青空に浮かぶ雲(積雲)をみているともこもこいしていて、
父が夏の入道雲みたいだなと話していました。
「18日にかけ近畿北部中心に大雪」(えりの気象日記 2月17日)今回の福島宮城地震の時に荒木健太郎さんがTwitterで
「地震雲」を不安に思われる方が多くいらっしゃるようですが、雲は地震の前兆にはなりません。
巷で「地震雲」と呼ばれることの多い雲は全て気象学で説明できる子たちで、
雲の見た目から地震の影響等を判断するのは不可能です。
雲は愛でつつ、地震には日頃から備えましょう。
「地震雲」を不安に思われている方へ
昨日の岩波書店のTwitterに
今日は #安吾忌 、小説家・坂口安吾の命日です(1955年)。
1946年発表の「堕落論」「白痴」により一躍時代の寵児となった安吾。
「デカダン」は当時の流行語となり、
安吾の反骨精神や枠にはまらない嗜好は戦後青年の思考や行動に大いに影響を与えました。
後日、坂口安吾の作品を転記したいなと思っていますp(^^)q
先週の歴史秘話ヒストリア
「1300年 奇跡のリレー 国宝 聖林寺十一面観音」(2月10日)
を見ていて、発病前に奈良を訪ねる時の参考にしていた岩波文庫を思い出しました。
この本を寝る前に布団の中で読んでいたので、バラバラになってしまい新たに購入したほどです。
でも、聖林寺の十一面観音の記述が誤解を招いたようです(^_-)-☆
聖林寺を訪ねた時に、それは誤解だという話を聞きました。
岩波文庫とちくま学芸文庫から出ていますが、ちくま学芸文庫が「初版」を基にしています。
和辻哲郎が十一面観音と出会った時(1918年)、奈良国立博物館で展示されていたようです。
十 (聖林寺十一面観音)
だが、聖林寺(しょうりんじ)の十一面観音は偉大な作だと思う。
肩のあたりに少し気になるところがないでもないけれども、全体の印象を傷(きずつ)けるほどではない。
これを三月堂のような建築のなかで、あらゆる周囲の美しさの内に浮かべて見たら、あのいきいきとした豊麗さはどんなに輝いて見えることだろう。
(『初版 古寺巡礼』和辻哲郎 ちくま学芸文庫 2012年)
仏教の経典が仏菩薩(ぶつぼさつ)の形象を詳細に丹念に描写していることは、人の知る通りである。
何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。
これは先ず第一に浄土に於ける諸仏の幻像の描写である。
また何人も法華経を指してそれが幻像の書でないとは云い得まい。
それは先ず第一に仏を主人公とする大きな戯曲的詩である。
観無量寿(かんむりょうじゅ)経の如(ごと)きは、特に詳細にこれらの幻像を描いている。
仏徒はそれに基(もとづ)いて、自(みずか)らの眼を以てそれらの幻像を見るべく努力した。
観仏は彼等の内生の重大な要素であった。
ここに「仏像」がいかに刺激の多い、生きた役目をつとめたかは、注意するまでもあるまい。
――これらの心的背景の内から我々の観音は生れ出たのである。
何人が作者であるかは我々は知らない。
しかし何人にもあれ、兎(と)に角(かく)彼は、最も明(あきら)かな幻像を自らの眼によって見た人であるに相違がない。
観世音菩薩は衆生(しゅじょう)をその困難から救う絶大の力と慈悲とを持っている。
彼に救われるためには、ただ彼を念ずればいい。
彼は境に応じて、時に仏身を現じ、時には梵天(ぼんてん)の身を現ずる。
そうして衆生を度脱(どだつ)し、衆生に無畏(むい)を施す。
――かくの如(ごと)き菩薩はいかなる形貌(けいぼう)を供えていなければならないか。
先ず第一にそれは最も人間離れした、超人的な威厳を持っていなくてはならぬ。
と同時に、最も人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ。
それは根本に於(おい)ては人間でない。
しかし人体を藉(か)りて現われることによって、人体を神的な清浄と美とに高めるのである。
儀規(ぎき)は左手に澡瓶(そうへい)を把(と)ることを命じ、或(あるい)は頭上の諸面が菩薩面・瞋(しん)面・大笑(たいしょう)面等であることを定める。
しかしそれは幻像の重大な部分ではない。
頭上の面はただ宝冠の如く見えさればいい。
左手の瓶もただ姿勢の変化のために役立てば結構である。
重大なのはやはり人間の心を強く動かす超人らしさと人間らしさとの結合であって、そこに作者の幻想の飛翔し得る充分の余地がある。
かくて我(わが)十一面観音は、幾多の経典や幾多の仏像によって培(つちか)われた、永い、深い、そうしてまた自由な、或(ある)作家の幻像を結晶させた。
そこには印度(インド)の限りなく縦(ほしいま)まな神話の痕跡も認められる。
半裸の人体に清浄や美を看取することは、極東の民族の気質にはなかったであろう。
またそこには抽象的な空想のなかへ写実の美を注ぎ込んだ健陀羅(ガンダーラ)人の心も認められる。
あのような肉づけの微妙さと確かさ、あのような衣のひだの真に迫った美しさ、それは極東の美術の伝統にはなかった。
また沙海(しゃかい)のほとりに住んで雪山の彼方に地上の楽園を望んだ中央亜細亜(アジア)の民の、烈(はげ)しい憧憬の心も認めれる。
写実であった、しかも人間以上のものを現わす強い理想芸術の香気は、怪物の如き砂漠の脅迫と離して考えることが出来ぬ。
更(さら)にまた極東に於ける文化の絶頂、諸文化融合の鎔炉(ようろ)、あらゆるものを豊満のうちに極度に推し進めた大唐の気分は、全身を濃い雰囲気の如くに包んでいる。
それは異国情緒を単に異国情緒に終らしめない。
憧憬を単に憧憬に終らしめない。
人間の心を奥底から掘り返し、人間の体を中核まで突き徹(とお)し、そこに摑(つか)まれた人間の形而上的要求と神秘なる感性の美とを、一挙にして一つの形象に結晶せしめたのである。
かくの如き偉大な芸術の作家が、我(わが)島国の製作家であったかどうかは、我々は知らない。を見ていて、発病前に奈良を訪ねる時の参考にしていた岩波文庫を思い出しました。
この本を寝る前に布団の中で読んでいたので、バラバラになってしまい新たに購入したほどです。
でも、聖林寺の十一面観音の記述が誤解を招いたようです(^_-)-☆
聖林寺を訪ねた時に、それは誤解だという話を聞きました。
岩波文庫とちくま学芸文庫から出ていますが、ちくま学芸文庫が「初版」を基にしています。
和辻哲郎が十一面観音と出会った時(1918年)、奈良国立博物館で展示されていたようです。
十 (聖林寺十一面観音)
だが、聖林寺(しょうりんじ)の十一面観音は偉大な作だと思う。
肩のあたりに少し気になるところがないでもないけれども、全体の印象を傷(きずつ)けるほどではない。
これを三月堂のような建築のなかで、あらゆる周囲の美しさの内に浮かべて見たら、あのいきいきとした豊麗さはどんなに輝いて見えることだろう。
(『初版 古寺巡礼』和辻哲郎 ちくま学芸文庫 2012年)
仏教の経典が仏菩薩(ぶつぼさつ)の形象を詳細に丹念に描写していることは、人の知る通りである。
何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。
これは先ず第一に浄土に於ける諸仏の幻像の描写である。
また何人も法華経を指してそれが幻像の書でないとは云い得まい。
それは先ず第一に仏を主人公とする大きな戯曲的詩である。
観無量寿(かんむりょうじゅ)経の如(ごと)きは、特に詳細にこれらの幻像を描いている。
仏徒はそれに基(もとづ)いて、自(みずか)らの眼を以てそれらの幻像を見るべく努力した。
観仏は彼等の内生の重大な要素であった。
ここに「仏像」がいかに刺激の多い、生きた役目をつとめたかは、注意するまでもあるまい。
――これらの心的背景の内から我々の観音は生れ出たのである。
何人が作者であるかは我々は知らない。
しかし何人にもあれ、兎(と)に角(かく)彼は、最も明(あきら)かな幻像を自らの眼によって見た人であるに相違がない。
観世音菩薩は衆生(しゅじょう)をその困難から救う絶大の力と慈悲とを持っている。
彼に救われるためには、ただ彼を念ずればいい。
彼は境に応じて、時に仏身を現じ、時には梵天(ぼんてん)の身を現ずる。
そうして衆生を度脱(どだつ)し、衆生に無畏(むい)を施す。
――かくの如(ごと)き菩薩はいかなる形貌(けいぼう)を供えていなければならないか。
先ず第一にそれは最も人間離れした、超人的な威厳を持っていなくてはならぬ。
と同時に、最も人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ。
それは根本に於(おい)ては人間でない。
しかし人体を藉(か)りて現われることによって、人体を神的な清浄と美とに高めるのである。
儀規(ぎき)は左手に澡瓶(そうへい)を把(と)ることを命じ、或(あるい)は頭上の諸面が菩薩面・瞋(しん)面・大笑(たいしょう)面等であることを定める。
しかしそれは幻像の重大な部分ではない。
頭上の面はただ宝冠の如く見えさればいい。
左手の瓶もただ姿勢の変化のために役立てば結構である。
重大なのはやはり人間の心を強く動かす超人らしさと人間らしさとの結合であって、そこに作者の幻想の飛翔し得る充分の余地がある。
かくて我(わが)十一面観音は、幾多の経典や幾多の仏像によって培(つちか)われた、永い、深い、そうしてまた自由な、或(ある)作家の幻像を結晶させた。
そこには印度(インド)の限りなく縦(ほしいま)まな神話の痕跡も認められる。
半裸の人体に清浄や美を看取することは、極東の民族の気質にはなかったであろう。
またそこには抽象的な空想のなかへ写実の美を注ぎ込んだ健陀羅(ガンダーラ)人の心も認められる。
あのような肉づけの微妙さと確かさ、あのような衣のひだの真に迫った美しさ、それは極東の美術の伝統にはなかった。
また沙海(しゃかい)のほとりに住んで雪山の彼方に地上の楽園を望んだ中央亜細亜(アジア)の民の、烈(はげ)しい憧憬の心も認めれる。
写実であった、しかも人間以上のものを現わす強い理想芸術の香気は、怪物の如き砂漠の脅迫と離して考えることが出来ぬ。
更(さら)にまた極東に於ける文化の絶頂、諸文化融合の鎔炉(ようろ)、あらゆるものを豊満のうちに極度に推し進めた大唐の気分は、全身を濃い雰囲気の如くに包んでいる。
それは異国情緒を単に異国情緒に終らしめない。
憧憬を単に憧憬に終らしめない。
人間の心を奥底から掘り返し、人間の体を中核まで突き徹(とお)し、そこに摑(つか)まれた人間の形而上的要求と神秘なる感性の美とを、一挙にして一つの形象に結晶せしめたのである。
しかし唐の融合文化うちに生まれた人も、養われた人も、黄海を越えて我風光明媚な内海にはいって来た時に、何等(なんら)か心情の変移するを感じないであろうか。
漠々たる黄土の大陸と、十六の少女の如く可憐なる大和の山水と、それが何等か気分の転換を要求しないであろうか。
そこに変化を認めるならば、また製作家の心眼に映ずる幻像にもそこばくの変化を認めずばなるまい。
例えば顔面の表情が、大陸らしくボーッとしたところを失って、細(こま)やかに、幾分鋭くなっている如きは、その証拠と見るわけに行かないだろうか。
我々は聖林寺十一面観音の前に立つ。
そうしてこの像が我々の国土にあって幻視せられたものであることを感ずる。
その幻視は作者の気稟(きひん)と離し難いが我々はその気稟にも或秘めやかな親しみを感じないではいられない。
僕はそれを細部の亙(わた)って説明することは出来ぬ。
がとにかく唐代の遺物に対する時に感ずる少許(しょうきょ)の他人らしさは、この像の前では全然感じない。従ってこの像の方により多くの魅力がある。
きれの長い、半ば閉じられた眼、厚ぼったい瞼(まぶた)、ふくよかな唇、鋭くない鼻、――総て我々が見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあとも認められなければ、また超人を現わす特殊な相好(そうごう)があるわけでもない。
しかし我々はそこに神々しい威厳を、人間のものならぬ美しさとを感ずる。
薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人間の心と運命とを見とおす観自在の眼(まなこ)である。
豊かに結ばれた唇には、刀刃(とうじん)の堅きを段段に壊(やぶ)り、或(あるい)は風濤(ふうとう)洪水の暴力を和(なごや)かに鎮(しず)むる無限の力強さがある。
円く肉づいた頬は、肉感性の幸福を暗示するどころか、人間の淫欲を抑滅し尽(つく)そうとする程に気高い。
これらの相好が黒漆(こくしつ)の地に浮き出ているほのかな金色に輝いているところを見ると、我々は否応なしに感じさせられる、確かにそれは観音の顔であって、人間の顔ではない。
この顔をうけて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。
それは露(あら)わな肌が黒と金に輝いているばかりではない。
肉づけが豊満でありながら、肥満の感じを与えない如(ごと)き、四肢のしなやかさが柔らかい衣の皺(ひだ)にも腕や手の円さにも充分現わされていながら、しかもその底に強鋼な意力の閃(ひら)めきを持っている如き、総てこの気高さの印象の因をなす。
殊(こと)にこの重々しかるべき五体が、重力の法則を超越するかのようにいかにも軽やかな、浮現せる如き趣を見せていることは、この印象の因として見のがし難い。
かすかな大気の流れが観音の前面にやや下方より突き当たって、ゆるやかに後の方へと流れ行く、――その心持(こころもち)は体にまといついた衣の皺の流れ工合で、明(あきら)かに現わされている。
それは観音の出現が、虚空での出来事であり、また運動と離し難いものであるために、必然の構図として試みられることかも知れぬ。
しかしそれがこの像に於ける如く成功している場合には、ただ右の如き想念を現わすに留まらず、体全体に地上のものならぬ貴さを加えるように思われる。
肩より胸、或は腰のあたりをめぐって、腕から足に垂れる天衣の工合も、体を取り巻く曲線装飾として、或は肩や腕の触角を暗示する微妙な補助手段として、極めて成功したものである。
左右の腕の位置の変化は、天衣の左右整斉とからみあって、体全体に、流るる如く自由な、そうして均勢を失わない、快いリズムを投げかけている。 横から眺めると更(さら)に新しい驚きが我々に迫って来る。
肩から胴へと流れ下る肉づけの確かさ、力強さ。
またその釣合の微妙な美しさ。
これこそ真に写実の何であるかを知っている巨腕の製作である。
我々は観音を見てその写実的成功の何如(いかん)を最初に心に浮べはしない。
しかし浅薄な写実や、あらわな不自然が、少しでも認められる場合には、その像の神々しさも美しさも、悉(ことごと)く破壊し去られたるが如き印象を受ける。
だからこの種の像には写実的透徹という事は、論ずる迄もない必須の条件として、最初より予期せられているのだと思う。
けれどもまた、この像くらい立派な写実を根拠として立っているのを見ると、今更らしく感嘆しないではいられない心持にもなる。
この像の強味は確かに、この鋭い写実という点から出発するのである。
――さてこのような偉大な作品が、昔はどういう取扱いをうけていたか。
作者の名が忘却せられた位は何でもない。
実をいうと、五十年ほど前に、この像は路傍にころがしてあったのである。
尤(もっと)もこれは人から伝え聞いた話で、歴史的にどれほど確(たしか)であるかは保証の限りでないが、とにかくその人の説によると、この像はもと三輪山(みわやま)の神宮寺(じんぐうじ)の本尊であった。
そうして神仏分離の際に、明治維新を誘導した古神道の権威によって、残酷にも路傍に放棄せられるような悲運に逢った。
もとよりこの放逐された偶像を、自分の手に引取ろうとする篤志家などは、この界隈にはなかった。
そこで幾日も幾日も、我(わが)気高い観音は、埃(ほこり)にまみれて雑草のなかに横たわっていた。
或日(あるひ)偶然に、聖林寺という小さな真宗寺の住職がそこを通りかかって、これは勿体(もったい)ない、誰も拾い手がないのなら拙僧がお守を致そう、と云って自分の寺は運んで行った。――
(『初版 古寺巡礼』和辻哲郎 ちくま学芸文庫 2012年)
歴史秘話ヒストリアでは、
大御輪寺(だいごりんじ)の本尊十一面観音を譲り受けた資料が紹介されていました。
「フェノロサも見惚れた十一面観音立像」(聖林寺)
今朝の父の一枚です(^_^)v
コゲラが木の中に潜んでいた虫を見つけてくれたようです。
キツツキは脳に損傷を受けるほど木をつつく
(前略)
またキツツキは木をつつくことで穴を開け、木の中深く隠れている昆虫を捕まえます。
キツツキの舌はとても長く、口の中に収まりません。
ふだんは口の中から首の横を抜けて、後頭部から頭上へ、くるりと頭蓋骨を1周しています。
先端には粘着性の唾液とトゲが装備され、エイリアンの口吻のごとく伸びて虫を追いつめるのです。
彼らは1秒間に20回の猛スピードで木をつつき、穴をうがちます。
その衝撃は交通事故レベルともいわれ、キツツキが脳震盪を起こさないのはなぜか、興味をそそられます。
木とくちばしの接触時間が1000分の1秒と短くて衝撃が少ない、脳が頭蓋骨にピタリと収まって揺れにくい、頭蓋骨の一部がスポンジ状なので衝撃が分散される、顎や首のマッチョな筋肉が衝撃を受けとめて緩和する、などがその理由とされています。
しかし最近、キツツキの脳は、やはり衝撃による損傷を受けているという研究が発表されました。
「タウタンパク質」という、アルツハイマー型認知症の主要原因物質ではないかといわれる物質が、ほかの鳥より多く溜っているというのです。
それでもなお、つつき続ける彼らは、ジョーやロッキー並みのファイターなのです。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)