風が吹いていなかったので日ざしの暖かさを感じていました。
明日は、雨が降る予報なので…
「厳しい冷え込み 積雪1m超も 都心は今シーズン初の冬日」(NHK)昨日は、今週、父の診察があるので血液検査と尿検査で病院へ
父が貼り紙を見て「高いな!」と言うので掲示板を見ると
インフルエンザワクチン予防接種:一般 4,400円(税込)
新型コロナワクチン予防接種:一般 16,500円(税込)
私や父の場合は重症化リスクがあるので市からの補助がありますが
この値段だと若い人は受けないだろうなぁ
ワクチン反対派の人たちが集会やデモをしなくてもいいのと違うかな?
私が側について受け付けをマイナンバーでしましたが
後期高齢者にとって機械の操作は難しい!
病院へ向かう途中で覚えたので「暗証番号」を押そうとしたのだけど
幅が狭く「顔認証」をタッチしてしまった。
画面が変わるたびに次々質問項目が出てくるのだけど???になっていた。
「マイナ受付」(厚生労働省)今日は、
小寒
二十四節気の一つ。冬至より15日目。
寒の入りともいう。
この日から節分までの約30日間を寒の内といい、寒さも本格的になる。
小寒は大寒の前の意味であり、厳寒とまではいかない時期をいうが、「小寒の氷大寒にとく」といわれるように、大寒より寒い日も多い。
寒に入って四日目を寒四郎、九日目を寒九という。
(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)前回、谷川俊太郎さんの「平和」を転記しながら思い出した本
戦争と平和 ある観察
3 「状態」としての平和
戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。
だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。
戦争が大幅にエントロピーの増大を許すのに対して、平和は絶えずエネルギーを費やして負のエントロピー(ネゲントロピー)を注入して秩序を立て直しつづけなければならない。
一般にエントロピーの低い状態、たとえば生体の秩序性はそのようにして維持されるのである。
エントロピーの増大は死に至る過程である。
秩序を維持するほうが格段に難しいのは、部屋を散らかすのと片づけるとの違いである。
戦争で散らかす「過程」が優勢である。
戦争は男性の中の散らかす「子ども性」が水を得た魚のようになる。
(『戦争と平和 ある観察[増補新装版]』中井久夫 人文書院 2022年) ここで、エントロピーの低い状態を「秩序」と言ったが、硬直的な格子のような秩序ではない。
それなら全体主義国家で、これはしなやかでゆらぎのある秩序(生命がその代表である)よりも実はエントロピー(無秩序性)が高いはずである。
快適をめざして整えられた部屋と強迫的に整理された部屋の違いといおうか。
全体主義的な秩序は、硬直的であって、自己維持性が弱く、しばしばそれ自体が戦争準備状態である。
さもなくば裏にほしいままの腐敗が生まれている。
負のエントロピーを生み出すためには高いエントロピー(無秩序)をどこかに排出しなければならない。
部屋の整理でいえば、片づけられたものの始末であり、現在の問題でいえば整然とした都市とその大量の廃棄物との関係である。
かつての帝国主義の植民地、社会主義国の収容所列島、スラム、多くの差別などなどが、そのしわよせの場だったかもしれない。
それでも足りなければ、戦争がかっこうの排泄場となる。
マキャベリは「国家には時々排泄しなければならないものが溜まる」といった。
しばしば国家は内部の葛藤や矛盾や対立の排泄のために戦争を行なってきた。 これに対して平和維持の努力は何よりもまず、しなやかでゆらぎのある秩序を維持しつづける努力である。
しかし、この〝免震構造〟の構築と維持のために刻々要する膨大なエネルギーは一般の目に映らない。
平和が珠玉のごとくみえるのは戦時中および終戦後しばらくであり、平和が続くにつれて「すべて世はこともなし」「面白いことないなぁ」と当然視され「平和ボケ」と蔑視される。
すなわち、平和が続くにつれて家庭も社会も世間も国家も、全体の様相は複雑化、不明瞭化し、見渡しが利かなくなる。
平和の時代は戦争に比べて大事件に乏しい。
人生に個人の生命を越えた(みせかかの)意義づけをせず、「生き甲斐」を与えない。
これらが「退屈」感を生む。
平和は「状態」でるから起承転結がないようにみえる。
平和は、人に社会の中に埋没した平凡な一生を送らせる。
人を引きつけるナラティヴ(物語)にならない。
「戦記」は多いが「平和物語」はない。
世界に稀な長期の平和である江戸時代250年に「崇高な犠牲的行為」の出番は乏しく、1702年に赤穂浪士の起こした事件が繰り返し語り継がれていった。
後は佐倉惣五郎、八百屋お七か。
現在でも小康状態の時は犯罪記事が一面を飾る。
平和運動においても語り継がれる大部分は実は「戦争体験」である。
これは陰画(ネガ)としての平和である。
体験者を越えて語り継ぐことのできる戦争体験もあるが、語り継げないものもある。
戦争体験を繰り返し語られるうちに陳腐化を避けようとして一方では「忠臣蔵」の美学に近づき、一方ではダンテの『神曲・地獄篇』の酸鼻に近づく。
戦争を知らない人が耳を傾けるためには単純化と極端化と物語化は避けがたい。
そして真剣な平和希求は、すでに西ドイツの若者の冷戦下のスローガンのように、消極的な“Ohne mich”(自分抜きでやってくれ)にとって変わってゆきがちである。
「反戦」はただちに平和の構築にならない。
さらに、平和においては、戦争とは逆に、多くの問題が棚卸しされ、あげつらわれる。
戦争においては隠蔽されるか大目に見られる多くの不正が明るみに出る。
実情に反して、社会の堕落は戦時ではなく平和時のほうが意識される。
社会の要求水準が高くなる。
そこに人性としての疑いとやっかみが交じる。 人間は現在の傾向がいつまでも続くような「外挿法思考」に慣れているので、未来は今よりも冴えないものにみえ、暗くさえ感じられ、社会全体が慢性の欲求不満状態に陥りやすい。
社会の統一性は、平和な時代には見失われがちであり、空疎な言説のうちに消えがちである。
経済循環の結果として、周期的に失業と不況とにおびえるようになる。
被害感は強くなり、自分だけが疎外されているような感覚が生まれ、責任者を見つけようとする動きが煽られる。
平和時の指導層は責任の重く、疎外され、戦時の隠れた不正に比べれば些細な非をあげつらわれる。
指導者と民衆の同一視は普通行なわれず、指導者は嘲笑の的にされがちで、社会の集団的結合力が乏しくなる。
指導者の平和維持の努力が評価されるのは半世紀から一世紀後である。
すなわち、棺を覆うてなお定まらない。
浅薄な眼には若者に限らず戦争はカッコよく平和はダサイと見えるようになる。 時とともに若い時にも戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになる。
長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する。
その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしているが、戦争とはどういうものか、そうして、どのように終結させるか、その得失は何であるかは考える能力も経験もなく、この欠落を自覚さえしなくなる。
戦争に対する民衆の心理的バリヤーもまた低下する。
国家社会の永続と安全に関係しない末梢的な摩擦に際しても容易に煽動されるようになる。
たとえば国境線についての些細な対立がいかに重大な不正、侮辱、軽視とされ、「ばかにするな」「なめるな」の大合唱となってきたことか。
歴史上その例に事欠かない。 そして、ある日、人は戦争に直面する。
第一次大戦開始の際のドイツ宰相ベートマン=ホルヴェークは前任者に「どうしてこういうことになったんだ」と問われて「それがわかったらねぇ」と嘆息したという。
太平洋戦争の開戦直前、指導層は「ジリ貧よりもドカ貧を選ぶ」といって、そのとおりになった。
必要十分の根拠を以て開戦することは、1939年、ソ連に事実上の併合を迫られたフィンランドの他、なかなか思いつかない。
(『戦争と平和 ある観察[増補新装版]』中井久夫 人文書院 2022年)
「映画『無名兵士』から見るフィンランドとソ連の戦争と領土認識」(石野裕子国士舘大学)