昨日の事故は〝運転の男性 死因は「大動脈解離」による突発性心疾患〟だそうです。
Kazeの場合は心筋梗塞を発症したときに
診察していていただいた先生から一刻を争うと言われ
手術中に一番難しいところが梗塞していると教えてもらいました。
それでも最後まで意識を失うことなく手術を終えたのですが…
大動脈解離は車を止めることができても
エンジンを止めることができなかったほど即死状態になるのですね…
診察が早く終わったのでリハビリ散歩に出かけましたp(^-^)q
ハシボソガラス〔嘴細鳥〕
ハシブトガラスと比べ嘴もやや細く,からだも小さい。
そして,何よりも額と嘴の付根が段状になっていない点が違う。
全身黒で,集団でいるとやはり気味の悪い感じがする。
ハシブトガラスと同じく,人の住むところは,どこまでも追いかけるように,
すみ場所をひろげていく鳥で,とくに人間の残す残飯,
廃棄物などに寄生したような形ですんでいる。
鳴き声は,ハシブトガラスの澄んだ声に対し〝ガア,ガア,グァーワァ〟など,
やや濁声であり,ディスプレーをするときは,
翼を広げるように下げて,尾を広げ,頭を上下にふりながら鳴く。
非情に頭のよい鳥で,1~3くらいまでの数は数えられるといわれるほどである。
(『都市のバードウォッチング・バイブル』
千羽晋示・柳沢紀夫著 朝日出版 1981年)
コサギ〔小鷺〕コウノトリ目・サギ科
〝白鷺〟の中では最もポピュラーで,数も多いのがコサギである。
狩野派がよく取り上げていたが,今でも日本画では,よく見られる。
蓮の花や枯葦と一緒に描かれることが多いが,
コサギが活発に動きまわっている姿よりも,くびを縮め,
背を丸めかげんにし,じっと立っている姿の方が多いようだ。
あの姿には淋しさと孤独と,それにちょっぴり哲学的な雰囲気がある。
コサギは繁殖期になると頭から二本の長い飾羽と肩から背に飾羽が生じる。
北半球の温帯にある日本では,繁殖期が,春から夏の間だから,
一般にはよく夏羽と言われたするが,枯れた蓮や蒲の穂とは季節が全々違うのである。
季節によってコサギも姿が違っているのだから,
絵を描くときにはそこまで気をつかって描いて欲しいものだ。
そういえば,最近描かれた絵で,
飛んでいるタンチョウ(鶴)の尾羽を黒くしているものは
ほとんど見かけなくなってきたのはよろこばしい。
あの黒い部分は翼の一部であって,尾そのものは白いからである。
これは写真の普及によるものだろう。
ダイサギは池沼の深みにじっと立ち,近くを通る魚などを捕えるが,
コサギは浅瀬を走りまわって餌を追ったり,片足を底でふるわせ,
泥中にいる生物が動きだしたところを捕える。
よく似た種類のダイサギとコサギが同じ方法,
同じ場所で餌をとっていたのでは競争になってしまい,
どちらかが滅んでしまうだろう。
ここに自然の仕組みの巧妙さを感じることができる。
コサギは池沼,河川,湿地,海岸など水辺にすんでいるが,
最近は山間の流れにまで入り込んだり,
住宅地の庭の池に現れたりすることも多くなっている。
彼らが本来必要としている自然が失われてしまっているために,
少しずつ新しい環境になじもとしているのだろうか。
それにしても十分な量の餌を確保するには住宅地の池などでは
何ヵ所もさがして飛びまわらねばならないだろうから,
広い範囲で生き残れるのはやっと一羽だけということになる。
(『都市のバードウォッチング・バイブル』千羽晋示・柳沢紀夫著)
今朝は,青空でしたが風が冷たくて
風の中に湿り気を感じたのですが…
メジロが白梅にやってきています。
梅は匂ひ,花は紅(くれない),柳は緑,人は心(草歌・春)
梅は匂いが,桜の花は紅の色が,柳は緑色が,そして人間は心こそが素晴らしい。
人間における本来の美的本質は,心の深さであると歌っています。
それは梅にとっての匂い,桜や柳にとっての色艶(いろつや)に匹敵するものだと言うのです。
(『戦国時代の流行歌 ~高三隆達の世界』小野恭靖 中公新書 2012年)
メジロにとって梅は匂いよりも(*^ー゜)
ヤマガラが…(^。^)
落ちた…
でなくて…
水浴びですp(^-^)q
スッキリしたという顔(^_^)b
幸せは寝て待つものと六十を過ぎし今でも信じています
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
隆達節には
「梅は匂ひよ木立(こだち)は要(い)らぬ,人は心よ姿は要らぬ」
という小歌もあります。
(『戦国時代の流行歌 ~高三隆達の世界』)
幼稚園の子どもたちが来ていました。
春を探しに来たのかな(*^-^*)
巻第十三(雑歌) 3222
三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木花咲き
末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし 山そ 泣く児守る山
三諸は人が大切にする山。
ふもとには馬酔木が花をさかせ,頂には椿が花をひらく。
いつも心打つ山よ。
泣く子を守るように人々が守る山よ。
・三諸―御降(もろ)の意で神降臨の山,神ナビに同じ。
(『万葉集(三)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年 )
ツグミが「だるまさんがころんだ」と散歩していました(*^ー゜)
カワラヒワは地面で草の実などを捜していました。
ハシボソガラス〔嘴細鳥〕
ハシブトガラスと比べ嘴もやや細く,からだも小さい。
そして,何よりも額と嘴の付根が段状になっていない点が違う。
全身黒で,集団でいるとやはり気味の悪い感じがする。
ハシブトガラスと同じく,人の住むところは,どこまでも追いかけるように,
すみ場所をひろげていく鳥で,とくに人間の残す残飯,
廃棄物などに寄生したような形ですんでいる。
鳴き声は,ハシブトガラスの澄んだ声に対し〝ガア,ガア,グァーワァ〟など,
やや濁声であり,ディスプレーをするときは,
翼を広げるように下げて,尾を広げ,頭を上下にふりながら鳴く。
非情に頭のよい鳥で,1~3くらいまでの数は数えられるといわれるほどである。
(『都市のバードウォッチング・バイブル』
千羽晋示・柳沢紀夫著 朝日出版 1981年)
コサギ〔小鷺〕コウノトリ目・サギ科
〝白鷺〟の中では最もポピュラーで,数も多いのがコサギである。
狩野派がよく取り上げていたが,今でも日本画では,よく見られる。
蓮の花や枯葦と一緒に描かれることが多いが,
コサギが活発に動きまわっている姿よりも,くびを縮め,
背を丸めかげんにし,じっと立っている姿の方が多いようだ。
あの姿には淋しさと孤独と,それにちょっぴり哲学的な雰囲気がある。
コサギは繁殖期になると頭から二本の長い飾羽と肩から背に飾羽が生じる。
北半球の温帯にある日本では,繁殖期が,春から夏の間だから,
一般にはよく夏羽と言われたするが,枯れた蓮や蒲の穂とは季節が全々違うのである。
季節によってコサギも姿が違っているのだから,
絵を描くときにはそこまで気をつかって描いて欲しいものだ。
そういえば,最近描かれた絵で,
飛んでいるタンチョウ(鶴)の尾羽を黒くしているものは
ほとんど見かけなくなってきたのはよろこばしい。
あの黒い部分は翼の一部であって,尾そのものは白いからである。
これは写真の普及によるものだろう。
ダイサギは池沼の深みにじっと立ち,近くを通る魚などを捕えるが,
コサギは浅瀬を走りまわって餌を追ったり,片足を底でふるわせ,
泥中にいる生物が動きだしたところを捕える。
よく似た種類のダイサギとコサギが同じ方法,
同じ場所で餌をとっていたのでは競争になってしまい,
どちらかが滅んでしまうだろう。
ここに自然の仕組みの巧妙さを感じることができる。
コサギは池沼,河川,湿地,海岸など水辺にすんでいるが,
最近は山間の流れにまで入り込んだり,
住宅地の庭の池に現れたりすることも多くなっている。
彼らが本来必要としている自然が失われてしまっているために,
少しずつ新しい環境になじもとしているのだろうか。
それにしても十分な量の餌を確保するには住宅地の池などでは
何ヵ所もさがして飛びまわらねばならないだろうから,
広い範囲で生き残れるのはやっと一羽だけということになる。
(『都市のバードウォッチング・バイブル』千羽晋示・柳沢紀夫著)
今朝は,青空でしたが風が冷たくて
風の中に湿り気を感じたのですが…
メジロが白梅にやってきています。
梅は匂ひ,花は紅(くれない),柳は緑,人は心(草歌・春)
梅は匂いが,桜の花は紅の色が,柳は緑色が,そして人間は心こそが素晴らしい。
人間における本来の美的本質は,心の深さであると歌っています。
それは梅にとっての匂い,桜や柳にとっての色艶(いろつや)に匹敵するものだと言うのです。
(『戦国時代の流行歌 ~高三隆達の世界』小野恭靖 中公新書 2012年)
メジロにとって梅は匂いよりも(*^ー゜)
ヤマガラが…(^。^)
落ちた…
でなくて…
水浴びですp(^-^)q
スッキリしたという顔(^_^)b
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
隆達節には
「梅は匂ひよ木立(こだち)は要(い)らぬ,人は心よ姿は要らぬ」
という小歌もあります。
(『戦国時代の流行歌 ~高三隆達の世界』)
幼稚園の子どもたちが来ていました。
春を探しに来たのかな(*^-^*)
巻第十三(雑歌) 3222
三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木花咲き
末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし 山そ 泣く児守る山
三諸は人が大切にする山。
ふもとには馬酔木が花をさかせ,頂には椿が花をひらく。
いつも心打つ山よ。
泣く子を守るように人々が守る山よ。
・三諸―御降(もろ)の意で神降臨の山,神ナビに同じ。
(『万葉集(三)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年 )
ツグミが「だるまさんがころんだ」と散歩していました(*^ー゜)