2019年7月25日木曜日

一気に気温が上がり…

梅雨が明けて朝から元気なのはクマゼミたち(^-^;
クマゼミの羽化」(小学3年 動画)
 遠くから見ると赤いものをくわえているのかと思ったら
羽を広げて口を開けていました(*´▽`*)
羽を広げていたのは日光浴をしているのかなと思うけど
(羽ついた寄生虫を取り除く効果があります)
口を開けているのは暑いからかな?
飛び立つ時に水しぶきが上っていたので
お尻は水につけていたようです(^_-)
なにわ大阪の伝統野菜』より
「越瓜(しろうり)」の続きを転記しますφ(..)
夏野菜として江戸時代の庶民が好んで食べた
『毛吹草』に西成郡の「木津越瓜」とあり
名産であったことが記載され、
そして木津、今宮がシロウリの促成栽培の
元祖であるとも伝えられています。
『奥州観蹟聞老志』には
「其色青黒にて緑筋細点あり、其味霜を被り、
 氷をかむの美あり之を幾都キヅのと云う」
とあります。
(『なにわ大阪の伝統野菜
  なにわ特産物食文化研究会編著 農山漁村文化協会 2002年)
シロウリには果色から、白色と緑色の2種類があります。
白色の瓜のことを白瓜とも書かれていました。
徐々に西成郡から東成郡にも栽培が広がり、
玉造辺りでも作られるようになり、
緑色の「玉造黒門越瓜」という名産が出来ました。
これは、大坂城の玉造門が黒塗りの門であったことから、
黒門という名が生まれ、
稲荷新町の高札場から平野口町を経て、
猫間川船溜まりに架かっていた大阪最初の石橋が
黒門橋と呼ばれていました。
そして、この辺りで作られていた瓜のことを
「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)」と呼称し、
天保7年(1836)の『名物名産略記』に記載されるほどでした。
一般に、「くろもん」と呼ばれ、果実は長大で、
濃緑色で8~9条の白色の縦縞があり、
粕漬にしておいしかったことから名産となったものです。

 粕漬の作り方は、『和漢三才図絵』に
「六月の土用のうちに鮮青色のものを採り、
 割って蛤貝でなかごをこそげ去り、小舟の形にする。
 そこに灰を盛り入れて一時ばかりして水湿を取り去り、
 灰を拭い去って塩を盛り入れる。
 およそ瓜十に酒糟(粕)三十斤を用いて瓜を包み蔵し、
 それぞれがくっつかないようにして固く封をする。
 大抵七十五日ででき上がる。
 用いるときは瓜を取りだしたあと
 糟をよく抑えて風が入らないようにする」
と書かれています。
このような方法で漬けられたと思われる瓜について、
貞柳は
黒門といえども色はあおによし 奈良漬にして味をしろうり
と一首にとどめています。
ウリには太種(ワリ)とこれより分系された
細種(ホソ)の2系統があり、
太種は粕漬に、
細種はあんかけなどの煮たきものや乾しウリにされます。

同書によれば、乾しウリの作り方は
「新瓜を縦八っつに切りさき、なかご取り去り塩をまぶし、
 暑熱の石の上に晒し乾す。
 六、七日してよく乾いたものを磁器に収納する。
 用いるときは塩すなを洗い去り、切片を酒に浸して食べる。
 脆美(ぜいび)である。
 越瓜はたいへん広く食用される。
 夏月には貴賤を問わず日用の食とする」
とあり、野菜の摂取量が少ない現在、
昔のことと考えず低カロリーでビタミンの豊富な夏野菜を
たくさん食べるようにしたいものです。

 一方、高槻市の塚脇地区で昔から作られている服部シロウリは、
果実が淡緑白色で淡い白縞があります。
奈良漬用として品質が優れ、
天保14年(1843)の『服部村明細帳』に
「富田で造られ、粕漬に専ら使用される」とあります。
明治21年(1888)の『農事調査』では
府下に約百十万貫の生産があり、
石川郡で最も栽培が多く、約三十五万貫、
次いで西成郡の十五万貫と、
当時はたくさん食べられていた野菜の一つといえます。

その他、『五畿内志』によると
西成郡の木津村、東生郡の今市村、荒生村、
渋川郡の荒川村がシロウリの生産地として有名でしたが、
どのような品種であったかは不明です。
『摂陽群談』に
「西成郡木津村田圃に作り、市店に出す、
 求之酒糟に点じて奈良漬瓜と云う」
ともあります。
 府下の現在の栽培面積は20ヘクタールほどですが、
加工業者の需要が多いため、農家との契約栽培が多く、
一般のマーケットにならぶことが少なくなりました。

シロウリのフライはおいしいか
 助松屋の法事献立には、
「越瓜、白瓜、しろうり」と記されたものは一件もなく、
すべて「瓜、ふり、うり」と記されています。
それらはすべて香の物として、ダイコンやナスとコンビで出てきます。
その他はやはり香の物として「奈良漬瓜」と記されています。
献立に出てくるウリの内、実に75パーセントが奈良漬瓜です。
奈良漬瓜にはもっぱらシロウリが使用されました。
『守貞謾稿』巻之六には、「粕漬、三都トモニ奈良漬ト云」とあり、
粕漬のことを、江戸・京・大坂で奈良漬と呼んでいたことがわかります。

『三風料理』(明治20年刊)の西洋料理の中に
「越瓜油煎の法」というのが出ています。
シロウリの皮をむいて、ゆでて中種(なかご)を除き、卵の黄みを塗り、
パン肉の柔らかなところを粉にてしてふりかけ、油で煎(あげ)ます。
いわばシロウリのフライですが、
「胡瓜の油煎」と同様、美味しいかどうか。
(『なにわ大阪の伝統野菜
  なにわ特産物食文化研究会編著 農山漁村文化協会 2002年)
昔も今もなにわ名物『玉造黒門越瓜』物語
上町台地今昔タイムズ
を見ると助松屋は大阪の靭(うつぼ)で干鰯商を営んでいたようです。
黄花のヒオウギ(コウリュウ<黄竜>)もあるんですね…
今朝の父の一枚です。
青空が広がっていて夏らしいのですが
風がなくて蒸し暑かったです(^-^;
また、台風も発生しているようです!
梅雨明けの西日本 猛暑日のところも 週末は台風接近で大雨
再放送が今夜(深夜午前0時25分~)なのですが
又吉直樹のヘウレーカ!「なぜ水がここに流れているの?
環境を考えるのに最適な番組でした。
大阪の寝屋川流域についても話してくださっていました。