2016年11月4日金曜日

眩しい青空で(^-^)

 薄
 芒が正しいとする説があるが、普通は薄と書く。
草冠に字に水を示す三水(さんずい)が入るのは実は珍しい。
薄はそれほど波を感じさせる。

  沖の荒ここまでとどく芒かな  久保田万太郎

  野のひかり尾花を共に持ち帰る  秋庭貞子

 逆光の波が美しいように、薄は逆光の花。
月見に欠かせないのも、灯の暗かった昔は、月光が薄を輝かせたからに違いない。
 そういえば、戦前の月見には電気を消したものだ。

  山は暮て野は黄昏の芒かな  蕪村

 これも残照が逆になっているととらなければ、句の面白さが薄れる。
画家であった蕪村ならではの眼であって、縦の構図の妙がある。

  君が手もまじるなるべし花芒  去来

 蕉門の十哲の一人、京、落柿舎に学んだが長崎の人。
長崎では旅人を日見峠まで送った。
橘湾の朝日、東シナ海の夕日が見事なので日見峠という。
これは朝日の逆光の句。
君は友人だろうが、丸山の遊女と考えると、句も薄もにわかに艶を含む。
(『くさぐさの花』高橋治/朝日新聞社 1987年)
野菊の瞳息づける馬の足元に
(『山頭火大全』 講談社 1991年)
わが時間にかかはりのなき石蕗(つは)の花ここ水上(みなかみ)にかがやけるかな  伊藤一彦
現代の短歌』)
このあたり柿美しく子は早熟
(『しづ子』)
牛乳の空瓶舐めている猫とひとりのわれと何奪りあわん
(『寺山修司全歌集』 沖積舎 昭和58年)
鶲とぶ色となりたる如くかな  星野立子
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
山鳩は朝より森に鳴くなれど然(さ)は悲しげに鳴くこと勿れ  宮 柊二
(『現代の短歌』)
無花果を挘(も)ぎし手ねばる休診日  下村ひろし
(『カラー図説 日本大歳時記[秋](旧版)』昭和57年)
イヌイチジクと呼んだ方がいいと思うのだけどな…(^^ )

イヌビワ クワ科
 樹高は普通2~3m,高くても5m程度。枝は横へ広がる。
葉は先端に向けS字に湾曲してとがる独特のみだらな形状で,
ユズリハやセイヨウシャクナゲを薄くしたような雰囲気。
都市では,古い公園や庭園,屋敷林など,樹林下の薄暗い林縁などにみられる。
真冬でも,小枝を切ると水分の多い乳液が流れ出る。
枝を削ると少し甘い青臭さがあり,托葉痕や芽付近から水分がにじみ出す。
葉幅が約3~4cmの細長い品種ホソバイヌビワが混生し,枝は柔らかく枝垂れる。

(『都市の樹木433』)
地面すれすれで落ち葉が舞っていた…
ケチヂミザサのねばねばに捕まっていました(*´∀`*)
いちょう【銀杏・公孫樹・鴨脚樹】
 俳句の歳時記には,銀杏黄葉,銀杏の実,銀杏落葉などに分かれて載るが,
近代短歌ではまず秋の黄変の美しさが採り上げられた。

  金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に  与謝野晶子

 1905年に作られたこの作品は,
秋の夕日をうけた銀杏の大樹がまばゆいほどの美しさを見せており,
銀杏を詠んだ近代短歌の決定版となった。
上の句を映像的な直喩表現に費やして銀杏の散る様子に焦点が絞られ,
動きを伴った叙景歌となっている。
この銀杏黄変の美しさが<金色のちひさき鳥>を超えて表現されるのは,
半世紀近く経た戦後のことである。
(『岩波現代短歌辞典』)
ツルソバ
 本州以南の暖かな海岸地帯でごくふつうに見かけるタデ科の植物。
潮風や強い陽光にさらされる海浜環境にいかにも適応した感じがある。
冬場に咲く花はちょっとうるんで濁りのある白だが,一面に咲くと甘い蜜のような香りを放つ。
それを良しとしてちょっと気を許すと,つるで広がって一面を占領し,
地上は何メートルにもわたってよじ登り,
地下にも手ではとうてい掘り取れないほど頑強な塊状(かいじょう)の根を発達させる。
日本のみならずヒマラヤ,インド,中国,マレーシアと幅広く分布するのも,
その強靱(きょうじん)な性質からだろう。

(『スキマの植物図鑑』)
春過ぎ夏闌(た)けてまた 秋暮れ冬の来(きた)るをも 
  草木(くさき)のみただ知らするや あら恋しの昔や 
    思ひ出(で)は何(なに)につけても

◇世阿弥作と伝えられる謡曲「俊寛(しゅんかん)の一節。
この章句は鬼界が島の配所にあって,俊寛が平康頼(やすより)や藤原成経(なりつね)と共に,
都のことを懐かしく回想する場面。
独立した歌謡としてみれば,今は疎(うと)くなって久しい人を思い出して,
楽しかった昔を追想する趣ともとれよう。
起筆は「かくて春過ぎ夏闌けぬ,秋の初風(はつかぜ)吹きぬれば,
星合(ほしあい)の空を眺めつつ,天(あま)のと渡る梶(かじ)の葉に,
思ふ事かく此(ころ)なれや」(平家・巻一・祇王)による。

「春が過ぎ,夏も深まり,また秋が暮れて冬が訪れる。
この季節の移り変わりを知らせてくれるのは,ただ草や木の色だけだ。
ああ恋しい昔よ。思い出というものは,何につけても懐かしいものだ。」
(『新訂 閑吟集』)
 コスモスに風の渡れば夕餉かな
(『俳句で綴る変哲半生記』)