ドレーンを抜いた跡を診ていただきテープを貼り替えてもらいました。
順調に治っているので次回は今月末になりました。
帰宅後は耳鼻科を受診しました。
診察待ちなどの間に読んでいたのが梨木香歩さんの『海うそ』
読み始めると、明治の廃仏毀釈について
以前からもやもやとしていたことを作中の視点人物(秋野)が呟いていました。
以前からもやもやとしていたことを作中の視点人物(秋野)が呟いていました。
(…略…)
が、寺びとが、その仏具ごと、寺そのものを破壊されるというのは想像に余る。
自分の信仰、自分の拠って立つところのもの、自分の糧、誇り、生活、
それらすべてが一瞬にして否定され、破壊されるのである。
ふつうなら、抵抗しても当然の話だ。
外国の例を俟(ま)つまでもなく、島原の乱を見よ、一向一揆を見よ。
ひとは信仰のためには武器を持つものではないか。
暴虐のかぎりが尽くされるのを、寺院側は何の抵抗もせず、大人しく見ていたのだろうか。
人の心の奥の、精神的なものに対するこれほどの破壊行動はあるまい。
武器を持ってでも抵抗すべきだった、というのではないが、
その辺りの葛藤がどうなっていたのか知りたかった。
(…略…)
(『海うそ』P30)
午後は父の介護認定の調査員さんが来られました。
時間的に中途半端になった上に雨も降ってきたので大人しくしてました(^_-)
五月になったので竹内浩三と寺山修司の詩を転記したいと思います。
五月のように
ボクの二0回目の誕生日の日、これを、ボクのために
そして、ボクのいい友だちのためにつくる
なんのために
ともかく 生きている
ともかく
どう生きるべきか
それは どえらい問題だ
それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる
こまる前に 次のことばを知ると得だ
歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユ
理屈を云う前に ヴィヴェ・ジョアイユ
信ずることは めでたい
真を知りたければ信ぜよ
そこに真はいつでもある
弱い人よ
ボクも人一倍弱い
信を忘れ
そしてかなしくなる
信を忘れると
自分が空中にうき上って
きわめてかなしい
信じよう
わけなしに信じよう
わるいことをすると
自分が一番かなしくなる
だから誰でもいいことをしたがっている
でも 弱いので
ああ 弱いので
ついつい わるいことをしてしまう
すると たまらない
まったくたまらない
自分がかわいそうになって
えんえんと泣いてみるが
それもうそのような気がして
あゝ 神さん
ひとを信じよう
ひとを愛しよう
そしていいことをうんとしよう
青空のように
五月のように
みんなが
みんなで
愉快に生きよう
(『愚の旗』竹内浩三著/成星出版 1988年)
「竹内浩三みゅーじあむ」(書籍の紹介を参照してください)
竹内浩三(たけうちこうぞう)1921(大正10)年5月12日生まれ。
1945(昭和20)年
ルソン島バギオの地にて没。
戦死広報には「陸軍兵長 竹内浩三 昭和二十年四月九日時刻不明 比島バギオ北方一0五二高地方面の戦斗に於いて戦死」とある。
また、公報に添付された「死亡認定理由書」には
「敵陣地の斬込及敵戦車の肉薄攻撃戦斗に終始して同年四月九日同附近の斬込戦斗に参加し未帰還にて生死不明なり」とある。
(『愚の旗』の【竹内浩三略年譜】などを参照)
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五月の詩 ・序詞・
きらめく季節に
たれがあの帆を歌つたか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ
夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち
萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら
きらめく季節に
たれがあの帆を歌つたか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ
二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
(『われに五月を』)
「寺山修司記念館」
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m