出かけるときは、寒いなぁと思いましたが
歩いているうちに暑くなってきました。
気温の変化についていけないです(^_^;もう20年になるのですね
「JR福知山線脱線事故から20年 現場で慰霊式」(関西NHK)
運転手を追いつめたのは
「JR福知山線 脱線事故」(NHKアーカイブス 2005年)
〝「次ミスしたら辞めさせられる」運転士の焦り、歯車が狂い始めた事故25分前……〟(神戸新聞 2023年4月24日)朝ドラ「あんぱん」第4週「なにをして生きるのか」 (20)
嵩は受験を失敗して落ち込んでいました。
やなせたかしさんも旧制中学4年生の時に高知高等学校(現:高知大学)を受験しますが、不合格になります。
という私も高校受験も大学受験もことごとく不合格になりました。
なんとか入れる学校を見つけ受験浪人は免れました(^_^;
それどころか2年間、就職できずにアルバイトで過ごしていました。
それでも父も母も進路についてなにも言いませんでした。
内心、思うことがいっぱいあったはずですが、黙って見守ってくれたことに感謝しています。
思うような人生を歩める人はいるのかな?今月から毎月1回(~9月21日までの計6回)
シリーズ 闘うガンディー ~非暴力思想を支えた「聖典」~1 母なる「神の歌(バガヴァッド・ギーター)」が始まりました。
講師・赤松明彦さんと作家・小野正嗣さんの対話。
(テキスト『闘うガンディー 非暴力思想を支えた「聖典」』)
番組の最後に紹介されたのが
61歳を迎えたガンディーが記した「バガヴァッド・ギーター」の英訳本。
その冒頭に ガンディーは
「このように生きてゆきたい。このような者に私はなりたい」という祈りを込めた序文を掲げています。 誰に対しても嫉妬せず、
慈悲の泉であり、
エゴイズムがなく、無私であり、
寒さも暑さも幸福も不幸も
同じように扱い、
常に寛容であり、常に満足し、
善であれ悪であれ
すべての結果を放棄して、
味方も敵も同じように扱い、
尊敬にも無礼にも動じることなく、
賞賛されても高ぶることなく、
人に悪口を言われても落ちこまず、
沈黙と孤独を愛し、
鍛錬された理性を持っている、
そのような者が帰依者なのです。
(番組を見ながら宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を思い出していました)4月24日のEテレ0655に「こどもの読書週間(4月23日→5月12日)」ということで
「0655 今朝の1行目」として新美南吉の『二ひきの蛙』が紹介されていました。
『二ひきの蛙』は、以前、紹介したので南吉の童話を二つ
一年生たちとひよめ
学校へいくとちゆうに、大きな池がありました。
一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
池の中にはひよめが五六つぱ、黒くうかんでをりました
それを見ると一年生たちは、いつものやうに声をそろへて、
ひイよめ、
ひよめ、
だんごやアるに
くウぐウれツ、
とうたひました。
(『校定 新美南吉全集 第四巻』与田準一 他編 大日本図書株式会社 1980年) するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。
だんごがもらへるのをよろこんでゐるやうに見えました。
けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。
学校へゆくのにだんごなどもつてゐる子はありません。 一年生たちは、それから学校にきました。
学校では先生が教へました。
「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへん悪いことです。昔の人は、うそをつくと死んでから赤鬼に、舌べろを釘ぬきでひつこぬかれるといつたものです。うそをついてはなりません。さあ、わかつた人は手をあげて。」
みんなが手をあげました。
みんなよくわかつたからであります。 さて学校がをはると、一年生たちはまた池のふちを通りかかつたのでありました。
ひよめはやはりをりました。
一年生たちのかへりを待つてゐたかのやうに、水の上からこちらを見てゐました。
ひイよめ、
ひよめ、
と一年生たちは、いつものくせでうたひはじめました。 しかし、あのあとをつづけてうたふものはありませんでした。
「だんごやるに、くぐれ」とうたつたら、それはうそをいつたことになります。
うそをいつてはならない、と今日学校でおそはつたばかりではありませんか。
さて、どうしたものでせう。
このままいつてしまふのもざんねんです。
そしたらひよめのはうでも、さみしいと思ふにちがひありません。 そこでみんなは、かう歌ひました。
ひイよめ、
ひよめ、
だんご、やらないけれど、
くウぐウれツ
するとひよめは、やはりゐせいよく、くるりと水をくぐつたのであります。
これで、わかりました。
ひよめは今まで、だんごがほしいから、くぐつたのではありません。
一年生たちに呼びかけられるのがうれしいからくぐつたのであります。 飴だま
春のあたたかい日のこと、渡し舟に二人の小さな子供をつれた女の旅人がのりました。
舟が出やうとすると、
「おオい、ちよつとまつてくれ。」
と、どての向かふから手をふりながら、さむらひが一人走つて来て、舟にとびこみました。
舟は出ました。
さむらひは舟のまん中にどつかり坐つてゐました。
ぽかぽかあたたかいので、そのうちにゐねむりを始めました。 黒いひげをはやして、強さうなさむらひが、こつくりこつくりするので、子供たちはをかしくて、ふふふと笑ひました。
お母さんは口に指をあてて、
「だまつておいで。」
といひました。
さむらひが怒つてはたいへんだからです。
子供たちはだまりました。 しばらくするとひとりの子供が、
「かアちやん、飴だまちやうだい。」
と手をさしだしました。
すると、もうひとりの子供も、
「かアちやん、あたしにも。」
といひました。
お母さんはふところから、紙のふくろを取りだしました。
ところが、飴だまはもう一つしかありませんでした。
「あたしにちやうだい。」
「あたしにちやうだい。」 二人の子供は、りやうはうからせがみました。
飴だまは一つしかないので、お母さんはこまつてしまひました。
「いい子たちだから待つておいで、向かふへついたら買つてあげるからね。」
といつてきかせても、子供たちは、ちやうだいよオ、ちやうだいよオ、とだだをこねました。
ゐねむりをしてゐたはずのさむらひは、ぱつちり眼をあけて、子供たちがせがむのを見てゐました。 お母さんはおどろきました。
ゐねむりをじやまされたので、このおさむらひは怒つてゐるにちがひない、と思ひました。
「おとなしくしておいで。」
と、お母さんは子供たちをなだめました。
けれど子供たちはききませんでした。 するとさむらひが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子供たちのまへにやつて来ました。
お母さんはまつさをになつて、子供たちをかばひました。
ゐねむりのじやまをした子供たちを、さむらひがきりころすと思つたのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいひはいひました。 お母さんはおそるおそる飴だまをさしだいました。
さむらひはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
そして、
「そオれ。」
と二人の子供にわけてやりました。
それから、またもとのところにかへつて、こつくりこつくり眠りはじめました。
(『校定 新美南吉全集 第四巻』与田準一 他編 大日本図書株式会社 1980年)
「一年生たちとひよめ」(新美南吉顕彰会)今朝の父の一枚です(^^)/
父は「ナンジャモンジャの木」と言っています(^_-)
ヒトツバタゴ ヒトツバタゴ属
Chionanathus retusus
別名/ナンジャモンジャ〔落葉高木〕
日本では愛知県、岐阜県、対馬だけ自生する珍木のひとつ。
大きなものは高さ25~30メートルにもなる。
樹皮は灰褐色。葉は対生し、長さ4~10センチの長楕円形。
5月、本年枝の先の円錐花序に白い花を多数つける。
雌雄異株。
花冠は4深裂し、裂片は長さ1.5~2センチの線形。
果実は長さ約1センチの楕円形で黒く熟す。
○用途 庭木、公園樹
○分布 本州(愛知・岐阜県)、九州(対馬)、朝鮮、中国、台湾
昔、明治神宮外苑にあった大木は有名で、名前がわからず、ナンジャモンジャと呼ばれていた。
(『日本の樹木(旧版)』林 弥栄編 山と渓谷社 1985年)
それどころか2年間、就職できずにアルバイトで過ごしていました。
それでも父も母も進路についてなにも言いませんでした。
内心、思うことがいっぱいあったはずですが、黙って見守ってくれたことに感謝しています。
思うような人生を歩める人はいるのかな?今月から毎月1回(~9月21日までの計6回)
シリーズ 闘うガンディー ~非暴力思想を支えた「聖典」~1 母なる「神の歌(バガヴァッド・ギーター)」が始まりました。
講師・赤松明彦さんと作家・小野正嗣さんの対話。
(テキスト『闘うガンディー 非暴力思想を支えた「聖典」』)
番組の最後に紹介されたのが
61歳を迎えたガンディーが記した「バガヴァッド・ギーター」の英訳本。
その冒頭に ガンディーは
「このように生きてゆきたい。このような者に私はなりたい」という祈りを込めた序文を掲げています。 誰に対しても嫉妬せず、
慈悲の泉であり、
エゴイズムがなく、無私であり、
寒さも暑さも幸福も不幸も
同じように扱い、
常に寛容であり、常に満足し、
善であれ悪であれ
すべての結果を放棄して、
味方も敵も同じように扱い、
尊敬にも無礼にも動じることなく、
賞賛されても高ぶることなく、
人に悪口を言われても落ちこまず、
沈黙と孤独を愛し、
鍛錬された理性を持っている、
そのような者が帰依者なのです。
(番組を見ながら宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を思い出していました)4月24日のEテレ0655に「こどもの読書週間(4月23日→5月12日)」ということで
「0655 今朝の1行目」として新美南吉の『二ひきの蛙』が紹介されていました。
『二ひきの蛙』は、以前、紹介したので南吉の童話を二つ
一年生たちとひよめ
学校へいくとちゆうに、大きな池がありました。
一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
池の中にはひよめが五六つぱ、黒くうかんでをりました
それを見ると一年生たちは、いつものやうに声をそろへて、
ひイよめ、
ひよめ、
だんごやアるに
くウぐウれツ、
とうたひました。
(『校定 新美南吉全集 第四巻』与田準一 他編 大日本図書株式会社 1980年) するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。
だんごがもらへるのをよろこんでゐるやうに見えました。
けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。
学校へゆくのにだんごなどもつてゐる子はありません。 一年生たちは、それから学校にきました。
学校では先生が教へました。
「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへん悪いことです。昔の人は、うそをつくと死んでから赤鬼に、舌べろを釘ぬきでひつこぬかれるといつたものです。うそをついてはなりません。さあ、わかつた人は手をあげて。」
みんなが手をあげました。
みんなよくわかつたからであります。 さて学校がをはると、一年生たちはまた池のふちを通りかかつたのでありました。
ひよめはやはりをりました。
一年生たちのかへりを待つてゐたかのやうに、水の上からこちらを見てゐました。
ひイよめ、
ひよめ、
と一年生たちは、いつものくせでうたひはじめました。 しかし、あのあとをつづけてうたふものはありませんでした。
「だんごやるに、くぐれ」とうたつたら、それはうそをいつたことになります。
うそをいつてはならない、と今日学校でおそはつたばかりではありませんか。
さて、どうしたものでせう。
このままいつてしまふのもざんねんです。
そしたらひよめのはうでも、さみしいと思ふにちがひありません。 そこでみんなは、かう歌ひました。
ひイよめ、
ひよめ、
だんご、やらないけれど、
くウぐウれツ
するとひよめは、やはりゐせいよく、くるりと水をくぐつたのであります。
これで、わかりました。
ひよめは今まで、だんごがほしいから、くぐつたのではありません。
一年生たちに呼びかけられるのがうれしいからくぐつたのであります。 飴だま
春のあたたかい日のこと、渡し舟に二人の小さな子供をつれた女の旅人がのりました。
舟が出やうとすると、
「おオい、ちよつとまつてくれ。」
と、どての向かふから手をふりながら、さむらひが一人走つて来て、舟にとびこみました。
舟は出ました。
さむらひは舟のまん中にどつかり坐つてゐました。
ぽかぽかあたたかいので、そのうちにゐねむりを始めました。 黒いひげをはやして、強さうなさむらひが、こつくりこつくりするので、子供たちはをかしくて、ふふふと笑ひました。
お母さんは口に指をあてて、
「だまつておいで。」
といひました。
さむらひが怒つてはたいへんだからです。
子供たちはだまりました。 しばらくするとひとりの子供が、
「かアちやん、飴だまちやうだい。」
と手をさしだしました。
すると、もうひとりの子供も、
「かアちやん、あたしにも。」
といひました。
お母さんはふところから、紙のふくろを取りだしました。
ところが、飴だまはもう一つしかありませんでした。
「あたしにちやうだい。」
「あたしにちやうだい。」 二人の子供は、りやうはうからせがみました。
飴だまは一つしかないので、お母さんはこまつてしまひました。
「いい子たちだから待つておいで、向かふへついたら買つてあげるからね。」
といつてきかせても、子供たちは、ちやうだいよオ、ちやうだいよオ、とだだをこねました。
ゐねむりをしてゐたはずのさむらひは、ぱつちり眼をあけて、子供たちがせがむのを見てゐました。 お母さんはおどろきました。
ゐねむりをじやまされたので、このおさむらひは怒つてゐるにちがひない、と思ひました。
「おとなしくしておいで。」
と、お母さんは子供たちをなだめました。
けれど子供たちはききませんでした。 するとさむらひが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子供たちのまへにやつて来ました。
お母さんはまつさをになつて、子供たちをかばひました。
ゐねむりのじやまをした子供たちを、さむらひがきりころすと思つたのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいひはいひました。 お母さんはおそるおそる飴だまをさしだいました。
さむらひはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
そして、
「そオれ。」
と二人の子供にわけてやりました。
それから、またもとのところにかへつて、こつくりこつくり眠りはじめました。
(『校定 新美南吉全集 第四巻』与田準一 他編 大日本図書株式会社 1980年)
「一年生たちとひよめ」(新美南吉顕彰会)今朝の父の一枚です(^^)/
父は「ナンジャモンジャの木」と言っています(^_-)
ヒトツバタゴ ヒトツバタゴ属
Chionanathus retusus
別名/ナンジャモンジャ〔落葉高木〕
日本では愛知県、岐阜県、対馬だけ自生する珍木のひとつ。
大きなものは高さ25~30メートルにもなる。
樹皮は灰褐色。葉は対生し、長さ4~10センチの長楕円形。
5月、本年枝の先の円錐花序に白い花を多数つける。
雌雄異株。
花冠は4深裂し、裂片は長さ1.5~2センチの線形。
果実は長さ約1センチの楕円形で黒く熟す。
○用途 庭木、公園樹
○分布 本州(愛知・岐阜県)、九州(対馬)、朝鮮、中国、台湾
昔、明治神宮外苑にあった大木は有名で、名前がわからず、ナンジャモンジャと呼ばれていた。
(『日本の樹木(旧版)』林 弥栄編 山と渓谷社 1985年)