運転していると雨がパラパラ降ってきました。
でも、公園を歩いている間に
傘を閉じることができました(^^)v
昨日は新津春子さんについて書かれた教材を紹介しましたが
中学の道徳教科書に「アンネのバラ」も採用されています。
アンネのバラ
國森康弘(くにもりやすひろ)著
毎年、春から秋の終わりにかけて、
東京都杉並区にある高井戸中学校には、
ちょっと珍しいバラが咲きます。
(『中学道徳 2 きみが いちばん ひかるとき』
光村図書出版株式会社 平成30年検定済)
つぼみは深紅(しんく)。
花が開くと黄金(こがね)色。
やがて薄桃色に移ろい、また紅(くれない)に。
まるで、くるくると表情を変える、感情豊かな少女のようです。
最後には、風に吹かれてぱっと散ってしまう、
どこかもの悲しくも、りんとした、誇り高き花です。
その花は、「アンネ・フランクの形見」といいます。
ユダヤ人の少女、アンネ・フランクは、
第二次世界大戦中の1945年に、
ナチス・ドイツの強制収容所で命を落としました。
十五歳でした。
その頃、ナチスによって多くのユダ人が殺されました。
彼女の死を悼んだベルギーの園芸家が、
新種のバラに「アンネの形見」と名づけ、
アンネの家族でただ一人生き延びた父親のオットーさんに贈りました。
このアンネのバラが高井戸中学校にやって来たのは、
今から四十年ほど前、1976(昭和51)年の出来事です。
国語の先生が、アンネへの手紙を書くという授業を行い、
アンネのバラの話をしたのがきっかけです。
話を聞いた生徒たちからは、
「平和のシンボルとして、自分たちの学校で育てたい。」
という声が上がりました。
手紙を受け取り、生徒たちの思いを知ったオットーさんは深く感動し、
バラの苗を送ってくれたのです。
オットーさんの知り合いの牧師、農業試験場の技師、航空会社など、
大勢の助けを得て、アンネのバラ三株が中学校に植わりました。
既に高校生になっていた生徒たちは、
卒業生として後輩に伝えるために、立札にこう刻みました。
暗い戦争の炎(ほのお)の中に死んでいった
アンネ・フランクの魂(たましい)のために
ヨーロッパの園芸家が薔薇(ばら)をつくり、
アンネの父、オットー氏に贈った。
それが多くの人々の善意により、この遠い日本の地にも根付く。
この世の人々が手をつなぎ合って、
永遠に幸せを守り続けられるようにと、
心からの願いをこめて、この薔薇を育てていこう。
私達は決してこの薔薇を枯らしてはならない。
アンネ・フランクに寄せる手紙編集委員会
僅(わず)か三株だったバラも、
その後、百六十株ほどに増えました。
しかし、校舎の改築などで
生徒たちの手で世話をすることが困難になったり、
バラが病気になって息絶えそうになったりして、
バラを育てることは決して易しいことではありませんでした。
2004(平成16)年には、十二人の生徒たちが
「アンネのバラ委員会」を立ち上げました。
委員長は、
「アンネのバラは高井戸中のシンボル。
ただ手入れするだけの存在ではなく、
平和の象徴としての意味をもつ。
世界につながる平和の架(か)け橋をつくりたい。」
と決意表明しました。
委員は、休み時間や部活動の合間に花壇へ走り、毎日世話をしました。
そんな委員たちの姿に影響され、手伝いをしてくれる生徒は、
百人ぐらいにまで膨らみました。
それから十数年、委員会は今も活動を続けています。
ある日、四十年前にオットーさんに手紙を送った
卒業生の一人が来校し、
アンネのバラが学校に来るまでのエピソードやバラに込めた思いを、
全校生徒に話しました。
「さまざまな犠牲の先に、僕らは生かされています。
平和は僕らがつくり出すものです。
僕らはバラを植えましたが、始めることより、
続けることのほうが難しい。
これからも、アンネのバラを通して、
平和への思いを表現し続けてください。」
いつもそばにあって、登下校を見守ってくれるバラは、
あたりまえにあるのではない――。
生徒たちは改めて気づきました。
平和への願いが込められたこの花が、
国を超え、時を超え、幾(いく)たびかの困難を乗り越えて、
今、目の前に咲いているのだと。
アンネと同じ年の自分たちが平和への思いをつないでいこう――。
その信念のもと、生徒たちは「アンネのバラ」を育て続け、
「いのちのバトン」をリレーしています。
高井戸中学校で育ったバラは、北海道から九州まで、
多くの学校などにも贈られ、各地でかれんな花を咲かせています。
資料
「アンネのバラ」を自分立ちの手で
――平和への思いと共に学校の伝統を受け継ぐ
2015(平成27)年、杉並区高井戸中学校では、
四十年間の取り組みを記念して
「アンネのバラ取組40周年記念式典」を行った。
この式典の前に全校集会が行われ、
「アンネのバラ委員会」の活動を継続することに加え、
全校生徒でバラの育成に取り組むことを確認した。
現在は、水やりを全学級の輪番で行っている。
バラは育てるのが難しく、
毎年美しい花を咲かせるにはたいへんな手間がかかる。
命をつなぐ活動であるため、
水やり当番を怠けることはできない。
生徒たちは、この地道な活動を自分自身の課題として捉(とら)え、
取り組みを続けている。
また、この取り組みに関連する学習は各教科でも行われている。
「中学校を卒業するまでに、生徒一人一人が自分の言葉で
『アンネの日記』や『アンネのバラ』のことが語れるように。」
という学校の願いが込められているという。
初めは平和のシンボル「アンネのバラ」を
受け継いでいくことが主だった活動だったが、
今では他にも重要な要素が加わってきている。
それは、「アンネの日記」では、次の一節に表されている。
「私の望みは、死んでからもなお生き続けること。
(中略)いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしょうか。」
ナチスから隠れて住んでいた家で日記を書き続けることで、
理想の実現に向かっていたアンネの強い意志――
この意志を受け継いで、生徒たちは、
自分自身の夢や希望に向って努力し続けることを学んでいるのだ。
さらに、「アンネの意志」を受け継ぎ、
この活動を続けてきた「先輩方の意志」を、
次の世代である下級生にどのように伝えていくかという課題にも
真剣に向き合っている。
「今までも これからも アンネと共に」をスローガンに、
高井戸中学校の伝統のバトンはつながれていく。
(『中学道徳 2 きみが いちばん ひかるとき』
光村図書出版株式会社 平成30年検定済)
「【証言集】アンネのバラ」(すぎなみ学倶楽部)