2025年1月1日水曜日

穏やかな年になりますように

青空の朝を迎えることができました。
みなさんにとって穏やかで良い年でありますように願っています。
私の1年のスタートは、リハビリ散歩です。

世界遺産 熊野那智大社 初詣でにぎわう 和歌山 那智勝浦町」(和歌山 NHK)

1年経ったけど
能登半島地震から1年 被災地では・・生活再建 そして復興へ」(石川NHK)
 通りますと岩戸の関のこなたより春へふみ出すけさの日の足
               智惠内子(ちえのないし)

『徳和歌後万歳集』巻一春。
江戸時代天明期に全盛を誇ったいわゆる天明狂歌の女流第一人者。
号は古来の女官名内侍(ないし)をもじり、あわせて知恵が無い女と洒落たもの。
夫であるもとの木網(もくあみ)も狂歌界元老の一人だった。
「通ります」は当時関所を通る時通行人がいった決まり文句で、歌は天の岩戸の神話をふまえて、新しい年の日の足(月日の歩み)が、年の変り目の関所を新春へ一歩踏み出す図である。
教養豊かな女流の作は、さすがに優雅でのびやか。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)
  3 庶民の生活感覚  

 …前略…

 いま問題になっている男女差別も、狂歌の世界にはなかった。
女も狂歌の集まりには、自由に参加することができた。
中でも有名なのが、智惠内侍(ちえのないし)だ。
彼女は元木網(もとのもくあみ)の妻である。
銭湯のおかみさんである。
もう一人の女流狂歌師、朱楽菅江(あけらかんこう)の妻の節松嫁嫁(ふしまつのかか)と当時の人気を二分していた。
(『江戸狂歌』なだいなだ 岩波書店 1986年)
 もともと、男女差別は武士社会のもので、体力よりは知力にたよる町人の世界では、女性は実力通りの評価をうけていた。
節松嫁嫁は朱楽菅江の妻であり、つまり武士の妻であるが、夫の死後は、狂歌のグループの指導者として活躍することになる。
それも狂歌の世界だから、可能だったのかもしれない。
 このように、江戸時代でも女性の地位が高い部分のあったことを、どうかすると現代人は忘れている。
明治以後は軍国主義とともに一時全国的に男社会になったが、それ以前の江戸の町人の間では女性の地位はこのように、高かったのだ。
狂歌はそうした庶民の生活の存在を、ぼくたちに思い出させる働きもしている。
  肝心の知恵の内子は御留守にて
    亭坊馬鹿に成給ふ哉

とは、平秩東作(へべつとうさく)が智惠内侍夫妻の姿を歌った歌である。
当の智惠内侍の歌はどんなものであったろうか。
彼女の作に、

  そろばんの玉々おきしさぶ六が
     くにへかへるはにくの十八

というのがある。
家に小僧として奉公していた、信濃生まれのわかものが、十八歳になって、やぶいりであろう、初めて休暇をもらって帰る姿を詠んだ歌だ。
国を九と二と読み替え、さかさにして二九の十八と計算し、小僧の名前の三六の十八にかけた、計算上手を見せたような歌だ。
さすが商人の妻、暗算が早い。
それと同時にやとい人に対するやさしい心づかいが感じられる。
いい女主人であったに違いない。
  信濃ものかへりの足はかるゐさは
      馴染(なじみ)うすひの山こえて行く

という歌も添えている。
軽井沢の軽いに足の軽さをかけ、碓氷峠の碓氷に馴染みの薄いとかけた、軽快な調子の歌である。
商家のおかみらしく、計算もうまいが、心も優しいところを見せている。
 他方、節松嫁嫁の方も、朱楽菅江が人にうらやまれるような、よく出来た女性であったらしい。
「花の下帰るを忘れる」と題したこんな作がある。

  よしや又うちは野となれ山桜
     ちらずはねにもかへらざらなん  

 桜見物で家に帰らない亭主を皮肉った歌のようだが、良人の朱楽菅江が吉原に居続けして帰って来なかった時に送ってやったものだという。
花の散るのを根にかえるという。
それを寝に帰るにかけてしゃれたのである。
 彼女が死んだとき、朱楽菅江はすでに先立っていたが、蜀山人は

   ふしまつの嫁々さまことしゆかれけり
         さぞや待つらんあけら菅江

と歌っている。
当時の狂歌仲間の人間関係がこの歌からも感じとられるだろう。
菅江と嫁嫁は仲の良い夫婦だったらしい。
 彼女自身のうたをもう一つ紹介しておこう。

   うかうかと長き夜すがらあくがれて
      月に鼻毛の数やよまれん

風流、風流と一晩どこぞで月見をして、奥さんを放り出しておいて、翌日は仕事も手につかず居眠りじゃないの。
いい気なもんね。
お月様に鼻毛をよまれているんじゃないの、と揶揄(やゆ)している。
女性から見れば、お月見の風流なんていい気なものに見えたのであろう。
お月見の風流がしばしば吉原に流れたりするのを、彼女はお見通しだったわけだ。
名前はふしまつだが、実際は少しもふしまつではなかったらしい。
(『江戸狂歌』なだいなだ 岩波書店 1986年)

「日本の伝統」だといって男女差別などをなくすことに反対する方がいますが、
「明治からの伝統」という言葉に訂正していただきたいと思います。

2 件のコメント:

  1. あけましておめでとうございます

    穏やかな日和の元旦でしたね。
    狂歌って楽しいなかに上手に暮らすコツを教えられるように思います。

    年越しそば、お節をみんなで一緒にのお正月でした。
    狂歌が作れたら、お正月はお客さんで呼ばれたいと作りたいです(#^.^#)


    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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    1. カイさんあけましておめでとうございます

      今朝は、父と二人で穏やかな青空のもと歩いてきました。
      >狂歌って楽しいなかに上手に暮らすコツ
      があり、そのユーモアが外国との付き合いで失われたのではないかなと思っています。

      >狂歌が作れたら、お正月はお客さんで呼ばれたいと作りたいです(#^.^#)

      母も大晦日は、お節料理を作るのにてんてこ舞いしていたことを思い出しました。

      本年もどうぞよろしくお願いします

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