トチノキを見上げるとクリスマスツリーのような花が咲いていました。 江川紹子さんがリツイートしていた記事。
〝IOC重鎮に本音を聞いた「五輪は開催する」けど「感染拡大なら日本に責任」… 埋まらない世論との溝、海外メディアも悲観的なまま〟(長谷部良太 NumberWeb 4月18日)
そして、
(昨年10月の所信表明)2021年前半
↓
(今年1月の予算委員会)2021年6月
↓
(イマ)ワクチン、9月までに全員分めど
「ワクチン、9月までに全員分めど ファイザー製追加供給―菅首相」(JIJI.COM)
ソウセンキョノマエニハ!!
岩永直子さんのTwitterに
4月9日に西浦先生に取材して、10日に記事を公開。
19日に知事が緊急事態宣言を要請する方針を明らかにし、20日に正式決定するそうです。
10日間のタイムラグ。
〝「大阪、兵庫はすぐさま『緊急事態宣言』をうつべき」 8割おじさんが懸念する背筋の寒くなる大流行〟
岩波書店のTwitterに
【今日の名言】
地上をあまりいい気になって濶歩するでない。
別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。
――井筒俊彦訳『コーラン』(中)
4月19日
明治13年(1880)
『新約聖書』翻訳完成祝賀会を新栄(しんさかえ)教会で開催。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)
『文語訳 新約聖書 詩篇付』より解説「明治元訳」を転記しますφ(..)
解説 鈴木範久
「明治元訳」
1858(安政5)年、日米修好通商条約が結ばれるやいなや、翌年、最初に来日した宣教師は、C.M.ウイリアムス( Channing M.Williams、アメリカ聖公会)、ヘボン( James C.Hepburn、アメリカ長老教会)、S.R.ブラウン( Samuel R.Brown、アメリカ・オランダ改革派教会)らである。
いずれもアメリカ人宣教師であり、中国伝道の経験者であった。
(『文語訳 新約聖書 詩篇付』岩波文庫 2014年)
彼らは来日したものの、いまだ日本ではキリスト教は禁制であったから、近い将来の伝道にそなえて、日本語の学習と聖書の日本語訳の準備を開始する。4月9日に西浦先生に取材して、10日に記事を公開。
19日に知事が緊急事態宣言を要請する方針を明らかにし、20日に正式決定するそうです。
10日間のタイムラグ。
〝「大阪、兵庫はすぐさま『緊急事態宣言』をうつべき」 8割おじさんが懸念する背筋の寒くなる大流行〟
岩波書店のTwitterに
【今日の名言】
地上をあまりいい気になって濶歩するでない。
別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。
――井筒俊彦訳『コーラン』(中)
4月19日
明治13年(1880)
『新約聖書』翻訳完成祝賀会を新栄(しんさかえ)教会で開催。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)
『文語訳 新約聖書 詩篇付』より解説「明治元訳」を転記しますφ(..)
解説 鈴木範久
「明治元訳」
1858(安政5)年、日米修好通商条約が結ばれるやいなや、翌年、最初に来日した宣教師は、C.M.ウイリアムス( Channing M.Williams、アメリカ聖公会)、ヘボン( James C.Hepburn、アメリカ長老教会)、S.R.ブラウン( Samuel R.Brown、アメリカ・オランダ改革派教会)らである。
いずれもアメリカ人宣教師であり、中国伝道の経験者であった。
(『文語訳 新約聖書 詩篇付』岩波文庫 2014年)
まもなくヘボン、ブラウン共訳の『新約聖書馬可〔マルコ〕伝』、『新約聖書約翰〔ヨハネ〕伝』が1872(明治5)年に刊行された。 翌1873年、キリシタン禁制の高札が撤去され、キリスト教の伝道は黙認。
前年の宣教師会議により設けられていた新約聖書翻訳委員会の公然とした活動が始まる。
その中心人物は、やはりヘボンやブラウンであり、日本人助手として奥野昌綱、松山高吉、高橋五郎らが協力した。
訳了した部分から分冊として刊行され、新約聖書全巻の翻訳は1879(明治12)年に完成、翌年一冊本として刊行された。
これと1887(明治20)年に完成をみる旧約聖書とをあわせて「明治元訳」あるいは「委員会訳」と称されている。
ここでは「元訳」と称することにする。 翻訳にあたり、委員の宣教師たちは、ギリシア語の『公認本文』とも言われる Textus Receptus(テキストゥス・レセプトゥス)を参考にしたが、右に述べたように、いずれも中国での伝道経験者であった。
また、日本人協力者は漢文に通暁した識者であった。
その結果、中国で刊行されていた中国語訳聖書が大きな影響を与えた。
その代表例が「カミ」の訳語である。
中国では「カミ」の訳語をめぐり、カトリックでは「典礼問題」が起こったが、プロテスタントにおいても「用語問題」が生じた。
結局、プロテスタントでは、委員の間の意見が分かれ、主としてアメリカ側は「神」、イギリス側は「上帝」を用いた聖書を刊行する。
アメリカ人のヘボンやブラウンが参考にした中国語訳は前者であったから、日本語の「元訳」は「神」となる。 「元訳」の翻訳作業の過程においては、できるだけ平易な、だれにも読みやすい文体を主張する宣教師側と、聖典らしい重々しい漢文体を主張する日本人側との間に対立があったとされる。
したがって出来上がった聖書には、双方の主張の妥協がみられた。
たとえば、「馬可〔マルコ〕伝福音書」14章のイエスが捕られられる場面で、「逮捕の者」(51節)の「逮捕」には「とりて」という振りがなが付されている。
漢字と振りがなとの分離である。
漢字だけ読めば日本人側、振りがなだけ読めば宣教師側、それぞれの主張が通った表記になる。 それでも「元訳」は、用語と文体の上でアメリカ系の中国語訳聖書の影響を強くうけた聖書といってよい。
そのため、伝道者が「神」を説いても、従来の日本の神々と比較して新鮮味がなく傾聴しようとする日本人は少なかった。
この結果、いかに古来の日本の神々と違うかを区別することが伝道者にとり大きな課題になる。
聖書に記された「神」を、「上帝」や「天帝」と言い換えて説いたり、「神」を使うばあいにも「真神」などの表現が動員された(山本秀煌「伝道の草分」、卜部太郎編『日本伝道 めぐみのあと』アルパ社書店、1930年)。 「元訳」は、宣教師と日本人協力者間の対立で、当時の日本文としては独自の文体となった。
それは新約聖書では評価されなかったが、植村正久らが協力した旧約聖書の「詩編」や「雅歌」は、ただの聖書の翻訳にとどまらず一文学作品とまでみなされるほど、明治期の新体詩をはじめとする日本の近代文学に少なからぬ影響を与えた。
旧約聖書の「元訳」については「詩編」の解説で改めてとりあげたい。
(『文語訳 新約聖書 詩篇付』岩波文庫 2014年)昨日の夕方、買い物から帰ってくると車になにか激しく当たる音が聞えてきました。
近くの車を見ると氷のようなものが跳ねていました。
〝「春の嵐」大量のひょう 温泉地は季節外れの雪化粧(2021年4月18日)〟 (ANNnews)
春雨
(前略)
日本では四季を通じて、大粒の雨が降る。
雨滴の大きさと落下速度の関係は、直径1ミリの場合は秒速4メートル、2ミリで6メートル、3ミリで7.5メートル。
氷の粒の雹(ひょう)になると、直径1センチ 秒速14メートル、2センチ 20メートル、3センチ 28メートルで、こうなると、もはや天から落ちてくる凶器である。
(後略)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
昨日、従兄弟から電話がありました。
叔母が入所している高齢者施設でクラスターがあり、叔母も熱があるとのこと。
入院できたのかなぁ…
「新型コロナ 感染拡大に歯止めかからず 医療体制のひっ迫続く」(関西NHK 4月18日)