毎日が日曜日の引退組のσ(^^;)
久しぶりに出町柳から.叡山電車に乗りました。貴船口で下車(10時頃)、京都バスに乗りました。
車窓から帰りに見たいと思っていた場所を確認しました。
発病前は、鞍馬寺からこの鞍馬寺西門に降りてきたこともあります。
鞍馬寺から貴船神社のコースタイムを見ると5時間ほどになっていたので諦めました。
私の場合は、標準時間の1.5~1.3倍かかります(^_^;石段をのぼっていくと貴船神社の本宮 絵馬発祥の社(えまのふるさと)
先人にならい絵馬を奉納してご祈願下さい
古来、雨乞の社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨には白馬又は赤馬を、その都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと、平安時代の文献である『類聚符宣抄(るいじゅふせんしょう)』は伝えています。
この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。
当宮では、此の故事に倣らい、かつて和泉式部が復縁を、平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったように、皆様方の心の願いを、一枚の絵馬に託して御祈願なさいますよう、お勧め致します。
三社巡拝のおすすめ
本 宮 諸願成就
結社(ゆいのやしろ) えんむすび
奥 宮 心願成就 由 緒
御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。
水の供給を司る神。
創建年代は明らかでないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。
対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦15年(796)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。
永承元年(1046)7月の水害で奥宮が被災、天喜3年(1055)4月にこの地に本社を移築した。京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。
特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。
「その数数百度に及ぶ」とある。
平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社。
庶民の崇敬も篤く全国に二千社を数える分社がある。
古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「木船」「木生嶺」「氣生根」などの表記も見られる。
明治4年官幣中社となり、以後「貴船」の表記で統一された。
例祭 六月一日
「貴船神社について」 神 水
一、自ら活動して他を働かしむるは水なり
二、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
三、自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
四、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
五、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり鴨さんも貴船神社にお参りしていました。
「貴船神社で願い事」(2014年7月19日 土曜日)
蒸し暑い京の街中から涼を求めて貴船まで。
事務所のメンバーと車2台での楽々移動です。
社殿のまわりにはたくさんの短冊が下げられた七夕飾り。
私もひとつ願い事をしてきました。
ちなみに貴船神社では来月15日まで七夕飾りのライトアップも行われています。
お詣り、水占いを済ませ
最後にお守り選び。
みんな良縁を求めて真剣(@_@)。
頑張るのですよ~♡
…後略… 桂(御神木)
貴船は古くから「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。
大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根原という意味。
神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい、古来当社に参拝する者皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤い。
この桂は、樹齢四百年、樹高三十メートル。
根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。
上流の結社さらに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂がある。
石庭 天津磐境(あまついわさか)
昭和の作庭家の第一人者・重森三玲氏が昭和40年に、古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして造った石庭。
貴船川から産出する貴船石は、緑色や紫色をした美麗な水成岩で、庭石、盆栽石の名石として、その数も少なく珍重されている。
この庭は、貴船名石保存のため、すべてを貴船石で石組されているのが特徴で、庭全体が船の形になっている。
中央の椿の木がマストで、神が御降臨になる樹籬(ひもろぎ)でもある。
神武天皇の母神様・玉依姫が、浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの神社創建の伝承に因んでいる。
その黄船は今も奥宮に船形石として残っている。
貴船神社 中宮根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。
上流の結社さらに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂がある。
石庭 天津磐境(あまついわさか)
昭和の作庭家の第一人者・重森三玲氏が昭和40年に、古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして造った石庭。
貴船川から産出する貴船石は、緑色や紫色をした美麗な水成岩で、庭石、盆栽石の名石として、その数も少なく珍重されている。
この庭は、貴船名石保存のため、すべてを貴船石で石組されているのが特徴で、庭全体が船の形になっている。
中央の椿の木がマストで、神が御降臨になる樹籬(ひもろぎ)でもある。
神武天皇の母神様・玉依姫が、浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの神社創建の伝承に因んでいる。
その黄船は今も奥宮に船形石として残っている。
結 社(ゆいのやしろ)
御祭神 磐長姫命(いわながひめのみこと)
神武(じんむ)天皇(初代の天皇)の曾祖父にあたられる瓊々杵尊(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を娶(めと)らんとする時、父の大山衹命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命も共におすゝめしたが、瓊々杵尊は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾こゝに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。
古くから縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が篤く、平安時代の女流歌人・和泉式部(いずみしきぶ)が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。
(和泉式部の歌碑がこの上の境内に建っています)
昔はスゝキ等の細長い草を、今は「結び文(ふみ)」を神前に結びつけて祈願する習わしがあります。
男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んで下さる神様です。 天乃磐船(あまのいわふね)
この船形の自然石は、貴船の山奥より出土し、平成8年3月、市内の造園業・久保篤三氏より奉納された。
重さは6トン。
船は、古くは唯一の交通機関であり、人と人、文化と文化の交流(結ぶ)ということから、縁結びの信仰と関わりがある。
また、奥宮の「船形石」伝説に見られるように、神様の乗り物として神聖視され、当社と船との関わりは深い。
縁結びの神で知られる結社の御祭神・磐長姫命の御料としてここに納めた。 天の磐船・つつみヶ岩・船形石
(天の磐船)
…前略…
この花こう岩は、接写(写真省略)でもわかるように石英(透明な部分)や黒雲母(黒い部分)が判別できます。
細粒ですので、普通の花こう岩と比較すると石英や長石の黒雲母などの鉱物の大きさが小さく、それぞれの大きさがそろっています。
これはマグマが早く冷え固まったためです。
つまり元のマグマが小さかったか、大きいがその周縁部にあっために早く冷え固まったものと考えられます。
…後略…
(『巨石めぐり』自然環境研究オフィス編著 東方出版 2011年) 和泉式部 歌碑
貴船神社は、古来、恋を祈る社でもありました。
平安時代の有名な女流歌人・和泉式部は、夫との仲がうまくいかなくなって当社にお参りし、貴船川に飛ぶ蛍を見て、切ない心情を歌に託して祈願しました。
すると、社殿の中から慰めの返歌が聞こえてきて、ほどなく願いが叶えられ、夫婦仲がもとのように円満になったということです。
『後拾遺和歌集』には次のように記されています。
男に忘れられて侍りけるころ貴布禰に参りて
みたらし川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる
ものおもへば沢の蛍もわが身なり
あくがれいづる魂かとぞみる
(※あれこれと思い悩んでここまで来ますと、蛍が貴船川一面に飛んでいます。そのはかない光は、まるで自分の魂が体からぬけ出して飛んでいるようでございます)御返し
おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ
(※しぶきをあげて飛び散る奥山の滝の水玉のように<魂がぬけ出て飛び散り消えていく=死ぬかと思うほど>そんなに深く考えなさるなよ。)
この歌は貴布禰の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなむいひ伝へたる。 貴船より
奥に人住む
葛の花
いはほ
松尾 巌。ホトトギス同人。
京都帝国大学教授、医学者。
句碑はもと、本宮石段昇り口にあったが昭和10年6月29日の大水害で破損、上部は流出した。 桂(御神木)
この桂は、樹齢およそ四百年。
神道では体内の気が衰える事を「気枯(けが)れ」といい、古来当社に参拝する人は皆御神気に触れ、気力の再生・充実する事から、運気発祥(開運)の信仰が篤い。
いくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇る姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。
本社と奥宮にも大きな桂がある。
※結び文は社殿脇の結び所に結んで下さい。樹木に結ぶと枝が枯れ、貴方の「気」も枯れてしまいます。 相生(あいおい)の杉(御神木)
同じ根から生えた二本の杉。
樹齢千年
相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味。相生の杉のそばにちょこんと杉の木が伸びている岩がありました。
このままだと杉の木の根に包まれてしまうのかな?
なんか困ったような顔に見えました(^_-) 思ひ川
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。
当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷は禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川だったのです。
和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。禊の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」とよばれるようになりました。
遅桜なほもたづねて奥宮
思ひ川渡ればまたも花の雨
虚子ツツジが咲いているそばに大きな岩
貴船名石
つつみヶ岩
高さ4,50m
胴廻り9m
重さ43トン以上(12、000貫) 天の磐船・つつみヶ岩・船形石
(つつみヶ岩)
…前略…
とくにいわれのある石でもありませんが、地学的には珍しいものです。
石そのものは緑色岩と呼ばれる玄武岩が変質した岩で、表面を詳しく観察する重ねた断面のようなところが見られます。
写真(省略)で指先のあたりに枕状の断面が観察できます。
これは海底火山による噴出物で枕状溶岩と呼ばれるものです。
海水中に流れ出た玄武岩質の溶岩が急に冷やされ、海水と反応して緑色岩となります。
表面に薄い外皮ができ、筒状の長細い枕のような形ができます。
しかし、内部はまだ固まっていません。
さらに、溶岩の供給が続き、内部の圧力が高まります。
その結果、外の皮を破って、海水中に再び溶岩が流れ出し、また細長い枕の形ができます。
このようにして枕状の形の溶岩が次々積み重なってできた岩が枕状溶岩です。
今から約3億年前、当時の赤道付近の海底でのできごとで、その後太平洋プレートに乗って長い時間をかけて、この地まで運ばれてきたものです。
貴船神社付近にこのような枕状溶岩を含む海底火山の溶岩の緑色岩が広く分布しています。
…後略…
(『巨石めぐり』自然環境研究オフィス編著 東方出版 2011年)
…つづく…
実は、この本を購入したのは、発病後のことで「巨石めぐり」はもうできないと諦めていました…























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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m