昨日は、爽やかな風が吹いていてサラッとした暑さだった。
今朝は、なんか蒸し暑い
ひこうき雲が長く伸びていて、予報では、今夜から雨。
体がまだまだ暑さに慣れていません。
いつもよりユックリと歩き、水分補給を心掛けました。 「フランシスコ教皇 “ガザ地区やウクライナでの平和実現を”」(NHK 4月20日)
退院されて復活祭のメッセージを発表されたので安心したのですが
神に召される前に平和へのメッセージを伝えたかったのだと思います。
「フランシスコ教皇死去 各国で追悼 新教皇はコンクラーベで」(NHK)
若松英輔さんの投稿
昨日は、倒れこむように寝てしまった。
感じていたよりも教皇フランシスコの逝去がこたえたのだと思う。
彼が語り、体現したことは素朴で「弱い人」とともにあれ、ということだった。
ここでいう「弱さ」は「愚かさ」ではない。
むしろ教皇は愚劣さとたたかった人でもあった。
彼の生涯と言葉は消えない。
4月 イースターと移動祭日
◆イースター(復活祭) Easter
キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。 (一 コリント十五・14)
使徒パウロが右のごとく語ったように、イエス・キリストが死から甦ったことは、キリスト教の告げる福音の核心である。
これを記念するのがイースターであり、キリスト教で最大かつ、もっとも古くから祝われている祭日だ。
東方教会では「祭りの祭り、祝いの祝い」と称して、とくに盛大に祝う。
また、東西いずれの教会でも、信者であればせめて年に一度この日だけは礼拝に出て、告解し聖体を受けるようにすすめている。
そのため、ふだん教会に行かなくてもこの日だけは足を運ぶ、という人もいる。
カトリック圏で「復活祭に聖体拝領するようなもの」といえば、それは最低限の義務、はずせない定番の意味となる。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷凉子 講談社学術文庫 2016年) 英語のイースター(Easter)は、アングロサクソン神話における暁もしくは春の女神エイオストレ(Eostre; Eastre)の名から派生したものと考えられている。
いっぽう、ドイツ語で復活祭を表すオースターン(Ostern)は、ゲルマン神話の春の女神アウストロ(Austro)を語源とするいう説もある。
この女神はギリシャ神話の曙の女神エーオース(Eos)、そしてローマ神話のアウローラ(Aurora)と同格とされている。
すなわち、厳しい冬が終わって新しい命が芽生える「春の祭り」が背景にある。 これに対して、ギリシャ語のパスカ、ラテン語のパスクア(Pascha;Pascua)、フランスのパック(Pâques)など、多くのヨーロッパ言語では、ユダヤ教の過越祭(ヘブライ語でパスハー Pesah;Pesach)に当たる語を、そのまま転用している。
日本においては、春祭でも過越祭でもなく、キリスト教の核心をずばりついた復活祭(復活大祭、カトリックでは旧くは吾主御復活の大祝日)の語を使っているのは興味深いところだ(中華圏でも復活主日、復活節、基督復活日など「復活」の文字を使う)。
なお、復活祭は俳句でも春の季語となっている。
パスカから派生した名前・姓はとくにイタリアおよびフランスに多い。
パスカーレ(Pasquale)、パスコ(Pasco)、パスカル(Pascal)などはその一例である。
…後略…
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷凉子 講談社学術文庫 2016年)ご自分が指名したのにね…
去年、議長を交代させると影響が大きいことを分かっていたのか?
〝米 トランプ次期大統領「FRBパウエル議長の交代考えていない」〟(2024年12月9日)
第1期の時は、共和党で良識的な人が側にいて、大統領の暴走を止めたけど
今期は、同じ穴の狢の集団でブレーキどころかアクセルを踏んでいる。
かつて日銀総裁白川方明(しらかわまさあき)氏を批判していた首相がいた。
白川氏から黒田氏になった時に思わず「白」から「黒」になったと思いました。
黒田氏から植田氏に変わったのだけど
「金融緩和の副作用」を克服し日銀を立て直すことができるのか、悲観的になります。
前回、野口悠紀雄さんの
『マネーの魔術史―支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか―』
を紹介しました。
今日、紹介するのは山本謙三さんの『異次元緩和の罪と罰』
「試し読み」で「まえがき」を読むことができます。アメリカ大統領が気まぐれのようにコロコロと変える関税政策。
側近には、博士号を持っているエリートや経営者として優秀な人が取りまいているのだけど……
第3章 異次元緩和の「罪」その1
すべては物価目標2%の絶対視から始まった
マクナマラの誤謬
数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」という。
マクナマラとは、ケネディ政権下で国防長官を務めたロバート・S・マクナマラに由来する。
若き頃から神童と呼ばれたマクナマラは、カリフォルニア大学、ハーヴァード大学に学び、ビッグ3の一翼を担う巨大自動車メーカー、フォードに入社。
ほどなく重役になり、44歳にして社長に上り詰めた。
(『異次元緩和の罪と罰』山本謙三 講談社現代新書 2024年) そして、マクナマラは、ケネディ政権成立とともに国防長官に抜擢された。
経営者時代に培った近代経営学的手法を駆使して、陸海空三軍に予算配分方式を導入、国防計画に<費用=効果分析>の手法を導入した。
ベトナム戦争が「マクナマラの戦争」と呼ばれたように、ケネディ政権下の軍事介入開始からジョンソン政権における介入の本格化までの政策を主導した。 マクナマラは、得意のデータ分析を駆使して、「北爆」と呼ばれる大規模爆撃を敢行。
多数の兵力を投入し、ベトナム戦争を勝利しようとしたが、ベトナム人の激しい抵抗を受けて、戦争は長期化し、アメリカ陣営が戦死者20万~25万人、北ベトナム・解放戦線側が戦死者110万人、民間人の死傷者が約200万人という泥沼の戦争を招いた。 2023年にNHKが放送したテレビ番組「映像の世紀 バタフライエフェクト:ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」によると、マクナマラは、米国が支援する南ベトナム軍とこれに対抗する南ベトナム解放戦線(ベトコン)の戦闘について、ベトコン側の兵士の死者数を数えれば、相手勢力の能力低下の度合いを測定できると考えた。
そこで戦争遂行の目標に敵兵士の死者数を掲げて、ついには、米国の各軍隊に敵兵士の死者数を数えるための将校を配置したという。 米国ハーヴァード大学のビジネススクールで一時教鞭をとったエリートらしい合理的な理論と実践だったが、ベトナムでは愛国心をもつ多くの人民がベトコン側につき、ゲリラ活動でアメリカ・南ベトナム連合軍に抵抗した。
米国内で厭戦気分が広がり、各地で反戦運動が高まった。
マクナマラにとって、ベトナム人民やアメリカ国民の心の動きは計算外だった。
結局、アメリカ軍は1973年、ベトナムから撤退を開始。
1975年に南ベトナム解放戦線の手によってサイゴン(現ホーチミン市)は陥落し、ベトナム戦争が終結した。
(『異次元緩和の罪と罰』山本謙三 講談社現代新書 2024年)