建物が紹介されているので
図書館などで借りられるといいですよ(^^)v