トチノキを見ると蕾かなと思ったらハラビロカマキリの卵鞘のようです。
「近畿地方 15日にかけ大気不安定 急な雨や落雷などに注意」(関西NHK)
「雷ナウキャスト(雷活動度)」(気象庁)「米商務長官 スマホなど電子機器 相互関税とは別の関税課す方針」(NHK)
IT企業がこぞってトランプ大統領に巨額の献金をした効果がでてきたのか?
へそ曲がりの私には、時代劇で悪徳商人が悪代官に賄賂を渡している場面を思い出すなぁ……
IT関連の企業があれほどの巨額の献金をしていながら
「アップルやアマゾンなど米IT大手5社 3か月決算 全社で減益」(NHK 2月3日)
アメリカでは、企業だけでなく大量解雇が行なわれている。
まるで、突然、雷にうたれたように…
「USAID 突然の本部閉鎖と解雇通告 アメリカでの受け止めは?」(NHK 4月13日)
アメリカでは、失業者がこのまま増えつづけるのかな?先週、二日続けて引用されたのが
折々のことば 鷲田清一 3378
敵とのたたかいで家をこわされた住人に、ヒーローが謝りにくる場面を、嵩(たかし)はいちども見たことがない。
梯久美子
漫画のヒーローは街や森を平気で破壊するが、修復はしない。
同じく戦争で家を焼かれ家族を失った人に、敵国はおろか「国の偉い人」も謝らない。
「アンパンマン」の作者はそれが承服できず、誰かに助けられることで誰かを助けることができる「弱い」ヒーローを描いたと、ノンフィクション作家は言う。
『やなせたかしの生涯』から。
2025・4・10
折々のことば 鷲田清一 3379「USAID 突然の本部閉鎖と解雇通告 アメリカでの受け止めは?」(NHK 4月13日)
アメリカでは、失業者がこのまま増えつづけるのかな?先週、二日続けて引用されたのが
折々のことば 鷲田清一 3378
敵とのたたかいで家をこわされた住人に、ヒーローが謝りにくる場面を、嵩(たかし)はいちども見たことがない。
梯久美子
漫画のヒーローは街や森を平気で破壊するが、修復はしない。
同じく戦争で家を焼かれ家族を失った人に、敵国はおろか「国の偉い人」も謝らない。
「アンパンマン」の作者はそれが承服できず、誰かに助けられることで誰かを助けることができる「弱い」ヒーローを描いたと、ノンフィクション作家は言う。
『やなせたかしの生涯』から。
2025・4・10
花は決して理解できないような咲き方はしない。
風は決して難解に吹かない。
やなせたかし
「アンパンマン」の作者は、詩人であり、雑誌「詩とメルヘン」の編集者でもあった。
評伝『やなせたかしの生涯』を書いた梯久美子は、詩は詩人の独占物ではなく、「喜怒哀楽があればだれでも詩人だ」という彼に信念にふれて、この言葉を引いた。
「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」という言葉も忘れられないという。
2025・4・11梯久美子さんは、先に子ども向けの本を出されています。
あとがき
やなせたかしさんのことを、まわりの人はみな、「やなせ先生」とよんでいました。
かつて、雑誌『詩とメルヘン』の編集者だったわたしもそのひとりです。
やなせ先生は、学校の先生をしたことはないけれど、みんなが自然に「先生」とよびたくなる人でした。
この先生は、けっしていばらないし、ああしろ、こうしろとも言いません。
いつもだまって自分の仕事をしています。
でも、だれかが元気をなくしたり、ピンチに立たされたりすると、かならず助けの手をさしのべてくれるのです。
とてもさりげなく、そして、少しはずかしそうに。
(『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』梯久美子 フレーベル館 2015年) わたしは、小学生のときに「やさしいライオン」の映画を見て感動し、高校生のころから、やなせ先生が編集長をされていた『詩とメルヘン』に、詩をかいておくるようになりました。
何度か掲載されたのがうれしくて、大学を卒業すると、上京して『詩とメルヘン』を出版している会社に就職し、やなせ先生のもとで働くようになったのです。
この本の第七章に、やなせ先生がこの雑誌で、たくさんのわかい人を育てたことをかきましたが、それは詩人や画家だけではありません。
わたしのような編集者やスタッフも、先生は育ててくださいました。 わたしが二十代で会社をやめて独立したとき、やなせ先生は、ご自分のあたらしい絵本の編集の仕事を、わたしにまかせてくださいました。
なかなか仕事がなくて生活が苦しかったことをごぞんじで、助けてくださったのだと思います。
わかくて無名でまずしくて、でも、何かになりたいというこころざしをもった人に、やなせ先生はほんとうにあたたかかった。
きらめく才能よりも、いっしょうけんめいさをたいせつにして、「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」と、よくおっしゃっていました。 その後、わたしは四十歳をすぎてからはじめての本を出して、作家になりました。
先生はとてもよろこんで、雑誌の対談によんでくださいました。
そのときの会話でわたしは先生の戦争体験や、弟さんのことを知ったのです。
この本は、先生がおかきになった本や、わたしが先生から直接うかがった話をもとに、先生を支えてきたスタッフの方たちの助けをかりてかいたものです。
かきながら、先生から教わったたくさんのことを思いだしました。
そして、いつもユーモアたっぷりだった先生が、ときどき少しだけさびしげに見えた理由がわかってきて、胸が熱くなりました。 アンパンマンは、たまたま生れたヒーローではありません。
悲しいことや苦しいこともたくさん経験し、人間が生きる意味はなんだろうと先生が考えつづけた中から誕生したのです。
人はなぜ、なんのために生きるのか――やなせ先生がアンパンマンをとおして投げかけた問いを、読者のみなさんとともに、わたし自身も心にもちつづけ、考えつづけていきたいと思っています。
2015年9月 梯 久美子
(『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』梯久美子 フレーベル館 2015年)
『やなせたかしの生涯』は、後日、紹介したいと思います。今朝の父の一枚です(^^)/
母が好きだった枝垂れ桜はすっかり葉桜になり、八重桜が満開です。
桜 さくら
…前略…
桜の花に寄せるめでたさの気分は、桜が農事の吉凶を占う花として関心を引くものであったからだ。
「咲く」ことともに「散る」ことに注目されていたのはそのためであろう。
折口信夫は『古代研究』の「花の話」の中で、桜を豊穣への期待をこめて眺められた予占の花であったと述べている。
それを裏づけるように、『万葉集』に歌われた桜の多くは山野に自生するものであった。
『古今和歌集』の時代になると都の花として時めくようになる。
<見(み)わたせば柳さくらをこきまぜて宮こぞ春の錦なりける 素性>
という歌をみると、家々の庭だけでなく都大路にも桜は植えられていたのだろう。
歌人は競って桜をうたうようになった。
…後略…
(馬場あき子)
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)