黒い雲が空を覆うと
風が吹いてきて寒かったです。
「4日日中 寒さは緩みそう」(えりの気象日記 2月3日) 田村淳さんのTwitterに
【ご報告】
犬山市の方には大変申し訳ないですが…
JOC森会長の発言を受け、
聖火ランナー辞退します。
https://youtu.be/3uKnDJWVTV8
森会長はJOC会長じゃなくて、
東京2020組織委員会の会長でした。
JOCの会長は山下泰裕さんです。
訂正してお詫び致します。
安田菜津紀さんのTwitterに
森喜朗さん、五輪憲章を読まれたことがありますか。
「適切な手段により、あらゆる階層および組織において女性のスポーツ振興を強く奨励する。
とりわけ国内ならびに国際スポーツ組織の執行部においてこれを推進し、男女平等の原則の完全実施を目指す」
そして岩田健太郎さんのTwitterには
神戸大学医学研究科の教授会はかつて無駄に長かったが女性教授は数人しかいなかった。
会議が短くなったのはメンバーが若返ったから。
中村かさねさんのTwitterに
森喜朗氏の「女がたくさんいると会議は時間がかかる」発言、海外メディアもさっそく報じてます。
NYTは問題の本質をついていると思う。
森発言は問題だけど、本当の問題は誰も彼に抗議しなかったこと。
まさに。。
「東京オリンピックのチーフが会議で女性の制限を提案」(ニューヨークタイムズ)
朝日の元記事を読んでも、本当に不愉快なのが、「わきまえる」発言に対して他のメンバーが笑ったという反応。
心底ムカつくけど、目に浮かぶようです。
誰か1人でも抗議していたら、受け止め方はずいぶん違ったと思う。
オリンピックという平等を掲げる大会の公式会合なのに、本当に残念すぎる。
精神論でオリンピックを開催しようとしている日本。
戦前・戦中の特攻隊や一億玉砕と同じで、はては一億総懺悔と言い出すのかな!
年齢を重ねても日野原重明さんのように柔軟な考え方で人々に影響を与えた人もいる。そんな思いでいると夕刊の記事にビックリ!
〝私に定年はない 90歳の「世界最高齢」総務部員〟(朝日新聞)
動画もアップされていました。
〝90歳の玉置泰子さん「世界最高齢総務部員」としてギネス認定〟(朝日新聞 YouTube)
伝道の書
第 一二 章
一 あなたの若い日に、あなたの造(つく)り主(ぬし)を覚(おぼ)えよ。悪(あ)しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」というようにならない前に、
二 また日や光(ひかり)や、月や星の暗くならない前に、雨の後(のち)にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。
三 その日になると、家を守る者は震(ふる)え、力のある人はかがみ、ひきおこす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、
四 町の門は閉(と)ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。
五 彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。
六 その後(のち)、銀のひもは切れ、金の皿は砕(くだ)け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。
七 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授(さず)けた神に帰る。
八 伝道者は言う、「空(くう)の空、いっさいは空である」と。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
九 さらに伝道者は知恵があるゆえに、知識を民(たみ)に教えた。彼はよく考え、尋ねきわめ、あまたの箴言(しんげん)をまとめた。
一〇 伝道者は麗(うるわ)しい言葉を得ようとつとめた。また彼は真実の言葉を正しく書きしるした。
一一 知者の言葉は突(つ)き棒のようであり、またよく打った釘(くぎ)のようなものであって、ひとりの牧者(ぼくしゃ)から出た言葉が集められたものである。
一二 わが子よ、これら以外の事にも心を用(もち)いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。
一三 事の帰(き)する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分(ほんぶん)である。
一四 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
前から「伝道の書」(コヘレトの言葉)は、不思議な書だなと思っていました。
その疑問を解いてくださったのは小友聡さんの
「それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉」でした。
全6回シリーズで4回が終っています。
テキストより一部転記しますφ(..)
第1回「コヘレトの言葉」とは何か
8 先が見通せないコヘレトの時代
(前略)
旧約聖書の最後の記述がなされたのは、紀元前200年以降です。
先述したように、私はこの時期に「コヘレトの言葉」が書かれたと考えています。
コヘレトの時代、ユダヤ人社会は不安定で、先が見通せない状況でした。
そんな社会情勢が背景にあったと考えると、コヘレトが悲観的、否定的なものの見方をするのもうなずけるのではないでしょうか。
(『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友聡 NHK出版 2020年)
コヘレトは、「足の速い者のために競争があるのでもなく、勇士のために戦いがあるのでもない」(9章11節)と語ります。
これが「箴言(しんげん)」の世界だったら、「足の速い者のために競争があり、勇士のために戦いがあるのだ」となるでしょう。
「箴言」の時代は、正しく生きていれば報(むく)われる社会でした。
しかし、コヘレトの時代には、平和な時代の応報思想は通用しません。
神を信じたからといって、豊かになる保証はない。
それどころか、明日の命さえ危ういような、先を見通せない時代。
これをどう生きるかについて考えたのが「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」だったのです。
世界はこの先、どうなるかわからない。
必ずしも足の速い者が勝つわけではなく、力の強い者が勝つわけでもない。
それは、現代もまったく同じです。
「コヘレトの言葉」は、現代の私たちに「どう生きるか」と問いかける書なのです。
第2回 人生のはかなさを知る全6回シリーズで4回が終っています。
テキストより一部転記しますφ(..)
第1回「コヘレトの言葉」とは何か
8 先が見通せないコヘレトの時代
(前略)
旧約聖書の最後の記述がなされたのは、紀元前200年以降です。
先述したように、私はこの時期に「コヘレトの言葉」が書かれたと考えています。
コヘレトの時代、ユダヤ人社会は不安定で、先が見通せない状況でした。
そんな社会情勢が背景にあったと考えると、コヘレトが悲観的、否定的なものの見方をするのもうなずけるのではないでしょうか。
(『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友聡 NHK出版 2020年)
コヘレトは、「足の速い者のために競争があるのでもなく、勇士のために戦いがあるのでもない」(9章11節)と語ります。
これが「箴言(しんげん)」の世界だったら、「足の速い者のために競争があり、勇士のために戦いがあるのだ」となるでしょう。
「箴言」の時代は、正しく生きていれば報(むく)われる社会でした。
しかし、コヘレトの時代には、平和な時代の応報思想は通用しません。
神を信じたからといって、豊かになる保証はない。
それどころか、明日の命さえ危ういような、先を見通せない時代。
これをどう生きるかについて考えたのが「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」だったのです。
世界はこの先、どうなるかわからない。
必ずしも足の速い者が勝つわけではなく、力の強い者が勝つわけでもない。
それは、現代もまったく同じです。
「コヘレトの言葉」は、現代の私たちに「どう生きるか」と問いかける書なのです。
1「空」といったい何か
(前略)
この「空」とは、いったいどういう意味でしょうか。
「空」は、原語のヘブライ語では「ヘベル」です。
旧約聖書では、偶像礼拝のことを「ヘベル」と否定的に評価する用例がたくさんあります。
ヘベルには、「空しさ」のほかに、「無益」「無意味」という否定的な意味があることが読み取れます。 第1回でも述べたように、1987年に出版された「新共同訳聖書」では、「空の空、一切は空である」は「なんという空しさ、すべては空しい」と訳されていました。
この冒頭の言葉は、「コヘレトの言葉」の最後でも繰り返されます。
最初から最後まで、コヘレトは「空」、つまり「ヘベル」と言い続けます。
ヘベルという単語は、なんとこの書に38回も出てきます。
旧約聖書全体で73回ですから、いかにこの書にヘベル多いかがわかります。
(中略)
確かに「空しい」という言葉が38回も出てくれば、誰だって空しくなるでしょう。
ヘベルを「空しい」と解釈すれば、コヘレトという人は、やはり世を儚む厭世主義者で、「コヘレトの言葉」は「危険なテクスト」のように思えます。
「コヘレトの言葉」が、旧約聖書の中で異端の書と言われるゆえんです。
2 すべては空であり、風を追うようなこと
コヘレトは、「空」に加えて「風」という言葉もよく使っています。
「すべては空である」のあとに「風を追うようなことだ」をつけて、決まり文句として繰り返すのです。
(中略)
「風」は、原語のヘブライ語「ルーアハ」を訳したものです。
ルーアハは、旧約聖書では「息」や「霊」とも訳されています。
消えていくもの、儚いものを意味する言葉だと考えていいでしょう。
コヘレトは、ヘベルが風を追うように、空しく、空虚で、無意味だということを表しているのでしょうか。 「これもまた空であり、風を追うようなことである」は、宮下志郎氏の言った「色即是空。空即是色」を連想させる、仏教の無常観(むじょうかん)に通じる一文です。
『平家物語』の一節「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響(ひびき)あり」を思い出す人もいるでしょう。
あるいは『方丈記(ほうじょうき)』の「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」を連想する人もいるかもしれません。
聖書の中に、そんな仏教的な思想があるとすれば、驚きです。
コヘレトは、そのような仏教的な思想でもって「すべては空である」と表現しているのでしょうか。
いや、この一文をもって、「コヘレトの言葉」を仏教と結びつけて解釈するのは私の本意ではありません。
コヘレトには、独自の思想と意図があるのです。
(『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友聡 NHK出版 2020年)
その独自の思想や意図については、テキストや番組をご覧ください。
今朝の父の一枚です(^^)v
アトリ(左♀、右♂)を写していました。
アトリは万葉集にも登場します。
巻第二十 4339
国巡(めぐ)るあとりかまけり行(ゆ)き巡(めぐ)り帰(かひ)り来(く)までに斎(いは)ひて待たね
右の一首は、刑部虫麻呂(おさかべのむしまろ)。
国々を渡るアトリ・カマ・ケリのように任地を回って帰って来るまで、斎戒(さいかい)して待っていてくれ。
▽第二句の「あとり」は、秋に北から渡来するスズメ目アトリ科の小鳥。
「かま」は「鴨」の東国語形であろう。
「けり」はチドリ科の水鳥ケリ。
以上3種の鳥はいずれも渡り鳥で「行き巡り」の序詞になる。
「かひり」は「かへり」、「くまで」は「来るまで」の東国語形。
「斎ふ」は、旅人の無事を祈って家人が行動を慎み、忌みを守って過ごすこと。
そうして待ってくれと願う。
作者名に身分を書かないのは、一般の兵士なのであろう。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)