日ざしが強くて暑くなってきました。
青空にひこうき雲が長く延びていました。
天気予報では、明日から明後日にかけて広く雨や雷雨があるそうです。こころの時代「命の声を届ける 作家・市川沙央」
番組の後半で市川沙央さんが「現代の社会をどう見つめているのか?
そのまなざしは 10代の頃に出会った一冊の本の中にあります。」
『人間の土地』(サン=テグジュペリ)
市川沙央)
これが、とても好きで当時は読み込んでいました。
「イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?
すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。」
この箇所は、今、この2025年にとてもアクチュアルだと思っています。
……
あれが書かれた時代(1930年代後半のフランス)
今と、ちょっと似ているかなと昨日、再読していて思いました。
だから、断絶してしまうと、その先には、もう、戦争しかないので
やはり、その手前で、何とか調整の余地を探るべきだと思いますし
マイノリティのことを、みんな、イデオロギーの問題だとしたがるんですけれども
そうではなくて、実際、生きている人の生活の問題だと思っています。
この本のことを知らなかったので、今、読んでいるところです。〝トランプ政権「相互関税」発動 60の国と地域 日本24%〟(NHK)
この60ヵ国の中にロシアは入っていないのですよね
大統領選挙でロシアの応援があったから?
それともプーチンに弱みを握られている?
一方、
「米報道官“中国への追加関税 あわせて104%に引き上げる”」(NHK)
なんか昔、見た映画「理由なき反抗」のチキンレースを思い出していました。
トランプと中国の瀬戸際外交。
中国の人民は、ゼロコロナ政策で耐えることになれているけど
アメリカ国民は、我慢強いのかな?
トランプ大統領によって多くの研究者が追われていますが、
その中から米国にとって脅威になる研究者がでてくるかも
というのは、中国のロケット開発、核開発に赤狩りが貢献しています。
映像の世紀バタフライエフェクト「ふたつの超大国 米中の百年」(2024年1月15日)
短い説明なので「銭学森(せんがくしん)」で検索してみてください。「天皇皇后両陛下 硫黄島を訪問 戦後80年で戦没者を慰霊」(NHK 4月7日)
上皇様、上皇后様のあとを継いで慰霊の旅をされている。
トランプ大統領が
「これは経済革命であり、われわれは勝利する。耐え抜け。簡単ではないが、最終的な結果は歴史的なものになる」(『有働Times』テレ朝news 4月6日)
とSNSに書き込んだそうですね…
政権内では対立が起きているようですが…
戦時中の「欲しがりません勝つまでは」などの標語を思い出させる。 落日の死闘
沖縄特攻戦
米軍の沖縄攻撃は九州沖航空戦(3月18日―20日)と那覇(なは)の空襲ではじまった。
第五航空艦隊は211機を失い、敵にわずかな打撃しか与えなかったのに、空母5その他撃沈の大戦果を誤判した。
4月1日、英機動部隊を含む1457隻、母艦機1727、上陸部隊18万3千の大部隊が嘉手納(かでな)に上陸を開始した。
(『日本の歴史25 太平洋戦争』林茂 中公文庫 2006年)
わが守備兵力は牛島満(うしじまみつる)中将の第三十二軍7万と海軍8千であり、男女中等学校生徒を含む県民2万5千人がすでに義勇隊として動員されていた。戦時中の「欲しがりません勝つまでは」などの標語を思い出させる。 落日の死闘
沖縄特攻戦
米軍の沖縄攻撃は九州沖航空戦(3月18日―20日)と那覇(なは)の空襲ではじまった。
第五航空艦隊は211機を失い、敵にわずかな打撃しか与えなかったのに、空母5その他撃沈の大戦果を誤判した。
4月1日、英機動部隊を含む1457隻、母艦機1727、上陸部隊18万3千の大部隊が嘉手納(かでな)に上陸を開始した。
(『日本の歴史25 太平洋戦争』林茂 中公文庫 2006年)
第三十二軍は硫黄島同様、持久出血作戦をとり、海軍は「天」号決戦を開始した。
これは、陸海航空戦力を集中した空の特攻攻撃と、残存する連合艦隊による海の特攻を並行させて、一撃を与える作戦である。
空の特攻攻撃は10回に及ぶ「菊水」作戦を中心に行なわれ、2571機が出撃し、撃沈――駆逐艦9その他4、損傷――戦艦9、空母10、巡洋艦4、駆逐艦58その他93の戦果をあげた。
一方、連合艦隊の可動艦艇(戦艦1、軽巡1、駆逐艦8)で編成した第二艦隊(伊藤整一<いとうせいいち>中将)は4月6日、山口県徳山から燃料片道分だけ積んで出発したが、潜水艦にとらえられて空襲を受け、旗艦「大和」は徳之島(とくのしま)沖に沈んだ。
生き残ったのは駆逐艦4隻である。 もともと、この海上特攻戦は豊田司令長官や草鹿参謀長・伊藤中将の反対をおしきった連合艦隊中堅参謀の主張にもとづいていた。
レイテの「捷(しょう)」号作戦同様、今回の作戦も、「菊水」作戦と銘打たれながら、連合艦隊司令長官らは戦闘に参加しなかった。
すでに、19年9月いらい、連合艦隊司令部は日吉(ひよし)台の慶大構内の地下壕(20―30メートル)おかれていた。
さすがに、豊田長官は参謀連の諫止(かんし)をふりきり、九州で「菊水」作戦を指揮したが、楠公湊川の討死の故事にならったはずなのに、「正成湊川に行かず」と皮肉られるかたちとなった。
伊藤中将は不本意な作戦を指導するのを潔(いさぎよ)しとしないかのように、旗艦「大和」で、いっさいを艦長有賀大佐にまかせ、「終始腕を組んで巌(いわお)の如く坐」っていた。
そして一人、沈没直前、長官私室にはいって、艦と運命を共にした。 艦内の青年将校は何を考えて死んでいったのか。
「大和」の副電測士で、奇蹟的に生き残った吉田満(よしだみつる)少尉の手記は、兵学校出身の将校が「国のため、君のため死ぬ、それでいいじゃないか」といい、学徒兵が、自分の死をもっと普遍的な価値に結びつけたいと反問していることを記している。
この論争が鉄拳の雨になったとき、収拾したのは、哨戒長臼淵大尉のつぎの結論だった。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」 沖縄本島の第三十二軍は三ヵ月にわたって持ちこたえた。
この戦いは多数の市民をまきこんだ戦いだけに、来たるべき本土決戦の縮図であった。
一般市民は生活と戦いの不安におののきながら、軍に協力していた。
この中で、とくにいたましかったのは「ひめゆり部隊」の死である。
沖縄県立師範学校女子部生徒150名と県立第一高女50名は野戦病院でかいがいしく負傷兵の看護をつづけていたが、5月26日、砲弾のふる、雨の中を島の南端へ移動していった。
そして、壕生活をつづけ、命がけで水汲み、野菜取りまでしていたが、総攻撃の前に出された解散命令をおくれて知ったひめゆり部隊は、別離の演芸会の直後、壕内に手榴弾を投げ込まれ、多くの兵士たちとともに惨死した。
彼女たちの献身的な看護と悲しい最期は、人びとの胸に深く刻み込まれることとなった。 戦いは6月23日早朝、牛島中将らの自刃で終焉(しゅうえん)し、義勇兵を含む日本軍の戦死は約11万、10万の市民も死んだ。
この間、米軍の本土空襲は激化したが、沖縄軍民の三ヵ月わたる抵抗は本土決戦準備の時間をかせぎ、米軍の本土上陸を慎重にさせることとなった。
竹槍決戦と、人間魚雷「回天(かいてん)」、人間乗りロケット爆弾「桜花(おうか)」、特殊潜航艇「蛟竜(こうりゅう)」、爆装機動艇「震洋(しんよう)」などを含む特攻作戦で、本土決戦が準備されていたとき、米軍は日本の戦意おとろえずとみて無差別爆撃をひろげ、20年11月1日に南九州に上陸する計画を立てていた。
(『日本の歴史25 太平洋戦争』林茂 中公文庫 2006年)「沖縄決戦 日本ニュース 第250号 昭和20年」(NHKアーカイブス)
「NHK特集 散華の世代からの問い~元学徒兵 吉田満の生と死~」(NHKアーカイブス 1980年度)
「戦艦大和 沈没から80年で追悼式 広島 呉」(NHK 4月7日)
明日は、母の命日です。
小学生だった母は、朝礼で校長先生から日本軍の戦果を毎日聞かされていました。
それを信じて、飛んで来た飛行機が友軍の飛行機だと思い、
手を振っていたら米軍の艦載機でした。
ビックリして逃げたそうですが、艦載機の機銃掃射で頭を打ち砕かれた人を見たり
海上から発射される艦砲射撃の暴風の中を逃げ惑いました。
竹槍訓練をしていたそうですが、その時は、真面目にしていたけど
戦争が終わってからやっと
毎日、噓を聞かされていたこと、
竹槍でアメリカ兵に立ち向かうことの愚かさを知ったと話していました。 今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラのクチコミ力がすごい!
一瞬、ぬいぐるみか?と見間違えるほど。
こんな弱々しい鳥が厳しい自然の中で生きていけるのか、と心配になってしまうが、ヤマガラは周りと仲良くすることで、自分の居場所を上手く確保している。
普通は種を越えることは難しいが、ヤマガラにとっては、敵じゃない=みんな友達、といったふうだ。
冬になると「混群」という行動を取り、他の仲良しの鳥たちに混ざって行動する。
同じ木で寝たり、同じエサを食べたり。
仲良しグループはシジュウカラ、エナガ、メジロ、コゲラなど結構他種に渡る。
ヤマガラはとにかくエサを見つける能力に優れ、クチコミ力がすごい。
「あっちにいいエサ場があったよ。みんなで行こう」と仲のいい友達に教え、集団になることで自分が敵に襲われるリスクを減らしている。
また上の枝を好むシジュウカラやエナガなどは、他の鳥よりも素早く敵の襲来に気づくため、それをまた他のみんなに教える。
弱いもの同士、お互いの得意なことを持ち寄り、持ちつもたれつ生きている。
(『子どもと一緒に覚えたい 野鳥の名前』山崎宏監修 momobook 2018年)昨日、昼ご飯を食べていたときに戦艦大和の話をしてくれました。
大和の姿を見ることはなかったのですが地響きがするくらい轟音が響いていたそうです。
(それが何の音か分からなかったといっていました)
そして沖縄への米軍の艦砲射撃の音で地響きがしたと話していました。
その時、母は、鉄の暴風の中を逃げ惑っていたのです。
父は、2018年、徳之島に帰省したときに犬田布岬(いぬたっぷみさき)にある「戦艦大和の慰霊塔」と資料館を訪ねていました。
そして沖縄への米軍の艦砲射撃の音で地響きがしたと話していました。
その時、母は、鉄の暴風の中を逃げ惑っていたのです。
父は、2018年、徳之島に帰省したときに犬田布岬(いぬたっぷみさき)にある「戦艦大和の慰霊塔」と資料館を訪ねていました。