2016年11月6日日曜日

いくら温暖化だといっても…

  巻第四 512
  草嬢(くさのをとめ)が歌一首
秋の田の 穂田(ほだ)の刈りばか か寄りあはば そこもか人の 我(わ)を言成(ことな)さむ

穂の垂れた秋の田の,隣り合った稲刈り場で,ついこんなに二人が近寄ってしまったら,
それさえ噂の種に取り上げて,人は私のことをとやかく言いふらすでしょうか。

・草嬢―未詳。田舎娘の漢語風表現か。
もと稲刈り歌で,それが宴席などで歌われたものか。
◇刈りばか 稲刈りの分担範囲。
◇そこもか 「そこ」はその点。「か」は疑問を表わす。
萬葉集(一)』)
 秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ  伊藤左千夫
(『短歌歳時記』近藤芳美監修 長谷部淳編著 桜楓社 昭和58年)
あれ…(°0°)
いくら温暖化とはいえ…
よくよく見ると
クマゼミのようですが死んだまま木に止まっているようです。
   木と空に 
          村山槐多

木が風にふるへる
死神の眼の様にくらい葉が
ざわざわとゆらぐ
絶えまなく葉は光る


命がその度(たび)に輝く
(かすか)な紫に
私の命が
もどかしさうに哀
(かな)しさうに

空が木をみつめて居る
絶えまなくふるへる木を
それから私を


その空をふつと風が吹き消す
私はまばたきする
命は消えさうだ。

(『日本の詩歌17』)
花八つ手私見あやまりゐたりけり
(『しづ子』)
イヌホウズキ(ナス科)
   高雄
西行の夜具も出て有(ある)紅葉哉

[訳]西行の寝具も出ている,燃えるような高雄の寺の紅葉よ。
[語]西行の夜具―高雄の神護寺の文覚上人が,
法華会で西行を宿泊させた故事(井蛙抄・六)。
[解]西行を憎んで頭を打ち割ってやろうとした文覚が,
高雄で対面した後,西行に親しみを抱いたという故事をふまえ,
文覚の愛憎を紅葉の色で象徴した。
蕪村句集 現代語訳付き』)
今朝は,薄曇りであまり日が照っていませんでしたが
風がなかったので両親も散歩を楽しめました(^-^)
なんかカキの実みたいだなと思っていると
「ボクはジョウビタキ!」と可愛い声で訴えていた(^^ )
夕空に光の如く鷺とべば悲しみ和ぎて屋上を去る  河野愛子
(『現代の短歌』)
   五条キャバレー
 石叩ひるの奏楽瀬にこたへ
 昭和21年作。
秀野一家の住まいは四条と五条の中間に位置する。
四条も五条も歓楽街。
昼間,鴨川の川原でトランペット等々の楽器を奏でているのは
キャバレーの楽士達の練習であろうか。
石叩きが尻尾を振るのが,まるでリズムを取ってタクトを振っているようである。
 何気ない鴨川の川辺の一コマ。
(『石橋秀野の100句を読む』)
同じジョウビタキ♂でも違いますね(^▽^)
(ひかげ)りしもの慕(した)はしや鶲来る  後藤夜半
(『カラー図説 日本大歳時記[秋](旧版)』昭和57年)
枝ぶりの日ごとに替(かは)る芙蓉かな

五弁花が美しい木芙蓉(もくふよう)は,毎日咲き替わる一日花。
そのせいで,毎日,枝ぶりまでが替わるように思え,楽しませてくれる。画賛句。
(『袖珍版 芭蕉全句』)
茫々と吹かるるは尾花のみならず足首寒しバスを待つとき  大西民子
(『現代の短歌』)
落葉の中にいると分かりにくい…
キタテハの秋型かな?
キタテハ?の撮影に夢中になっていると(~_~;)
ケチヂミザサのひっつきむしはネバネバしているので
手で取ろうとしても手がネバネバしてしまいます。
で,いつもミニほうきでふきとっています。
検索すると一日天日干しにするといいそうです。
脱穀機が田んぼに向かっていました。
稲が掛けられた「はざ掛け」の景色も今日までのようです。