オオスズメバチと鉢合わせ(°°;)
立ち止まっていましたが、正面でにらめっこするように飛んでいる……
進路を塞いでいるのかもとゆっくり後退りしたのですが今にも服にとまりそう……
我慢してジーッとしているとやっと飛んでいってくれました。
ほんの数十秒だと思うのだけど長い時間のように感じました(;´Д`)
だいぶ前の話ですが柳生街道で石仏を撮そうとすると
「カチカチ」と音がしたので振り向くとオオスズメバチ!!!(゚Д゚)
すぐにその場を離れました…
「スズメバチからの警告」(上野高敏 九州大学大学院)今日、5月12日は、「看護の日」
フローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなむそうです。
〝「看護の日・看護週間」とは〟(日本看護協会)
羽海野チカさんが(5月11日)
NHKの朝のドラマ「風、薫る」の
りんさんと直美さんを描かせていただきました😊🌸🍀🍀🍀🍀🍀
…後略…
( 画 像 )
そういえばコロナの時もポスターを書いてくれていましたね
( 画 像 ) 羽海野チカさんは(5月8日)
少し前にちょっと入院していたのですが
…中略…
丁寧に診ていただけているので
とても安心して過ごしております
とても元気です!
…後略…
などと投稿されていました。
私も循環器科内科、外科に入院しましたが、本当にお世話になったと感謝しています。
一方、入院中などに若い看護師さんに無理を言ったり
イライラして怒鳴る患者がいました。
そのたびに看護師をしている姪のことを思い浮かべていました。
「風、薫る」の世界は今でも…
一方、医師と看護師などとの関係は、ドラマの時代と違って信頼関係があると思います。
人神信仰の異相2
平将門―「将門の祟り」を増幅した首塚伝説
怨霊視が進んだのは近世以降か
桓武(かんむ)平氏の祖高望王(たかもちおう<桓武天皇の曾孫>)の孫にあたる平将門(たいらのまさかど)は、関東の下総(しもうさ<千葉県北部・茨城県南西部>)を地盤としたが、承平(じょうへい)5年(935)に「平将門の乱」を起こし、天慶(てんぎょう)2年(939)には北関東を支配下に置いて、自らを「新皇(しんのう)」と称して朝廷に向かって公然と反旗を翻した。
ちょうど、京の人々が菅原道真(すがはらのみちざね)の怨霊の影に恐れおののいていた頃である。
だが、翌年2月には朝廷側の軍に攻められてあえなく敗死し、将門軍は総崩れとなって乱は鎮圧された。
将門の首は京に送られ、東市(ひがしのいち)のそばの樹に掛けられたという。
(『なぜ、人が神となるのか 「人神」信仰に秘められた日本史の謎』古川順弘 山川出版社 2026年) 伝説によれば、その後、将門の首は故郷の東国をめざして帰り飛び、武蔵(むさし)国豊島(としま)郡芝崎(しばさき)(東京都千代田区大手町)に落ちた。
住民は首塚を築いて葬ったが、将門の怨霊が祟りをなして住民を苦しめつづけた。
そこで鎌倉時代の末、当時はこの地に所在していた神田明神(現在は千代田区外神田<そとかんだ>に鎮座)に将門霊を合祀したところ、ようやく祟りが収まったという(芝崎には古くから日輪寺という寺院があったが、中世にはその境内鎮守<ちんじゅ>に将門霊が配祀され、それが神田明神のはじまりになったという異説もある)。 しかし、平安時代には将門の祟りが人々の噂にのぼることはほとんどなかったらしく、「将門の首が東国へ帰り飛んだ」「将門を神田明神に祀ると祟りが収まった」といった説話が文献に登場するのはじつは近世に入ってからである、しかもその文献は通俗史書や軍記物の類いである。
つまり、将門が明瞭に怨霊視されるようになったのは、江戸時代の出版文化の賜物と考えられるのだ。 大手町の将門首塚はかつては高さ約6メートルの墳丘だったが、関東大震災(1923年)後の焼け跡整理のために墳丘は取り崩され、跡地に大蔵省本庁舎が建てられた。
するとその後、役人に病死者が相次いだという。
そのため、将門の祟りが改めて噂されるようになった。
昭和15年(1940)には庁舎が落雷で炎上。
人々がますます将門の祟りを意識するようになったことは言うまでもない。
道真の祟りと結びつけられた千年前の清涼殿(せいりょうでん)落雷事件を彷彿(ほうふつ)させる展開であった。
(『なぜ、人が神となるのか 「人神」信仰に秘められた日本史の謎』古川順弘 山川出版社 2026年)
「平将門の首塚 不思議な畏怖がわくパワースポット」(NHKアーカイブス 2015年) 三章 王朝の暗黒部を生きた鬼
4 鬼の心と呪術の世界
愛の変節を責める女の鬼
ここまでくると、どうしても『平家物語』の<鉄輪の女>の話をせねばならない。
「剣の巻」にある話で、嵯峨天皇の代としている。
ある公卿の女、あまりに妬み深く、貴船に七日籠り鬼になることを求めたところ、宇治の川瀬に潔斎して鬼となるよう示現があった。
女は喜んで、丈なす髪を五つに分け、五つの角に擬して結いあげ、顔には朱をさし、身には丹を塗り、鉄輪を戴き、その三つの脚には松明をともし、さらに松明に火をつけて口にくわえ、夜更けてのち大和大路へ走り出て南をさして行った。
頭より松明の炎はふき流れ、眉太く鉄漿(かね)ぐろに、顔も赤く、身も赤いのでそれはそのまま鬼であったが、ついに宇治川に二十一日間浸り清まって、生きながらほんとうの鬼となったという。
これは、宇治の橋姫伝説とも微妙にからみ合いをみせて伝播して逸話で、能の「鉄輪」に用いる<橋姫>という凄惨な面もある。
しかし、ここではそれとは別に、謡曲の「鉄輪」にえがかれた女を取りあげ<鬼>の心情をさぐってみたい。
(『鬼の研究』馬場あき子 ちくま文庫 1988年) 能には「道成寺」という苛烈な恋の決算をえがいた大曲があるが、「鉄輪」はそれにくらべるとずっと哀憐の情の深い抒情的な曲に仕立てられている。
舞台経過の上では、呪術に使われているうわなりの髪を手にからまいて、憤怒の情を打ちつけるというすさまじい一場面も持ってはいるが、僧の祈りにも修伏されずに日高川の深淵にとび込む「道成寺」の蛇体にくらべ、その去りぎわは忸怩としていて、陰惨ななかにも悲哀の情がただよう。
そしてまた<鬼>とは当然そうしたものであるので、ことに変貌を余儀なくとげた人鬼の復讐など、けっして苛烈非情なだけでは終り得ない。
まして愛の変節への怨みなどは。「げにや蜘蛛の家に暴(あ)れたる駒は繋ぐとも二道(ふたみち)かくるあだ人を、頼まじとこそ思ひしに、人の偽り未知らで、契りそめにし悔(くや)しさも、ただわれからの心なり。あまり思ふも苦しさに、貴船の宮に詣でつつ、住むかひもなき同じ世のうちに報ひを見せ給へと――」この綿々たる内省から発する恨みゆえ、鉄輪の女は鬼に変貌し得たのだと思わせるまでに、この冒頭部に置かれた詠嘆は深く沈鬱である。
「二道かくるあだ人」を頼みとして生きるような不運は結婚はしたくないというのは、ことに王朝以降の爛熟し頽廃してゆく精神文化のなかでは、ひとしく女の希った願いであったことはいうまでもない。
権力抗争が極端に厳しかった時代であるがゆえに、『源氏物語』の存在価値がいっそう評価されるという、そのような形での、人間的抒情への飢餓感から、ことにも女は破滅しやすかったといえるし、そうした女の世界は、謡曲の時代においても本質的にどれほど変わり得たかは疑問である。
それはあるいは、よいいっそう閉鎖的な、深い飢えとなっていたといった方が正しいかもしれないのだ。
にもかかわらず、「人の偽り未知らで、契りそめにし悔しさも」というような、裏切られるためにだけあるような純粋な献身を、女はある時、不用意に男にささげる。 女が貴船の明神に祈って、生きながら鬼となったことは、『平家物語』の結末どおりである。
さてそれから、廻る車輪のような因果の道理にまかせ、「われに憂かりし人々に、忽ち報ひを見すべき」であると、夫の枕頭に佇んでその命を奪おうとする。
ところが、「いかにあだ人や珍らしや」という勝ち誇ったような鬼女の気負いは、つぎの刹那に深沈たる哀切な怨みに転じてゆき、「御身と契りしその時は、玉椿の八千代、二葉の松の末かけて、変らじとこそ思ひしに」というような、まったくこの期におよんでどうしよもない繰り言を紡ぎはじめるのである。
一瞬に命を奪って、たちまち報いを見せるために、女であることを放棄し、人であることを放棄しながら、女はすでに行動の前に早くも敗れ去っているという感が深い。「鉄輪」一曲にすこしこだわりすぎているようであはるが、この曲は鬼とならねばならなかった一人の女の内側を纏綿と余すなく語っていると思われるからである。
「捨てられて、思ふ思ひの涙に沈み、人を怨み、夫(つま)をかこち、或時は恋しく、又は怨めしく、起きても寝ても忘れぬ思ひの、因果は今ぞと白雪の消えなん命は今宵ぞ、痛はしや」。
このような恋着と怨みのはて、ついに、女は男を殺すことが出来ず引きかえしてゆく。
捨てられた怨み、離れて生きる恋しさなどを、つくづくとつらね口説いたのち、やっと「白雪の消えなん命は今宵」と急迫して迫りながら、その一瞬、怒涛のような愛がかえって来て、「痛はしや」と、急転して涙をあふれさせざるを得ない。
鬼となって生殺与奪の力を得たその両の手を垂れて、女は夫の枕頭にしみじみと泣くのである。
その時、殺意を宿した手はふいに抱擁のあたたかさを思いおこし、御幣(みてぐら)に在る守護神の責めに怖れをなす以上に、女は混乱するみずからの愛の行方に困じはてていたのではなかろうか。私は女の鬼について考えるとき、いつもこの、<鉄輪の女>の殺害未遂に終った場面を、ことさらにかなしく美しく思い浮かべる。
敗北し、守護神に逐われて深沈混沌とした心の闇にかえってゆく鬼女の後姿にはまったく成功のかげがない。
たとえもう一度、いや何度試みたとしてもとうてい夫を殺すことはできそうにないその心は、鬼と化してもなお深く愛しきっている弱さにおののいている。
鬼女となることを貴船に祈った時、夫の愛の変節を責める心には、おそらく目前の憤りと屈辱以外はうつらなかったにちがいない。
しかし、鬼女に変貌し、その鬼気に賊害されて憔悴している夫の枕頭に佇んだ時、この女は切にもう一度妻としてまみえなかった心に気づいたことであろう。
怨みを報ずる喜びの前に、一度鬼界に交ったものは、ふたたび人界にもどれないことをまったく忘れ去っていたのである。
「まづこの度は帰るべし」と、守護神の並みいる御幣(みてぐら)に背をむける弱々しい後悔の肩は、これによってひとつの愛のまったき終りが来たことを知って、重たく深く落ちこんでいたはずである。 鬼とは、しょせん調伏されねばならぬものである。
人間を放棄してまでも報いようとした怨みとはどれほどのものであったろう。
その怨みゆえに鬼と変貌することを求めた一人の人妻が、変貌ののちに見たものは、悔しくも変貌しきれぬ夫への恋着であり、愛執であった。
とはいえ、それがどう解決のつくことであったろう。
鬼になっても、ならなくても、愛することと、愛されぬこととは、けっして解決のない心の闇に属することなのであって、女にはいっそう厳しく、変貌をとげてしまった現実だけが残ったにすぎないのである。 もうひとつには、一念凝った激しい愛のために蛇体を得て川を渡った「道成寺」の女がある。
『今昔物語』では寡婦として語られ、謡曲では、まなごの庄司の娘として創作されている。
夫婦になれることを、女の一方的な執愛のなかから信じきっていたそれは、あまりにも単一であり、あまりにも純粋すぎる愛への期待である。
その純粋さと激しさとの釣合うすさまじさが変貌後のテーマになっているのだが、蛇体が巻きついて鐘を灼熱させるという凄惨さ苛烈さとはうらはらに、女の心底を流れる激情の炎には、意外に繊細な震えが感じられる。 説話世界では、女が愛執深く蛇体となることはすでに通念となっているが、これらの女の変身譚には、愛を信じたことへの羞恥と背信への怒りとが等分の重さで存在している。
これら、邪淫の悪鬼とよばれる<鬼ごころ>は、人の心がすべて信じがたいことを正説とする時代に、ことばを信じて愛に敗れた人の哀しみを表現したものといえる。
変身のきっかけとして存する羞恥と怒りは、だがけっして人への愛を否定したものではなく、むしろ、いっそう深く肯定したものであるがゆえに、変貌はいっそう悲劇的である。
<生きながら鬼となる>とは、いわば<愛の正身(むざね)>を見せたことなのである。
そして、このように神であり鬼でもある正身(むざね)の愛をもって、世の秩序に順応した人間の愛に交わることはできないのである。 裏切りの愛に報いるということが、そのような潔癖さで、ひたみちに、正身(むざね)として鬼をあらわす以外にないことを、確認してゆくはてに中世の女の鬼は生まれていった。
「鉄輪」の鬼女に綿々たる哀しみを語らせ、溢れる愛の思い出に涙を流せているのは、鬼が、より人間的な絆の回復を求めているからである。
そのために復讐を躊躇する<鉄輪の女>の一瞬は、『源氏物語』が描いた六条御息所の情念の世界ともけっして別のものではない。
(『鬼の研究』馬場あき子 ちくま文庫 1988年)
「鉄輪(かなわ)」(the 能.com)
「道成寺(どうじょうじ)」(the 能.com)今朝の父の一枚です(^^)/
竹林を写していました。
クヌギの木につく昆虫の観察
ほとんどの昆虫は、植物を食べて生活しています。
とくにチョウやガの幼虫は、植物の葉を食べるものがほとんどです。
クヌギのような落葉広葉樹を食べる昆虫の場合、その多くがクヌギの芽吹きとともに卵からかえり(ふ化という)、葉が固くなる5月下旬に、もう生長しきって蛹(さなぎ)になります。
幼虫の期間を、植物の葉のやわらかい、のびる時期に合わせているわけです。
そして何回か皮をぬいで終令幼虫(しゅうれいようちゅう<蛹になる前の幼虫>)になったころ、クヌギの木は葉をのばしきって終令幼虫のおうせいな食欲にこたえるのです。
5月中旬にクヌギの木をさがすと、よくぞこんなにと思うくらい、たくさんの幼虫たちに出会うことができます。
何回かおとずれれば、日ごとに生長していくようすが実感として感じられます。
4月下旬と5月中旬に、2回おとずれると、まるで魔法にかかったように一変し、どこからこんなにたくさんの虫がわいてきたのかと思うほどです。
「虫がわいたような」という表現が使われることがありますが、これは最初目に入らなかった昆虫の幼虫が、気づかいうちに、どんどん大きな毛虫やいも虫になってたくさんついていることから、象徴的にいわれた表現でしょう。
(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)
「クヌギのどんぐりができるまで」(小学5年)
















