アジサイの語源は、あづ(集る)・さゐ(真藍)であるともいう。
落葉低木で、6、7月のころ、枝先に球状で大型の集散花序にがく片の発達した淡青紫色の装飾花を多くつける。
日本には奈良時代からあったといわれるが、『万葉集』では、大伴家持と橘諸兄の2首にうたわれるのみである。
以降、平安時代から近世にいたるまで、露や螢や夕涼みというような景物と組み合わされて、夏の季節の情緒を演出するが、その数はきわめて少数である。
(『岩波現代短歌辞典』)
落葉低木で、6、7月のころ、枝先に球状で大型の集散花序にがく片の発達した淡青紫色の装飾花を多くつける。
日本には奈良時代からあったといわれるが、『万葉集』では、大伴家持と橘諸兄の2首にうたわれるのみである。
以降、平安時代から近世にいたるまで、露や螢や夕涼みというような景物と組み合わされて、夏の季節の情緒を演出するが、その数はきわめて少数である。
(『岩波現代短歌辞典』)
睡蓮の花沈み今日のこと終(を)はず 臼田亜浪(うすだあろう)
夕方になって睡蓮の花が閉じてしまったのに、まだ今日の仕事が片付かないのでしょう。
睡蓮の花は夕方閉じて、また翌朝開きます。
一つの花が三日ぐらいもちます。
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
睡蓮の花は夕方閉じて、また翌朝開きます。
一つの花が三日ぐらいもちます。
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
元気にしていたんだp(^-^)q
5月21日以来、会えなかったのでダメかなと思っていました。
ま だ
いつも手紙の終わりに
お母さんによろしくと書く
まだ会ったことがないのに
以前からの知りあいのように
(『母 河野進詩集』聖恵授産所 1975年)
いつも手紙の終わりに
お母さんによろしくと書く
まだ会ったことがないのに
以前からの知りあいのように
(『母 河野進詩集』聖恵授産所 1975年)
ベニシジミ(シジミチョウ科)
ソテツ(ソテツ科)は、母さんの故郷・沖縄では馴染みの木です。
若葉が母さんのために手を合わせてくれている。
日向ぼっこをしているキジバトがうっとりしている(o゜▽゜)o
平年並みの気温だそうです。
今までが異常だった…?
カラスビシャクは土の中に芋を作って増えるが、それだけでは不安らしい。
葉の先端にむかごと呼ばれる小さな芋のような繁殖体をこっそりとつける。
それでもまだ不安だというので、茎の途中にもこぶのようなむかごをつける。
まさかのときに備えていろいろなところに芋を隠しているのである。
まさにへそくりの面目躍如といったところか。
それだけでも十分に思えるのに、カラスビシャクはしっかり花を咲かせて種子まで残す。
お金が貯まる人というのは、こんな感じなのだろう。
(『身近な雑草の愉快な生きかた』)
(「下線」は「脇点(、、、)」)
葉の先端にむかごと呼ばれる小さな芋のような繁殖体をこっそりとつける。
それでもまだ不安だというので、茎の途中にもこぶのようなむかごをつける。
まさかのときに備えていろいろなところに芋を隠しているのである。
まさにへそくりの面目躍如といったところか。
それだけでも十分に思えるのに、カラスビシャクはしっかり花を咲かせて種子まで残す。
お金が貯まる人というのは、こんな感じなのだろう。
(『身近な雑草の愉快な生きかた』)
(「下線」は「脇点(、、、)」)
初め屋根に止まっているのはスズメかなと思ったけど
巣立ったばかりのツバメの幼鳥でした(o^^o)
巣立ったばかりのツバメの幼鳥でした(o^^o)
もっとながい時間があると思いいきいつだって母は生きていたのだから 永田紅(こう)
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
今日の皇室アルバムに「皇居内の水田でお田植えをなさる天皇陛下」と
「ご給桑をなさる皇后陛下」が紹介されていました(o^^o)
美智子さまは蚕が桑の葉を食べる音をきいておられました。
美智子さまは蚕が桑の葉を食べる音をきいておられました。
我が家のアジサイもお向かいの家のも色づいて来たのでそろそろかと思い、奈良のアジサイで有名なお寺へ行きました。
返信削除観光客がいないのは早朝だから?と思いお掃除のおじさんに尋ねると「まだ咲いてません」とのお返事。
またフライイングです。
おかりんさんこんばんは(*^O^*)/
削除奈良の山の方へ行かれたのでしょうか?
奈良も広いですからこれからの所もあるのでしょうね…
というこちらの公園もまだ色が薄いです…
水曜日頃に雨の予報なので、その頃には色づくでしょうか?
元気な頃は、フライングはしょっちゅうでした(^^ゞ