公園で出会うワンちゃんが
木陰の石のベンチで涼んでいました(*´▽`*)
飼い主さんと今年も暑くなりそうですねとため息をつきながら
朝の挨拶をしていました。
先日、プロフェッショナル 仕事の流儀に四年ぶりに再登場された
「世界一の掃除さらなる高みへ~清掃員・新津春子」
番組の中で新津さんことが道徳の教科書に
採り上げられていることが紹介されていました。
見てみたいなと思ったので教科書センターに出かけました。
現在、教育委員会などで教科書の展示会をしています。
「令和元年度教科書展示会 会場一覧」(文科省)
誰でも見ることができます。
心のこもった仕事とは
私は清掃のプロになる
羽田空港の広大なフロアを赤いユニフォーム姿で足早に歩く小柄な女性。
移動中の限られた時間であっても、
その目線はあちこちへ動き、細かくチェックしている。
汚れたところがないか、何か困っているお客様はいないか、
つねに気を配っているのだ。
(『中学道徳 あすを生きる1』
日本文教出版株式会社 平成30年検定済)
彼女こそが世界一清潔な空港といわれる羽田空港の環境マイスター、
新津春子(にいつはるこ)さんだ。
新津さんは、1970(昭和45)年に中国で生まれ、
中国人として暮らしていた。
しかし、8歳のときに、父親が中国残留日本人孤児で、
新津さんも日本人の血をひいていることを知った。
1987年、一家は日本へ帰国することになった。
新津さんが17歳のときだった。
中国にいた頃は裕福なほうだったが、
日本で暮らしていくためには、
家族全員で働かなくてはならなかった。
まだ、日本語を満足に話せないこともあり、
家族全員が同じ職場で働くことを希望した。
すると、その条件で見つかったのは、清掃の仕事だけだった。
初め、新津さんは、
清掃は言葉が十分に話せるようになるまでの仕事だと思って、
我慢しながら取り組んでいた。
ある日、いつものように仕事を始め、
教えられたとおりに汚れを落としていたときのこと。
「わあ、こんなにきれいになるものなのね。」
という言葉が、自然と口をついて出ていた。
汚れがだんだん落ちて、みるみるきれいになっていく様子に、
新津さんは驚きとともに感動すら覚えた。
(清掃って、じつはおもしろい仕事なのかしら。
私に向いているのかも。)
これまで、この仕事しかないからと
ただがむしゃらにやってきた新津さんにとって、
初めて清掃という仕事の魅力を発見した瞬間だった。
日本に来てから二年後、
清掃の仕事を続けながら知り合いに勉強を教えてもらい、
新津さんは都立高校に合格した。
そして、18歳の春から念願の高校生になったのだ。
しかし、学費は自分で働いて用意しなくてはならない。
朝早くから仕事をして、そのあとで登校し、下校後もまた仕事をした。
週末や夏休み、冬休みは一日中働いた。
すべて清掃の仕事だった。
高校卒業後、
新津さんは音響機器メーカーに正社員として採用された。
しかし、会社が終わってからの時間と、
休みの日には清掃の仕事も続けていた。
音響機器メーカーでは、ヘッドホンなどを組み立て、
点検する作業がおもな仕事だった。
しかし、一通りの技術を習得してしまうと、
仕事を続けていくうえでの目標を見失ってしまった。
(この先、私は成長していくことができるのかしら。)
もともと体を動かすことが好きな新津さんにとって、
工場内で一日中、ほとんど動かずに続ける作業は、
しだいにつらいものになっていった。
しかし、そんなときでも清掃の現場に行って体を動かすと、
全身がほぐれて元気が湧いてくるのを感じた。
新津さんは、自分には体を動かす
清掃の仕事のほうが合っているのではないかと考えるようになった。
たまたま清掃について学べる学校があると知った新津さんは、
考えるより先に大胆な行動に出た。
その学校を訪ねて、通わせてほしいと直接頼んだのだ。
そこは、45歳以上を対象にした学校だったが、
新津さんのあまりに熱心な姿勢と、
23歳という若さでありながら清掃の経験が豊富だったことなどから、
通学を許可されたのである。
新津さんは、三年半ほど働いた音響メーカーを去り、
清掃の道を本格的に歩むことに決めたのだった。
新津さんはこの学校で、
恩師となる鈴木優(すずきまさる)先生と出会った。
そして、清掃における基本的なことから、
理論的な知識に至るまで半年間勉強したあと、
鈴木先生の勤務先でもある
羽田空港を清掃している会社に就職することになった。
入社した翌年、
新津さんはビルクリーニング技能士の国家資格試験を受け、
みごとに合格した。
新津さんは、この資格の取得をきっかけに、
ますます清掃の仕事に打ち込むようになった。
ところがある日、新津さんは鈴木先生に、こう言われてしまう。
「あなたの清掃には心がこもっていない。」
(これまで必死で清掃の技術を高めてきたのに。
何が足りないのだろう? 「心」とはいったいなんだろう?)
それから何日も、
鈴木先生の言葉の意味を考えながら仕事をしていたが、
答えは見つからなかった。
そんなある日の仕事中、いつものように床の汚れを落としていると、
お客様から優しく一言、声をかけられた。
「きれいにしてくれてありがとう。ごくろうさま。」
この言葉を聞いたとき、新津さんは、
「こちらこそ、お気づきくださってありがとうございます。」
と言いながら、自然ににっこりほほえむ自分に気づいた。
新津さんは鈴木先生に言われた「心」の意味が
少しわかったような気がした。
(ようし、赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なくらい、
きれいにするぞ。)
こうして、新津さんの仕事に対する考え方は、
また少しずつ変わっていったのだった。
作・高橋みか
私の生き方
新津春子さんからあなたへ
どんなことでも自分を信じてやっていくことが大事だと思います。
周りから「無理だ」と言われても気にせず、
自分がしたいことに自信をもって取り組んでみてください。
やりたいことが見つからないときは、
とにかくなんでも目の前のことを一生懸命やってみること。
やってみて、違ったなと思い、
まったく別の道をめざすことになっても、
その経験はぜったいに役に立ちます。
あなたが一生懸命取り組んだことは、「生きていく力」になるのです。
(『中学道徳 あすを生きる1』
日本文教出版株式会社 平成30年検定済)
食べようとしているのではありません(^_-)-☆
「ササグモの雌雄の見分け方は簡単です。
雄は黒い大きな触肢(しょくし)というものがあり、
この中に精子を貯めています。
雄は雌に対して求愛行動として第一脚を振ります。
“俺は餌じゃないよ”と雌の機嫌を伺いながら近づきます。」
(2010年度 自然観察大学)
新聞の新刊の案内を見ていて書店に買いに行った本があります。
『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』
(鈴木しづ子・川村蘭太 河出文庫)
「山田航が薦める文庫この新刊!」(朝日新聞 7月6日)で
紹介されていました。
「太平洋戦争後のアプレゲールの時代に
彗星(すいせい)のように俳壇に登場し、
突如消息を絶った伝説の俳人・鈴木しづ子の全句集と、
その行方を追ったノンフィクション作家・川村蘭太による
評伝の2部構成をとる。
タイトルはしづ子の代表作で、
「娼婦(しょうふ)俳人」という幻想をまとうことになる
彼女を象徴する一句。
丹念な追跡は驚くようなドラマを生んでゆく。
しづ子のスキャンダラスな人物像にひかれて取材を始めたものの、
一貫して冷静さを保ち、
しづ子の生涯の「物語化」を避けようとする
蘭太の姿勢には誠実さを感じる。」
『しづこ―娼婦と呼ばれた俳人を追って』(川村蘭太 新潮社)が
現在、絶版になっているので
鈴木しづ子を知ることができる本だと思います。