ピントが甘く露出も合っていないのでボケてしまいましたが、
飛んでいた虫を捕らえたようですp(^-^)q
ノビルの蕾のようです。
今度は飛ばないアリが翅を持った虫(チャタテムシの仲間?)を捕まえました。
チャタテムシだとしたら「さらば妖怪たち」(農林水産・食品産業技術振興協会)が面白いですよ(^_-)
卯の花やなげやりざまな人心 斯波園女(しばそのめ)
唱歌の「卯の花のにほふ垣根に、ほととぎす早も来鳴きて」はよく知られている。
卯の花は初夏を代表する花の一つ。
これと<人心>を対比させたところが眼目。
卯の花は数多いうつぎの花の総称で、その幹の部分は中空になっている。
ために空木とも書くが、恋する人の心も中空で、つれない態度なのを恨んで作である。
芭蕉の女弟子で、奔放自由に生きた人の恋の句である。
「さゆる夜のともし火すごし眉(まゆ)の剣」などの作もあり、
これも少々舌足らずの表現だが、芝居でいう世話物のような俳句で興味をそそる。
ほの暗い灯火の下で、来ぬ人を待つ女の眉間(みけん)に表れたいらだちを
<眉の剣>と詠む情念の深さに注目すべきだろう。
「春の野に心ある人の素顔かな」という、ういういしい句などもある。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
うつつなきつまいごころの胡蝶(こてふ)かな 蕪村
幼い頃に、一度でも蜻蛉や蝶の翅(はね)を指先でつまんどことのある人なら、
いや、別に幼い頃でなくても構わないが、
この句のあらわそうとしている「心」はわりあい分かりやすく、
それだけに、作者の表現の並々ならぬ力もいっそう強く感じられるのではないだろうか。
蝶の翅は蜻蛉の翅とは違う。
蜻蛉の翅はあのように透き通ってみえるほど薄くても、翅を合わせていったんつまむと、
ここに確かにつままれている翅があると感じられるけれども、鱗粉(りんぷん)におおわれている蝶のそれは、
閉じられたものを指先でつまんでいるつもりでも、
実際にはそうでないような心もとなさ、頼りなさ、はかなさがつきまとう。
くすぐったい。
そのうち、夢かうつつかの感覚にまどわされてくる。
この「つまみごころ」について、清水孝之(たかゆき)氏は、
①作者が蝶の翅をつまんだ時の心持。
②蝶が物をつかんだうつつなき夢心。
③作者がつまんでみたくなる心、などの諸説を紹介されているが(『與謝蕪村集』)、
私は迷わず①をとっている。
庭で見つけたしじみ蝶でも、揚羽蝶でも、紋白蝶でも、木の葉や草の葉、
時には物干の紐(ひも)にとまって翅をゆっくりと開いたり閉じたりしているのに気づくと、
ついしのび足で寄って行って、そっと翅をつまみたい誘惑にかられるが、
その時私はかならずといっていいほど、今にも消え入りそうな、
これ以上柔らかな感触があるだろうかという記憶を辿(たど)っているし、
うつつも思われない記憶の快感に遊んでいる。
豆の花や萩の花に寄る蝶であるとか、蓮の葉の露の上にやすんでいる蜻蛉の翅を、
上手につまんだりつまみそこねた日がなつかしい。
そのまわりに生きていた人がなつかしい。
年々、庭に見る蝶の数が少なくなっていく。
「うつつ」は、漢字で考えれば「現実」とか、時によっては「事実」ということになるだろう。
この句では、要するに、確かな現実感が確かなものとしてではなく扱われているのが特徴で、
「夢うつつ」といったような表現は曖昧(あいまい)であり卑怯(ひきょう)であるとまで言う人もいるけれど、
「うつつなき」は、日本人の古くからの美意識の表現をも踏んだ言葉の生かし方だと思っている。
と言うのも、「うつつ」は、歌の世界では古くから「夢」に対置される語で、
眠ってみるのが夢だという歌から、さめてうつつでみる夢を詠んだ歌もあり、
夢がうつつなのか、うつつなのが夢なのかと問うた歌もある。
対置が時によって倒置になったり重なってしまったりするのがおもしろいところで、
これはおぼめかしでもなければ逃避でも卑怯でもなく、
私は人の心の自然なのだと思っている。
これは、表現の次元で考えるかぎり、作者の自己客観視の程度にもつながるわけで、
自分をも他人をも大雑把にしか見ない目からは生まれようのない表現だと思う。
大きな句、強い色彩や線の句でも見上げる作の多い蕪村だが、
その大きさや強さも、こういうはかなさ、
心もとなさを充分すくいとる感覚に支えられている。
「花の香(か)や嵯峨のともし火消ゆる時」とか、
「等閑(なほざり)に香(かう)たく春の夕べかな」などとともに味わうと、
互いの句のよさがいっそう引き立つと思う。
(『竹西寛子の松尾芭蕉集 与謝蕪村集』 1987年)
ナガサキアゲハですが、翅がボロボロになっても懸命に生きていますp(^-^)q
バラ園の説明板に
‘スヴニール・ドゥ・アンネ・フランク( Souvenir de Anne Frank )’
「アンネの日記」を残して、ナチスの強制収容所で
15歳の生涯を閉じたアンネ・フランクにちなんだバラです。
このバラは、ベルギーのデルフォルジュが育成した品種で、
アンネの父、オットー・フランク氏に贈り、
彼が「アンネの形見のバラ」として平和をアピールするため世界に贈り続けた花です。
厳しい目ですが、巣で待っている子どものために懸命なんだろうなp(^-^)q
薔薇には刺のあるがゆゑわれ好まし 鈴木しづ子
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
ヤエムグラ(アカネ科)
ウシハコベ(ナデシコ科)
ヤマボウシの花梅雨時、白い4枚の総苞片の中心に淡緑色の小花が丸く集まって咲く。
その様子が、白い頭巾を被った僧兵の姿を連想させるので「山法師」。
花も実も紅葉も美しく楽しめるので、庭木や街路樹に植えられる。
中心に30個ほどの花が丸く集まる。
個々の花は径5mmで、中央に雌しべ、花弁と雄しべは4個ずつ。
咲き終わる頃に花弁と雄しべは脱落し、受粉の正否にかかわらず、
個々の花の基部が膨らみ、全体が癒合して丸く育つ。
(『野に咲く花の生態図鑑』)
古郷(ふるさと)やよるも障(さは)るも茨(ばら)の花 小林一茶
遺産問題の折衝のために、六十里の道をはるばるやって来た一茶は、
雨のなかを柏原にはいり、亡父の墓参りを済ませ、名主嘉左衛門をたずねた。
扇面真蹟の文によると、かねて預けておいた亡父の遺言状を取りもどすためだったらしいが、
嘉左衛門は紛糾を恐れて渡さず、一茶はやむなく遺言状なしでわが家の門をくぐった。
ところが、継母や仙六たちはそ知らぬ顔で「素湯(さゆ)一つ」ともいわぬありさまなので、
草鞋(わらじ)も解かずにそこそこに家を出た。
そのときの憤懣(ふんまん)をぶちまけたのがこの句である。
故郷は、家族ばかりか、だれもかれも自分に敵意をもち、
どちらを向いても棘(とげ)だらけだというので、家人や郷党に対する憎しみが露骨に示されている。
季語は「茨の花」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
この句だけを読んでいると一茶に肩入れしたくなるのですが
弟の仙六の立場からすれば違った見方ができます。
2017年10月25日の記事を参照してください。
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m