あまりの寒さにヒラタアブが枯葉に隠れていた(布団代わり?)。
エナガが羽毛をくわえていたのは、巣作りを始めたのかな?
寒さが戻ったけど、鳥たちが巣作りを始めたり
アンズの花やサンシュユの花などを見ていると
季節は、春に近づいているのだなと実感します。「自民、1回接種の可否検討 新型コロナワクチン」(産経新聞 2月22日)
は、「政治的な判断になる」
なかのとおるさんのTwitterに
『「1回接種で免疫不十分、新たな変異を出現させる恐れ」…米の首席医療顧問が警告 』(読売新聞 2月9日)
大丈夫じゃないわなぁ、ワクチン一回接種案。
こういう危険が指摘されてるんだから。
続けて
〝新型コロナワクチン、1回接種「難しい」 田村厚労相〟(時事通信)
あたりまえですわな。
医師の処方を無視して自己判断で薬をやめたり、加減するとどれだけ危険か! 『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』より
「まえがき」の続きと「あとがき」を転記しますφ(..)
「モノノケ」に対して日本人の捉え方が大きく変わってきていることがわかり面白いです。
「モノノケ」に対して日本人の捉え方が大きく変わってきていることがわかり面白いです。
囲碁や双六、将棋がモノノケ退治に使われていたのには、ビックリしました。
(「まえがき」くらいは「試し読み」できるようにすればいいのにと思います)
(「まえがき」続き)
そこで本書は、史料に基づき、モノノケと幽霊、怨霊、妖怪を区別して述べる。
まず、古代の霊魂観がいかなるものであり、モノノケがどのように畏怖されはじめ、さらに中世を通じていかに対処されてきたのかを具体的に明らかにしていく。
近世になって、モノノケは、幽霊などと混淆(こんこう)して捉えられるようになる。
現在のイメージするモノノケのはじまりと見ていいだろう。
そこで、中世の幽霊についても説明し、近世におけるモノノケ観の展開について考察する。
そして、近世を経てどのように近代、さらには現代に至っているのか、明らかにしていきたい。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)
序章では、まず古代の霊魂観について述べる。
古代には、霊魂は体からしばしば抜け出ては帰ってくるものだと考えられており、霊魂が体に戻れない状態になると死が訪れると考えられていた。
体から抜け出た霊魂は、往生できない場合には、しばしばモノノケとして病や死をもたらすとされ恐れられていた。
後にモノノケと混同されるようになっていく幽霊、怨霊、物怪、妖怪と比較して論じることで、古代のモノノケの姿を浮かび上がらせたい。
第一章では、モノノケを恐れた古代の貴族による対処方法について明らかにする。(「まえがき」続き)
そこで本書は、史料に基づき、モノノケと幽霊、怨霊、妖怪を区別して述べる。
まず、古代の霊魂観がいかなるものであり、モノノケがどのように畏怖されはじめ、さらに中世を通じていかに対処されてきたのかを具体的に明らかにしていく。
近世になって、モノノケは、幽霊などと混淆(こんこう)して捉えられるようになる。
現在のイメージするモノノケのはじまりと見ていいだろう。
そこで、中世の幽霊についても説明し、近世におけるモノノケ観の展開について考察する。
そして、近世を経てどのように近代、さらには現代に至っているのか、明らかにしていきたい。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)
序章では、まず古代の霊魂観について述べる。
古代には、霊魂は体からしばしば抜け出ては帰ってくるものだと考えられており、霊魂が体に戻れない状態になると死が訪れると考えられていた。
体から抜け出た霊魂は、往生できない場合には、しばしばモノノケとして病や死をもたらすとされ恐れられていた。
後にモノノケと混同されるようになっていく幽霊、怨霊、物怪、妖怪と比較して論じることで、古代のモノノケの姿を浮かび上がらせたい。
死霊は、神に通じる面を持ち、現世に生きる人間に大きな影響を及ぼすとして畏怖されただけでなく、人殺しを依頼されるなど、人間の都合の良いように利用されることもあった。
そこで、人間と死霊との関係についても考えてみたい。 第二章では、僧が祈禱によってモノノケを退散させる手順を具体的に明らかにする。
さらに、囲碁や双六(すごろく)、将棋によってモノノケ退治が行われるようになるなど、手段が多様化する点について注目する。
このような変化は、モノノケを原因とする病をより確実に治していくために模索された結果によるものである。
少なくとも中世前期までは、モノノケは病をもたらす実に恐ろしい存在であった。
中世後期でも、前期ほどではないにしろ、依然としてモノノケは病気の原因の一つであり続けた。
ただし、治療の方法には、変化を確認でき、治療法からモノノケ観が垣間見(かいまみ)える。 第三章では、中世の幽霊がいかなるものであったかを明らかにする。
近世になるとモノノケと幽霊は混同されるようになり、現代の幽霊は古代・中世のモノノケの性質を継承しているため、幽霊に紙幅を割(さ)く。
現在、幽霊というと死霊を指すが、実は中世では死者や死体そのものも幽霊であり、人間に祟(たた)る性質は持たなかった。
つまり、モノノケとは全く異なる存在であったのである。
それが近世になると、幽霊はモノノケと混同されるようになり、祟る性質を持たされるようになる。
そこで本章では、中世の幽霊を扱い、同じく死霊であるモノノケとの違いについて考えてみたい。
第四章では、近世になり祟る性質を持つ幽霊が多く登場すること、いわば幽霊のモノノケ化を、霊魂観の変遷に触れながら、具体的な事例を示して述べる。
近世には、モノノケ、幽霊、怨霊、妖怪、化物が混淆して捉えられるようになり、前代のようには恐れられなくなっていく。
モノノケは、対処を必要とされるものではなくなり、主に文芸作品で語られる対象となっていったのである。
本章では、近世に人気を博した『稲生物怪録(いのうもののけろく)』などを分析し、娯楽の対象とされるようになったモノノケについて述べる。 第五章では、まず、明治政府が文明開化を推進しようとするなか淫祠邪教(いんしじゃきょう)や迷信の否定がなされたことを述べる。
西洋文化の流入とともに、モノノケや妖怪、幽霊がどのように語られるようになったかを見ていく。
終章では、マイノリティの象徴とされたり、自然を守る神とされたり、キャラクター化されたりして関心を集めるようになるなど、モノノケ像が大きく転換したことを、文芸作品や映像作品などをもとに述べる。 生きとし生ける者は、必ずいつの日か死が訪れる。
限られた命である以上、どれほどに科学が発達したとしても、死や死者に対する恐れは、決して消えはしない。
そもそもモノノケへの畏怖は、死のそれと不可分の関係にある。
本書では、モノノケの系譜を明らかにすることを通して、とりわけモノノケを死霊と見なしていた古代・中世の日本人がどのように死や死者に対する恐怖を超克しようとしてきたのかという点や、いかにして死者と良好な関係を保とうとしたのかという点、各時代における日本人の心性についても迫りたい。 なお、本書では、基本的には時系列に沿ってモノノケの系譜をたどっている。
ただし、前述のように、モノノケと幽霊は古代・中世の段階では区別して捉えられていた。
そこで読みやすさを考慮し、時代が重なる部分はあるものの、あえてモノノケと幽霊の章を別にもうけた。
また、同様の理由から、表題以外は、基本的にカタカナで「モノノケ」と表記している。
前近代の史料は一部を除き著者による現代語訳で示しており、史料に引用する場合には適宜ふりがなを付した。
全体の史料についても、読みやすさを配慮し、適宜句読点を補った。
なお、文中で引用した著書や論文の詳細については、「主要参考文献」をご覧いただきたい。 あとがき
本書は、古代から現代までのモノノケを歴史学の視点から通史的に記した本である。
これまで、現代の感覚から、妖怪や怨霊、幽霊、化物(ばけもの)などをモノノケと同一と見なして書かれた本は出版されているものの、史料に則して通史的にモノノケそのものについて書かれたものはない。
しかし、本書で見てきたように、モノノケは時代によって大きく姿を変化させてきた。
モノノケは、個々の時代の人間から求められる形をとりつつ、現代まで語り続けられている。
古代から現代まで途切れることなくモノノケに関する事柄が記録され、あるいは語られてきた以上、一度は通史で概観しておく必要があるのではないか。
その作業は、日本人の心性を考察する上で不可欠なのではないか。
自身の専門の時代である古代から中世前期のモノノケについて調べつつ、かなり前からそのように感じてはいたものの、専門外の時代に踏み込み通史で書いてみるという勇気はなかなか湧かなかった。
実際着手してみると、異なる時代の史料を扱うことは難しく、大いに苦労させられた。
その一方、日頃見慣れない史料に触れたことにより、新たな発見にも恵まれ、心躍る思いをたびたび経験できた。
まさに、モノノケに関する史料の読解・分析は、各時代における人間の心奥の変遷をのぞき込む作業に他ならなかったと言えるだろう。 現代、モノノケの存在を心から信じている人は、ほとんどいない。
それにもかかわらず、モノノケに関する本の出版は相次ぎ、モノノケや妖怪の美術作品の展示は様々な博物館や美術館で行われ、話題となっている。
これは、かつてのモノノケの性質を継承する幽霊についても同様である。
平和な時代ほど、人は異世界のモノに思いを馳せ、慰安や刺激を求めるのだろう。
近年、モノノケは妖怪と重ね合わせて捉えられ、キャラクター化される傾向にある。
終章で述べたように、モノノケあるいは妖怪は、人間に寄り添い助ける役割まで担うようになってきている。
核家族化が進み個を重んじる現代社会では、人間関係は稀薄になりがちである。
このような時代だから、人間以外のモノによる癒しが求められているのかもしれない。 2020年、新型コロナウイルスが世界中を震撼させている。
新型コロナウイルスが恐れられる中、我が国では、半人半漁の姿をしたアマビエの絵を描けば(もしくは見れば)疫病に罹患(りかん)しないとする伝説が話題となり、妖怪アマビエが人気を博した。
その効果を心から信じる人は少ないだろうが、混沌(こんとん)とした状況の中、アマビエには、不安な心に平和や和らぎをもたらす効果がある。
先が見えない現代には、不可思議なモノの持つ超人間的なパワーが、求められているのである。
(後略)
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)今朝の父の一枚です(^_^)v
シメに出会っていました。
マヒワやアオバト、レンジャクなどの情報を教えてくれる方がいます。
私の場合、1時間ほどが精一杯なのでなかなか出会えません。
野鳥を撮影されている方は、粘り強く探しておられるので
この公園でも多くの種類の野鳥を撮影されていると思います。