今日は、二十四節気の「大暑」
蒸し暑かったです(・_・;)
蒸し暑いときにきつけ薬にするのがマルバハッカ(シソ科)です。
葉っぱを一枚だけ頂戴して匂いをかぐと爽やかな香りです。
だいぶ前に伐採された木から蘖(ひこばえ)が伸びていました。
先日の選挙は、予想通りの結果が出ましたが
そこで思うのは言葉が本当に軽くなったなと思います。
首相が「美しい国へ」という言葉を使っていましたが
この人ほど、日本語の意味を勝手に変えて平気な人はいないと思います。
万葉集から言霊について詠った歌を転記したいと思いますφ(..)
神代(かみよ)より
言ひ伝(つ)て来(く)らく
そらみつ大和(やまと)の国は
皇神(すめかみ)の厳(いつく)しき国
言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と
語(かた)り継(つ)ぎ
言(い)ひ継(つ)がひけり
巻五・894 山上憶良(やまのうえのおくら)
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
神代の昔から
言い伝えるには
大和の国は
神が威厳をもって守る国
言霊が幸いをもたらす国と
語り継ぎ、言い継いできた
〔遣唐使に任命された多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)は、
出発直前に、
かつて702~704年の遣唐に加わったときの体験を聞くために、
平城京にあった山上憶良の屋敷を訪ねた。
この長歌と続く反歌二首は、
その際に旅の安全を祈って広成へのはなむけとして詠まれた。〕
――奈良時代の天平5年(733)、大陸に向かう遣唐使を送る際、
旅の無事を祈って山上憶良が詠んだ長歌の一部です。
[選者 リービ英雄 作家、法政大学教授]
自分の国を賞賛する表現は、世界中どこにでもありますが、
私の国は言葉の魂が活発な国であるという、
この表現こそ、僕は日本独自のものではないかと思いました。
――古代の日本人は、言葉に神秘的な力=「言霊」があると信じ、
言霊の働きによって幸せや不幸がもたらされると考えていました。
米国生まれのリービ英雄さんは、西洋出身では初の日本語作家です。
[リービ]
ちょうど日本語で執筆しようかと思った頃、
万葉集のなかの、一人の大歌人の存在に気がついた。
それが山上憶良です。
―― 一説によれば、山上憶良は朝鮮半島にあった国、
百済(くだら)で生れ、日本に渡ってきたとも言われています。
[リービ]
憶良は異国から日本に渡り、この島国の表現者となった、
ということがわかったときに、僕はすごい解放感を感じました。
自分が何人(なにびと)だとか、どこの生まれだなどということは、
じつは近代的な発想です。
はたして奈良時代の人たちに、そんな意識があったのかどうか。
そう考えると、出身国はどこかなど、どうでもよくなりました。
よほど日本語に魅せられて日本語を書き、歌のを詠んだのでしょう。
その歌い出しの中に、
「やまとの国は皇神の厳しき国 言霊の幸はふ国」
であると表現しています。
つまり朝鮮や中国と並べたなかで、
日本語の特徴は「言霊」にあると書いている。
これは、僕にとってちょっとした発見でした。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
雷神の示現(じげん)
三宅和朗(慶応大学教授)
古代の雷神の神格は水神であり、姿形は刀剣や蛇であった。
また、時には小童としても立ち現われていたことが
『古事記』『日本書紀』などの諸史料から知られる。
しかしながら、雷神の示現や神異に際しては、
光(稲妻・稲光)や音(雷鳴)、
あるいは大雨(雷雨)が伴っていたことはいうまでもない。
カミナリはまさに神鳴りであるが、自然界の最大の音として、
光や雨とあわせて古代の人々は
雷神の神業(かみわざ)を想像していたものと思われる。
強烈な光、大きな音、短時間の激しい降雨は雷神の不思議であった。
これを別に言い換えると、
雷神は人間の視覚、聴覚や触覚に訴える形で示現していたことになる。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
うまこり あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし
み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば …… (巻6・913)
とある「鳴る神の音」は雷の音を畏怖しての表現であろう。
天地(あめつち)の 神はなかれや
愛(うつく)しき我が妻離(さか)る
光る神 鳴りはた娘子(をとめ)
携はり 共にあらむと 思ひしに 心違ひね……
(巻19・4236)
とある「光る神」とは稲妻を指し、
「鳴りはた娘子」についても「はた」が
雷鳴の激しい音を指すという指摘がある。
ところで、奈良県河合町の佐味田宝塚古墳は、奈良盆地の西部、
馬見丘陵のほぼ中央部に築造された全長115メートルの前方後円墳で、
年代は4世紀後半に遡る。
この古墳の発掘調査で出土した
家屋文鏡(かおくもんきょう)は直径22.7センチの大型鏡である。
それぞれ異なる四棟の建物が表現されているが、
注目したいのは、建物の屋根の上方に稲妻が確認できることである。
その中に人間のような像があることがこれまでも指摘されてきた。
おそらく雷神像であろう。
日本で神の造形が見出されるのは、仏教の影響を受けて、
8世紀後半の神像彫刻を待たねばならないといわれるが、
この像は神像彫刻よりもはるかに古いものである。
したがって、現在のところ、日本で最古の雷神像ということになるが、
それも光とともに示現しているすがたであることを見逃してはならない
(三宅『古代の王権祭祀と自然』)
家屋文鏡図(辰巳和弘著『埴輪の絵画の古代学』白水社より[省略])
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
「家屋文鏡(かおくもんきょう)」(宮内庁)
引用された巻五・894、巻六・913、巻十九・4236は長歌なので
現代語訳の方を転記しますφ(..)
巻第五 894
好去好来の歌一首
神代から言い伝え来ることには、空に充ちる大和の国は、
統治の神の厳しき国で、
言霊の幸ある国と語りつぎ言いついで来ました。
今の代の人も皆、この事は眼前に見、知っています。
大和の国には人も多く満ちているのに、
高く輝く日の朝廷で、神としての天皇がもっとも愛され、
天下の政治をとられた家柄の子として、あなたをお選びなさり、
今あなたは天皇のお言葉〔勅旨は大命とよむ〕を奉戴(ほうたい)して
唐という遠い国土へ派遣され出立していかれます。
そこで大海の岸にも沖にも神として留まり支配される諸々の大御神たちは、
船の先に立って〔船舳はフナノヘとよむ〕先導し申し、
天地の大御神たちは、大和の大国霊をはじめとして、
遙か彼方の天空からとび翔り見渡ししなさるでしょう。
また、無事使命を果たして帰国するでしょう日には、
さらに大御神は船の先に御手をかけ、墨縄を引き伸ばしたように、
あちかをし値嘉(ちか)の岬をとおって、
大伴の御津(みつ)の海岸に、
まっ直に泊まるべく御船は帰港するでしょう。
無事にしあわせにいらっしゃって、早くお帰りなさい。
(『万葉集(一)』中西進 講談社文庫 1978年)
巻第六(雑歌) 913
車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)が作った歌一首
(うまこり)何とも言えず心懐かしく、
(鳴る神の)音ばかり聞いた、
み吉野の真木の茂り立つ山から見下ろすと、
吉野川の川瀬ごとに、夜が明けてくると朝霧が立ち、
夕方になると河鹿の鳴く声が聞こえる。
家に帰るまで紐を解かない旅なので、
私ひとりだけでこの清い川原を見るなんて惜しいなあ。
(『万葉集(二)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2013年)
巻第十九 4236
死んだ妻を悲しんだ歌
天地間の神様はなくなってしまったからか、
可愛いい自分の妻を、離れさせてしまった。
あの機(はた)氏の娘と、
手を連(つな)いでいようと思ったら、予想が外れた。
言い方もする術(すべ)も訣(わか)らず、
木綿の襷(たすき)をかけ、
倭文(しづ)で拵えた幣(ぬさ)を手に持って、
どうか、はなしてくれるな、と祈っているけれども、
自分の枕として寝た人の袖は、
もう焼かれて、空に雲となってしまったことだ。
(『口訳万葉集(下)』折口信夫 岩波現代文庫 2017年)
「倭文 しつ Shitsu」(國學院大學 万葉神事語辞典)
上記の歌とは関係しませんが(^_-)
「大和路の恋 万葉集 せつない恋の歌」(動画)