2026年5月30日土曜日

雲がない…

今朝は、雲一つない青空が広がっていました。
でも、台風6号が近づいているのですよね。
台風6号の予想進路を見ていると太平洋側を通るみたい…
台風に伴う風の特性」(気象庁)

これまでにも何度か書いていますが、
リンゴ台風(台風19号 1991年)」のことを思い出します。
ちょうど立山に登ろうとしていました。
室堂に向かうバスのガイドさんが「こんな青空初めて見ました」というほどでしたが、
雄山に登っていると次第に風が強くなってきたので山小屋に避難しました。
夜中、富山湾側から吹く風に山小屋が持ち上げられそうな暴風
暴風に飛ばされた石で2階の客室の窓ガラスが割れ
宿泊客は1階の食堂に集まり台風が通り過ぎるのを待っていました。
ドキュメント72時間「東京・丸の内 ふらり噴水公園へ
兵庫に住む娘さんが帰省して
こっちに帰って来るたびに(母が)歩ける距離っていうか
疲れやすくなるなっていうのは、距離を置いているからか
やっぱり、どうしても実感するので……

と話されていました。
一緒に暮らしていても思うのですから、尚更でしょうね…

朝ドラ「風、薫る」第9週「看病婦とアメ」に登場していた「アメ」について
SNSにあの飴は「梅ぼ志飴」ではないかという情報がありました。
そんな話しを妹にすると「食べたことある」と言っていました。
NHKの公式サイトでは、商品名などは公表できないと思いますので(^_-)
Ⅰ 創業者の才覚
 六 菓子の新作 


 独立店舗を構えた栄太郎は金鍔に加えて多くの和菓子を創製しました。
なかでも有平糖(あるへいとう)・梅ぼ志飴、甘名納糖(あまななっとう)、玉だれは好評で、屋号とした榮太樓の名を世に広めたのですが、さらにこれらの菓子が果たした特別の役割がありました。
それは従来、高価だった菓子というものを庶民が気軽に楽しむことができるようにしたことです。
顧客の要求に応えるおいしさ、品質の特性、そしてこれを庶民の手が届く値段で売ること、そのために薄利でできる製法の工夫がありました。
これが「樓の字事件」や「千羽鶴屏風事件」を招来するような盛況をもたらし、明治10年頃には東京で一、二を競う菓子商人となったのです。
その栄太郎は製菓技術者として優れていた一方で、菓子業以外にも不動産による資産の増大を計っていました。
 ここでは主力商品について、その工夫のあとを述べたいと思います。
(『江戸っ子菓子屋のおつまみ噺』細田安兵衛 慶應義塾大学出版会 2009年)
 榮太樓飴・有平糖・梅ぼ志飴

 有平糖とは南蛮貿易がもたらしたポルトガルに由来する菓子の一つです。
これは上質の白砂糖、または氷砂糖を原料とした砂糖菓子であり、金平糖や金花糖も同じです。
高価なため、とうてい庶民の口には届かぬものでした。
これを日本独特の手わざによって見事な有平細工として仕上げ、献上菓子や上流社会の冠婚葬祭の供え物などに用いられるようになりました。
今日でも有平糖の細工菓子は雛祭りや茶席などの添菓子に見ることができます。
 一方、日本古来の「飴」とはでんぷん、主として米を原料として、麦芽糖化によって練られて作られた水飴です。
派手な扮装をして歌や踊りを交えた行商人の飴売りが扱ったのは、練りぐあいによって固さなどが異なりましたが、いずれもこの種の麦芽飴です。
もう一種、白玉粉や餅粉などに砂糖や水飴を入れて火で練り上げた求肥(ぎゅうひ)飴があり、これも日本古来のものです。
 明治になり、良質の精製糖が輸入されるようになって白砂糖も庶民の口に入るようになるとともに、有平糖もその独特な風味を直接なめることができる有平飴として作られるようになりました。
つまり従来の「飴」とは異質の砂糖菓子です。
 榮太樓の梅ぼ志飴は有平糖の変化の流れのなかから生まれてきたものです。
製法も有平糖の作り方によるもので、きわめて純度の高い砂糖を主体とした糖蜜を、強い直火で短時間に煮詰め濃縮します。
砂糖の熱分解はカラメルを主体とした複雑な化学物質を生じ、それが独特の風味のあるコクと歯切れのよさをもたらします。
 製造をはじめた明治初期の工程は、煮詰まった飴を鍋から冷却工程に移した時点で本紅(紅花から獲れる練紅。紅花は高熱では色がとんでしまう)を混ぜて著色(この、高熱を除いたところで混ぜることを岡混ぜという)し、これが適当な温度と硬さになると、棒状に伸ばし、それを鋏で一粒ずつ小さく切り、その切口を三本の指で摘み押さえて成型しました。
 赤くて、指で摘まれたためにできた表面の皺と姿形が、あのすっぱい梅干に似ていることから、あえて酸味とは正反対の甘いこの飴に、江戸っ子のしゃれと機智を利かせて「梅ぼ志」と名づけたのです。
今までお客様から梅干の味がしないというクレームが何回かありましたが、名前の由来はこういうところにあります。
 梅ぼ志飴はその名の通り、本紅著色の赤色ばかりでした。
しかし本紅がたいへん高価でしたから、少しでも安価にということから栄太郎は著色以前のもの(いわゆる飴色)と、紅色のものを混ぜて売り出しました。
これは原料コストの引下げ、工程の手間を省くと同時に、赤と黄色の配色効果を結果として、かえって商品価値を高めることになりました。
「梅ぼ志飴は榮太樓の創製品」と記した文献を散見しますが、その確証は見つかっていません。
が、無着色と紅色の二点で売り出したのが榮太樓であることは間違いありません。
 鋏で切って、指で摘むという手作業は昭和の初期まで続きました。
その後は戦後の一時期を除いてローラー成型となり、今日にいたっています。
また本紅をやめて、人工または天然の色素を使用するのは戦後です。
 その独特の風味はハードキャンディーやドロップが人工香料や味付けしているのと異なり、高熱によって自然に化学変化したものですから、さわやかななかにもコクがあって、それだけに飽きがきません。
私は「梅ぼ志飴の味は米(ご飯)の味」といっています。
歯切れのよさも高純度の砂糖を原料としているからです。
口に入れてカリカリと、硬いけれども噛み砕くことができ、ねばる重い固さではありません。
しかも歯にくっつくということがありません。
「榮太樓の飴は歯につかない」とは、よくお年寄りから聞く話です。
いわゆるキレがよいとでもいうのでしょうか。
ですからまた、欠けたり、粉が出やすいのでバラで容器に入っているものの扱いには注意しています。
 もうひとつの特徴は続けてなめていても口の中が荒れないことです。
この特性は原料の質からくることです。
砂糖菓子ということから昭和49(1974)年までは有平糖「梅ぼ志飴」とは呼ばず、ただ「梅ぼ志」と称していました。
厳密には「梅ぼ志形(なり)有平糖」というべきかもしれません。
「榮太樓飴」という総称は昭和30年前後、鉄道弘済会売店(キヨスク)や列車内で販売するようになって、利便性から自然発生的に使うようになりました。
 なお「有平糖」のルーツはポルトガル語の「アルフェロア=ALFELOA」(砂糖の意)が訛ったというが定説でしたが、これは誤りです。
「アルフェニン=ALFENIM」という砂糖菓子がそれなのです。
今でも大西洋上に浮ぶポルトガル領テルセイラ島では家庭で作られています。
(『江戸っ子菓子屋のおつまみ噺』細田安兵衛 慶應義塾大学出版会 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)/
巣立ったばかりのツバメの子が休憩していました。

5章 ウイルスとともに生きる 4 根絶の時代から共生の時代へ」つづき
 
 麻疹ウイルスもポリオウイルスも、人間だけに感染する。
したがって、これらの感染症もワクチンを普及させることでヒトの間での感染の広がりを抑えれば、いずれは根絶が可能である。
このほかにも、たとえばB型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスなどのヒトだけに感染するウイルスも、有効なワクチンができれば、根絶も夢ではないだろう。
 しかし、本書でとりあげたウイルスはいずれも野生動物を自然宿主としており、さらにヒトを含むほかの動物でも広がって大きな被害を与えるようになったウイルスである。
そして、これまでに見てきた通り、エマージングウイルスはさまざまな野生動物から、繰り返し現れる。
 野生動物と共生していくということは、彼らの保有するウイルスとも共生する必要があるということを意味している。
野生動物の生息域にヒトが入りこむ機会が多い現代社会では、野生動物を自然宿主とするさまざまなウイルスから、いかに感染を防ぐかが求められるようになるだろう。
新型コロナウイルスは、21世紀がウイルスとの共生の道をさぐる時代に入ったことを、われわれに見せつけているのである。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)
榮太樓の飴は歯につかない」と書いてあったので欲しくなりました。
店舗情報」にこちらでも販売しているとの情報に
夕食の買い物に行った時に地下の食料品売場では、見つけることができませんでした。
店員さんに聞くと1階に売り場が移動したと教えてもらい
1階でも店員さんに聞いて、缶ではありませんが見つけました!(^^)!

どんな飴かは、 「がんこに三角 榮太樓飴」をご覧下さい!
梅干飴でないので〝酸っぱくない「梅ぼ志飴」〟ですよ(^。^)

南蛮菓子と砂糖の関係」(農畜産業振興機構 2010年3月6日)