朝5時前にガラス戸を開けても涼しい風が入ってきません…
朝から気分が悪くなりそうな暑さです。
風もほとんど吹かないので汗をかいても体温が下がらない…
「各地ことし1番の暑さ あすも猛烈な暑さ続く見込み 警戒を」
今日は,童話作家・新美南吉の誕生日(1913年)です。
(岩波書店のTwitterより)
このトノサマガエルは側溝に入ってしまって
上ることができずに困っていました。
カタツムリはなんなく上がっていたけど…
「用水路や側溝の転落事故 去年1年間で150人以上死亡」
昨日のカップルは木の上でしたが
今回、出会ったのは通路で…
近づくと逃げようとするのですが…
トンボやチョウはカップルで飛ぶことができるけど
クマゼミはバタバタするだけで一緒に飛ぶことができなかった…
「いろいろなセミ」(小学3年 動画)
昨日の記事で『絵巻物に見る日本庶民生活誌』より
子どもの抱っこなどについて転記しましたφ(..)
続きに「女を背負う」ということも書かれています。
(本文中の画像は載せることができませんのでご了承ください)
女を背負う
「北野天神縁起」は承久元年(1219)に描かれたとあるから、
鎌倉初期の作である。
菅原道真死後300年あまりのことになる。
公家生活の有職故実については
平安時代のものを忠実に再現しているようであるが、
民衆の生活については、
この絵巻の描かれたころの風俗が多分に写実的に描かれているように思う。
このことは、想像だけで描いたのなら見落とすような習俗が
巧みにとらえられていることで推定できるのである。
(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)
巻四に、九州へ流される道真を見送る人びとの姿が描かれているが、
その中に衣被(きぬかずき)の女を背負った男の姿が見える。
男は腰へ棒を横にあて、両端を両手で持ち、
女はその棒に足をのせ、うずくまって男の方に手をかけている。
巻八では、男が女を背負うのに棒を持っていなかったので、
刀を代用している。
男が女を背負うとき、
この時代にあってはこのようにしたもののようである。
なぜ棒の上に足をのせて背負わなければならなかったかは明らかではないが、
このような習俗は、秋田県雄勝郡地方では、
天明5年(1785)ごろまで嫁入りの習俗として残っていた。
菅江真澄の書いた遊覧記「小野のふるさと」の3月25日の条に
「新金谷村の近所で嫁入りがあるというので見にいった。
婿の家のあたりに小宿といって、
とくに設けた人の家にはいることがあるが、
そこで一のもりという男が迎える女を背負う習俗がある。
もり木は五色の紙でより結んであり、
このもり木をとりなおし、左右の手に持つのも、
天地和合などといって、持ち方にきまりのあることである。
男がもり木を嫁の尻にあてて、小宿に負って入れていた。
そのあと婿の家まで、
嫁をこうして負って行くならわしになっているという。」
(東洋文庫『菅江真澄遊覧記』1)。
これは興味ある記述であるが、
他の地方にこのような習俗の残っていることを確かめていない。
(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)
時代も地方も違いますが
嫁入りと言えば私が思い出すのは(^^ゞ
「瀬戸の花嫁 消えゆく瀬戸の風物詩~島から島へのお嫁入り」(動画)
ヒマワリが刈られてスズメたちがやってきていました(*´▽`*)
ヒマワリの種は栄養満点ですよね!
カワラヒワやヤマガラが食べているのを見たことがありますが
スズメは食べることができるのかな?
なんか抜け殻があるなと見るとカマキリの脱皮のあとでした。
幼稚園・保育園向けの番組ですが詳しいですよ(^^)v
「しぜんとあそぼ かまきり」