2017年6月7日水曜日

血液検査

近畿地方が梅雨入りということで、散歩をあきらめて血液検査に行って来ました。
診察日は来週ですが、それまでに血液検査を受けておきます。
診察日に血液検査をすると、結果が出るまで待たないといけません。
検査や会計を待つ間、読んでいたのが『ネガティブ・ケイパビリティ
先日、朝日新聞の「著者に会いたい」で紹介されていました。
2014年3月に「こころの時代」という番組で
著者の帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんの診療所の様子が紹介されていて
そこに柴犬の心(しん)くんが副院長として登場していました(o゜▽゜)o
(番組のテレビ画面より)
副院長の心くんは、ちゃんと出勤簿にハンコを押しているのですよ(^▽^)
どんなゴム印なのかは本書をお読みください(*^O^*)/
(画像ではありませんよ(^_-)…)
番組のHPには過去3カ月分の放送しか紹介されていません。


本については読み終わってから、後日、記事を書きたいと思いますp(^-^)q

「共感」について書かれた本書を読みながら万葉集にある山上憶良の歌を紹介したくなりました。

くやしかも 
かく知らませば 
あをによし 
国内くぬちことごと 
せましものを
   巻五・797 山上憶良(やまのうえのおくら)

ああ悔しいことだ
こんなことになると
知っていたら
国中のすべてを
見せてやればよかったのに

――山上憶良が妻を亡くした大伴旅人に贈った歌です。

[城之内ミサ]
 「悔しかも」とパッと区切る。
その初句が目に入ってきたとき、じつは父が亡くなったのとほぼ同時期だったので、急に涙が出てきました。
私自身が、父にいっぱいしてあげることがあったのに、できなかった。
そのことを突きつけられた気がしたのです。
 亡くなった瞬間は、あまり実感が湧かないんですが、亡くなった人への痛恨の思いも感謝の気持ちも含めて、あとになってジワジワと、「ああ、いなくなってしまったんだな」と感じていたように思います。


――旅人は63歳で長官として太宰府に赴任して間もなく、妻を病気で亡くしました。
憶良のこの歌は、妻を失った旅人の立場に立って、その悲しみを詠ったものだと考えられています。

[城之内]
 悲しいことや辛いことがあったとき、「元気を出してください」とか、言葉ではいろんなことが言えますが、同じ痛みを感じることはできない。
でも、少なくとも、自分もその人と同じ思いをどこまで感じられるだろうかというこは考えられますね。
ですから、憶良は友人として精一杯の気持ちでこの歌を贈り、受け取った旅人も、すごく救われたような気がしたのではないでしょうか。


――憶良からこの歌を贈られた後、旅人は自らも亡き妻を偲ぶ歌を詠み続けました。

[城之内]
 私がやっている作曲は、自分の感動を、音符というツールで翻訳する作業です。
それは、自分の感情や世界と向き合える唯一の瞬間だと思うんです。
 旅人も、亡くなった妻との思い出の中で自分の感情と向き合い、それを翻訳した形で歌として書き留めていく。
それはある意味で、自分の癒しになったのではないでしょうか。

(『NHK 日めくり万葉集 vol.6』中村勝行編 講談社 2009年)

城之内ミサ公式サイト
 城之内さんのブログには、2014年1月17日にお母さんがお亡くなりになったという記事がありました。