2017年6月5日月曜日

今朝も爽やかな朝でした(o^^o)

   戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため  浜田到

 紫陽花は、ちょうど民家の戸口を多い隠すほどにこんもりと繁る。
そのとき、顕わだった<貧の序列>が消えるという。
ここでの花の形や色に関心を集めているのではない。
花は社会や生活を意識した視線で寂しく捉えられる。
   (今井恵子)
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)
いつまでも私はあなたのお母さんごはんを炊いてふとんを干して  河野裕子
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』河野裕子 永田和宏 その家族 産経新聞 2011年)
嘴が撮せなかったのですがシジュウカラの幼鳥のようでした。
今朝も爽やかな朝でした。
今朝のように平年並みの暑さだと体も少しずつ暑さに慣れてくれるのですが…
いろいろな鳥の鳴き声」(小学4年)
スズメバチが石垣の隙間に入っていきました。
巣作りをしているようです。
スズメバチの巣作り」(小学3年)
   狭い空  <昭和50.6.6>

牛のようにベッドに寝て、空を眺める。
毀れた病棟に人家がつづき
遠くの空をさえぎる。
私は温室の植物のように
本当の空を知らない。
溜息をつくと
体の力がいっぺんに抜けてゆく。

■ ■ ■

筋ジストロフィーの彼の肉体はほんとうに「温室の植物のよう」であった。
白くかぼそい手足は青空の下で育ったものではない。
「本当の空を知らない」が光太郎の亜流なのは大きな減点。
「最近口ぐせの様に死にたいなどしきりに言っている。
昨日、他の患者の尿糖の検査をしていたら、丁度後君が尿意を訴えたので、ついでに糖の検査をし、結果はマイナス。
すると『チェッ、マイナスかあ』。
『マイナスの方がいいんだよ』と言うと『糖が出たほうが早く死ねるからいいんだ』とおそろしいことをいう」<看護日誌、昭和49.7.2>
         解説 永岡うろお
(『車椅子と詩が遺った』後 浩治 汐文社 1977年)
ツバメの巣立ち」(小学4年)

  燕の母さん

ついと出ちや
くるつとまはつて
すぐもどる。

つういと
すこうし行つちや
また戻る。

つういつうい、
横町
よこちよへ行つて
またもどる。

出てみても、
出てみても、
氣にかかる、

おるすの
赤ちやん
氣にかかる。

(『美しい町 新装版 金子みすゞ全集・Ⅰ』JULA出版局)
今日もミントの葉を1枚母さんのお土産に。
母さんは、嗅覚が弱っていました。
それでもミントの爽やかな香りは感じていたようです。
父さんと僕は耳が悪くて聞き取りにくかったので
お互いに助け合おうねと話していました。
耳のいい母さん、身動きのできない体で聞くアラーム音はこわかっただろうな…

○ ○ ○ ○

夕方、妹と姪を誘って母さんとよく行っていた
ショッピングセンターで夕食を食べました。
父さんが母さんの写真を取り出しました。
食後によく行っていた喫茶店でコーヒーを飲みました。
父さんがさげてきたのは母さんのカバン。
普段は、お気に入りのカバンを下げています。

母さんが亡くなってから病院に向かう方角なので行きたがらなかったのです、
昨日、父さんが自分から行こうかと言いだしたのでビックリしました。

2 件のコメント:

  1. こんにちは~お久しぶりです =^_^=
    紫陽花は色んな種類があって飽きませんよね。
    お母様 綺麗な方だったんですね 一緒にお食事
    お母様も喜ばれてると思いますよ =^_^=
     

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    1. 蘭☆☆さんこんにちは(*^O^*)/
      二日間更新がなかったのでどうかされたのかなと思いましたが
      復活されてよかったですp(^-^)q

      母さんは、(ひいき目ですが)綺麗でしたよ(o^^o)
      遺影は1986年(31年前)の祖母の88歳のお祝いの時の写真を父さんが選びました(o^^o)
      ですから僕や妹よりも若い時の写真です( ^-^)

      母さんがいないなんて今でも信じられずにいます。
      これからもいつも一緒に連れていってあげようと思っています。

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