この家に枇杷の花咲けり我が親子今日からここにうつり住むなり 新井洸(あらいこう)
(『日本の詩歌29 短歌集』 中央公論社 昭和45年)
(『日本の詩歌29 短歌集』 中央公論社 昭和45年)
山家集 中 雑 797
十月中(なか)の頃,宝金剛院の紅葉見けるに,上西門院おはします由聞きて,
待賢門院(たいけんもんいん)の御時思ひ出でられて,
兵衛(ひやうゑ)殿の局(つぼね)にさし置かせける
紅葉見て 君がたまとや 時雨(しぐ)るらん 昔の秋の 色をしたひて
上西門院のお供をして宝金剛院の紅葉を御覧になるにつけ,待賢門院をお偲び申し上げて,
紅葉を染めた時雨のごとく涙にかきくれられることでしょう。
女院御在世の折の秋の様子をお慕いになって。
・宝金剛院 法金剛院とも。山城国葛野郡(現在京都市右京区花園)。
平安初期,清原夏野の山荘を仏寺とし,双丘寺と称したのがはじめ。
大治五年(1130,西行13歳)待賢門院再興,養和元年(1181,西行64歳)炎上。
・上西門院 鳥羽天皇第二皇女統子内親王。御母待賢門院。
保元四年(1159)二月院号宣下。
・待賢門院の崩御は久安元年。この歌は上西門院の院号宣下後の作であるから,
十数年以上遡って,待賢門院在世の折を思い出しての詠。
なお待賢門院は保延元年(1135)にも鳥羽院と共に宝金剛院に渡御,
その折を慕うとすればさらに十年ほど遡る。
(『山家集』)
十月中(なか)の頃,宝金剛院の紅葉見けるに,上西門院おはします由聞きて,
待賢門院(たいけんもんいん)の御時思ひ出でられて,
兵衛(ひやうゑ)殿の局(つぼね)にさし置かせける
紅葉見て 君がたまとや 時雨(しぐ)るらん 昔の秋の 色をしたひて
上西門院のお供をして宝金剛院の紅葉を御覧になるにつけ,待賢門院をお偲び申し上げて,
紅葉を染めた時雨のごとく涙にかきくれられることでしょう。
女院御在世の折の秋の様子をお慕いになって。
・宝金剛院 法金剛院とも。山城国葛野郡(現在京都市右京区花園)。
平安初期,清原夏野の山荘を仏寺とし,双丘寺と称したのがはじめ。
大治五年(1130,西行13歳)待賢門院再興,養和元年(1181,西行64歳)炎上。
・上西門院 鳥羽天皇第二皇女統子内親王。御母待賢門院。
保元四年(1159)二月院号宣下。
・待賢門院の崩御は久安元年。この歌は上西門院の院号宣下後の作であるから,
十数年以上遡って,待賢門院在世の折を思い出しての詠。
なお待賢門院は保延元年(1135)にも鳥羽院と共に宝金剛院に渡御,
その折を慕うとすればさらに十年ほど遡る。
(『山家集』)
巻第八 1516
山部王(やまべのおほきみ)の秋の葉(もみち)を惜しめる歌一首
秋山にもみつ木(こ)の葉の移りなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ
秋山に,名残り惜しさに黄葉する木の葉が散ってしまったら,さらに次の秋を見たいと思うだろうか。
(『万葉集(二)』)
山部王(やまべのおほきみ)の秋の葉(もみち)を惜しめる歌一首
秋山にもみつ木(こ)の葉の移りなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ
秋山に,名残り惜しさに黄葉する木の葉が散ってしまったら,さらに次の秋を見たいと思うだろうか。
(『万葉集(二)』)
一かぶの八ツ手の花の咲き出でしわが庭の木にのこる葉もなし 島木赤彦
(『短歌歳時記』近藤芳美監修 長谷部淳編著 桜楓社 昭和58年)
(『短歌歳時記』近藤芳美監修 長谷部淳編著 桜楓社 昭和58年)
嘴の色がはきりわからないので?ですが
クロガモかな(・・?
クロガモかな(・・?
白鷺 しらさぎ はくろ
[名前の由来・文化]
白色のサギ類は,奈良時代から「しらさぎ」「さぎ」「しらとり」の名でよばれていた。
「しらとり」は「さぎ」の枕詞としても使われたが,ハクチョウの異名でもあった。
古くから日本画に描かれているシラサギは後頭部に冠羽があり,多くはコサギと思われる。
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
[名前の由来・文化]
白色のサギ類は,奈良時代から「しらさぎ」「さぎ」「しらとり」の名でよばれていた。
「しらとり」は「さぎ」の枕詞としても使われたが,ハクチョウの異名でもあった。
古くから日本画に描かれているシラサギは後頭部に冠羽があり,多くはコサギと思われる。
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
脇へ行くな鬼が見るぞよ寒雀 一茶
(『カラー図説 日本大歳時記[冬](旧版)』昭和57年)
(『カラー図説 日本大歳時記[冬](旧版)』昭和57年)