石清水八幡宮駅から石清水八幡宮参道ケーブルに乗って
いつもならケーブルの車内には数人の参拝客を乗せているだけなのに
今朝は、立つ人がいるくらいで大勢の参拝客がいました。 88 石清水八幡宮石灯籠(重文)
男山(おとこやま)の山頂に鎮座する石清水八幡宮は一に男山八幡宮ともいい、伏見稲荷大社とともに京都南郊の屈指の神社として崇敬されている。
当社は初め山中に湧き出る清泉を神社化したものであるが、貞観(じょうがん)元年(859)奈良大安寺の僧行教(ぎょうきょう)が九州の宇佐八幡を勧請祭祀したことから朝野の崇敬をあつめた。
とくに源氏はこの神をもって氏神(うじがみ)と仰いだから、八幡信仰は武家のあいだに大いにひろまり、神仏習合時代には神社としてよりも仏寺として栄えた。
往時は山上山下にわたって多くの堂舎僧坊がいらかを並べ、江戸末期においてもなお23坊を数えた。
(『京の石造美術めぐり』竹村俊則著、加登藤信撮影 京都新聞社 1990年) その盛時を物語る石灯籠は、境内一ノ鳥居付近より本社前の参道両側と本社の周辺に群集し、その数は320余基に及んでいる。
奈良の春日大社の石灯籠1800基、大阪の住吉大社の560基余に次いで多い。
もっとも江戸時代以後のものが多く、従来はあまり関心はもたれなかったが、近年鎌倉時代後期の古い石灯籠がみつかり、識者の注目をあつめるにいたった。 その石灯籠は本社の書院中庭にあって、門外からでもよく見える。
高さ2.16メートル、花崗岩製。六角型。
基礎側面に格狭間(こうざま)を入れ、その上にさらに一段を設け、単弁の反花(かえりばな)を刻みだしている。
このため反花の面積が狭くなる反面、ひきしまりがあるのは京都・滋賀地方にみる特色の一つである。 また竿の中節(ちゅうせつ)は小さな珠をならべた連珠文帯とし、中台は下端に大きな単弁六葉を配し、隅に小花を入れ、側面は薄くして各面を二区に分っている。
おおらかで、豊かな中台である。
火袋(ひぶくろ)は火口を広くとり、上方に竪連子(たてれんじ)、下方にそれぞれ格狭間を入れる。
笠は軒の厚さや反りが少なく、蕨手(わらびて)やその他全体に軽快にとり扱っている。
笠の頂上に請花(うけばな)を作りだすのも京都系の手法である。
ただし宝珠は後補。
なお竿の中節に永仁三年(1295)の銘があり、均整のよくとれた鎌倉後期の代表的な遺品として、国の重要文化財に指定されている。
(『京の石造美術めぐり』竹村俊則著、加登藤信撮影 京都新聞社 1990年)
今日は、門が開いていました。
私は、手を合わせるだけですが、父は長い時間祈っていました。
お参りした後、お守りを妹や姪のために求めていました。今朝は、青空が広がっていたのですが、冷たい風が吹いていました。再びケーブルに乗って石清水八幡宮駅で
父は大阪方面に、私は中書島駅へ向かいました。駅に着くと12時前だったので駅からすぐのお店にあった
メニューにひかれて入りました(^_-)
店内は、1階は6席のテーブルと3席のカウンターですが、2階もあるようです。
店のホームページを見ると「年始は、1月7日(火)より営業します」
運が良かった(^_^)v
「Cafeゆきかぐれ」店内は、1階は6席のテーブルと3席のカウンターですが、2階もあるようです。
店のホームページを見ると「年始は、1月7日(火)より営業します」
運が良かった(^_^)v
店内にはカレーの美味しそうな香りが漂っていたので
次回来ることがあればカレーを食べようかな(^_-)
お店の人にお寺までの道を聞いたら略図を下さった。 長建寺(ちょうけんじ)
長建寺は、中書島駅の約220m東北、宇治川派流に面して立つ真言宗の寺で、弁財天を本尊とする。
中書島開拓にあたって伏見奉行建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が、1699(元禄12)年、深草大亀谷(おおかめだに)の多門院(たもんいん)を移したものといい、奉行の名とその長命息災を祈ることから長建寺と名づけたという。
近くに中書島遊郭があり、遊女(ゆうじょ)たちから遊芸の神としておおいに信仰を集め、江戸時代には船渡御(ふなとぎょ)なども催される壮大な例祭が行なわれていた。
(『京都府の歴史散歩 中』京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 2011年) 小さな境内であるが、朱塗りの塀や山門が目を引き、いかにも「弁天さん」を本尊とする艶(なま)めかしい雰囲気がある。
川を挟んで対面には、酒蔵を改造して資料館とした月桂冠大倉(げっけいかんおおくら)記念館の背面が望まれ、目前の川には、今、伏見十石舟の発着場が設けられている。
(『京都府の歴史散歩 中』京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 2011年)
かわの情報誌「さらさ 2021秋号 No.115」に
「宇治川派流の歴史と河川利用について~伏見港と十石舟の運航~」 辨天型燈籠一基
奉納 建部内匠頭政宇(たつべたくみのかみまさのき)
元禄 十二年 十二月
伏見奉行に着任してすぐ奉納されている。
同じく、御香宮、藤森神社、にも奉納
奉行の伏見への意気込みがうかがわれる。長建寺を訪ねようと思ったのは
KBS京都テレビ 京都浪漫 悠久の物語
「第161回 新春巳年~いろいろな蛇の福にあやかる~」
をみて年男の私としては行かなければと思ったのですが
番組では紹介されていなかったのが「マリア燈籠」と伝えられている石灯籠。
説明板が長年の風雨で文字がかすれて読めませんでした。
ネットで検索すると
もとはこの付近にあったお茶屋の隠れ座敷に置かれていたもののようです。
地蔵尊の立ち姿と違って
胸に手をあてて祈っている姿に見えました。 “三十石船に時を知らせた”
この鐘楼は標準より大きく、又立派な建物です。
従って鐘も立派なもので江戸時代は往来する人々に時をしらせていました。
しかし太平洋戦争時に軍に供出され、大砲の一部となりました。
建物だけは保存するべく「みくじ舎」としました。この「杭」は江戸時代、前の川(弁天浜)で三十石船を停泊させる時に使われていました。空蝉が登っていました(^。^)
この後、見たかったのが… 〝「伏見教会」への小道が現存〟(「キリシタン大名 高山右近と京都伏見」月桂冠)
ほんの5mほどの道です。
でも、高山右近が歩いていたんだと…
子どもたちの声が聞こえてきました。
隣は小学校です。
「高山右近ゆかりの伏見教会」(「高山右近と京都伏見」月桂冠)
以前、伏見を歩いた時は高山右近のことを想像もしませんでした。
ただ、坂本龍馬の足跡を訪ねていました。
見たいなと思いながら訪ねていない所が多いので
いつか伏見の街歩きをしたいなと思いました。
いつか伏見の街歩きをしたいなと思いました。
こんばんは~
返信削除今日は寒かったですね。
石清水八幡宮さまへのお詣り。
お元気にお父様もご一緒でよかったです。
中書島は乗換駅としか思っていなくて。。。
長建寺や伏見教会など行ってみたくなりました。(#^.^#)
また、京都街歩きの時に伏見あたりへも行ってみたいです。
有難うございました。
その時に、酒粕入りおから炒り煮を食べてみたいです。(#^.^#)
カイさんおはようございます(^^)/
返信削除今朝も父と一緒に公園を歩いてきました。
昨日のように冷たい風が吹きつけていました。
父が公園を歩いているのは、年に2回、八幡さんにお参りしたいからもあるのです!
>京都街歩きの時に伏見あたりへも行ってみたいです。
ブラタモリの「東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ」を見ていて徳川家康が晩年駿府にいた時代のまえ
江戸よりも伏見にいた期間が長いことをグラフ化しているのを見てへ~っと思いました。
また今夜から始まる
Eテレ「3か月でマスターする江戸時代」(午後9時半~)のテキストを昨日買ってきてパラパラとめくると
〝江戸幕府は「伏見」が発祥だった〟という記事もありました。
これから京都の街歩きに伏見ももっと歩きたいなと思いました。