「熱中症注意」のメールが届くようになりました。
僕らの世代は「日射病」という言葉で暑さに気をつけていたけど
「熱中症」という言葉は最近聞くようになったように思います。
日射病だと屋外での病気だという意識があるので
高齢者に屋内での熱中症への意識が低いのかもしれませんね
「熱中症 予防のポイントは」
鳴いているオスの近くにとまり、歩いてオスに接近していく。
それに気づいたオスは、
鳴き声を「本鳴き」から「誘い鳴き」という求愛のための鳴き方に変え、
じりじりとメスに接近する。
オスはメスのすぐ下までやってきて、
前足でメスの翅の先端をチョンチョンたたく。
この時、もしメスがオスを気に入らないと、
翅をばたつかせたりして交尾を拒否する。
しかしメスがじっとしていれば、オスは交尾することができる。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』より
「かかあ天下」」を転記しましたが、それに関連したことを
『 絵巻物に見る日本庶民生活誌』より転記しますφ(..)
なお「北野天神縁起」の絵巻から解説しているのですが
本文に関連する画像を見つけることができませんでした。
子供を背負う
子供を育てていくのに抱いたり背負ったりする。
「北野天神縁起」には興味ある子供の抱き方が描かれている。
巻二に、侍烏帽子(さむらいえぼし)をかぶり狩衣を着た男が、
子供を左手で抱いている。
今日では子供を両手で抱く風習が一般化しているが、
日本以外とくに中近東などではみなこの絵巻のような抱き方をしている。
そうした抱き方が日本にも中世に行われていたことをこの絵は示している。
(『 絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)
小さい子供の背負い方は巻四に見える。
子を背負い、その上から小袿(こうちき)を着る。
今日の子負いはんてんは、小袿の変化したものであることがわかる。
子の背負い方は今も昔も変りないように思われるが、
小さい子供を背負う場合は裸のまま素肌に背負い、
その上に着物を着、小袿を着たもののようである。
子供は幼少の折は裸でいることが多く、
着物を着る場合にも、
肌には褌やパンツのようなものは何も着けなかったようである。
巻八の火事場のさまを描いたところに、
曲物桶をいただいた女が、女の子の手を引いて逃げ走っている。
女の子は、単衣の紐がとけて前がはだけており、
肌には何も着けていない。
5歳になると、男は袴着(はかまぎ)、女は裳着(もぎ)といって、
男は袴を着け、女は裳を着ける儀式を行ない、
それ以後は袴や裳を日常も着けるようになる。
それまでは子供の着物には紐をつけて、
それで着物の前を合わせるようにした。
ただし、着物に紐をつけるのは、鎌倉時代からであるといわれている。
その紐をとって帯を結ぶのも、袴着と同じころに行なった。
男が褌をするのは13歳ごろからであった。
そのようにして次第に大人になっていくのであるが、
民間の子供たちの生活は無防備に近いものであっただけに、
その母親に密着していたのではなかったかと思う。
明治10年に日本に来たアメリカのE.S.モース教授の残した
『日本その日その日』は、
観察が細かで正確で、多くのことを教えられるのであるが、
その中に子供についての観察がきわめて多いので、少し掲げておく。
「子供を背負うということは、至る処で見られる。
婦人が五人いれば四人まで、子供が六人いれば五人まで、
必ず赤坊を背負っていることは誠に著しく目につく。」
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。
それは日本が子供達の天国だということである。
この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、
他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、
その自由を濫用することはより少なく、
気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。
赤坊時代にしょっ中、お母さんなり他の人々なりの背に乗っている。
刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、
五月蠅(うるさ)く愚図愚図(ぐずぐず)いわれることもない。」
(東洋文庫・石川欣一訳)
子供の世界
モースのこの指摘は正しかったと思う。
「北野天神縁起」の巻一では、
大学者菅原是善(すがわらこれよし)の館の前に牛車が二台止まっているが、
その轅(ながえ)に子供がぶら下がって逆返りをしている。
そういうことをしても無礼であると叱られることはなかったのである。
巻二は菅原道真が吉祥院で五十の賀を祝うさまが描かれている。
それは大事な儀式であったが、
女の子の一人が階段の勾欄(こうらん)に手をかけて、
背伸びして儀式の様子を見ている。
轅にぶら下がるのと同様に、そういうことをしても無礼であると、
とがめられることがなかったのであろう。
時には追い払われることもあったであろうが、
子供の行動はとがめだてされることが少なかった。
子供は自由に歩き回ることもできたが、時には母親のあとに従って歩くこともあった。
同じ巻二に道真が弓を引いているさまが描かれ、
大勢の人がそれを見物している。
その中に袿(うちき)をかぶった女が二人おり、
そのうしろにはやはり袿をかぶった少女が一人立っている。
小袖を着て、胸に懸け守りをさげている。
子供たちが災いや病気を避けるために
胸に懸け守りをさげる風習は古くからあった。
この守り袋の中に社寺の護符がはいっている。
(『 絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)
ヒメスズメバチがヤブカラシの蜜を舐めていました。
スズメバチは甘党でもあります。
捨てられているジュースの空き缶に入っていることもあるそうです。
公園などで空き缶などを捨てるのはその点でも迷惑です。
「スズメバチに刺されないために」
(北海道立衛生研究所生物科学部生物資源管理科長 高橋健一)