2026年5月26日火曜日

ひと月も飛び越えて

タイサンボクが下の方でも花を咲かせてくれていました。
今朝の天気予報では、7月並みの暑さだとか;
まだ、6月にもなっていないのに……
こちらはもう正月の準備です(^_^)v

京都 北野天満宮 縁起物「大福梅」に使う梅の実の摘み取り〟(関西NHK)
ヒョロヒョロと飛んで草につかまったシオカラトンボ
なんか変だなと思ったら…
羽化のときに翅が伸びきらなかったようです。

 トンボの仲間
 羽化は夜から朝におこなう 


 …前略…

 成長したヤゴは、水面から顔を出して注意深く周囲の様子を確かめ、水からはい出していく。
場所が決まると体をゆすって足場がしっかりしていることを確かめ、羽化を始める。
途中、腹部が中ほどまで抜けたところで一休みするが、この時抜け殻にぶら下がるように体が反り返るものと、抜け殻の上に立ち上がるようになるものがいる。
腹部を抜くと翅が伸び始める。
この時草などにひっかかってしまうと、伸びきらないまま固まって飛べなくしまうので、羽化場所の選択は重要だ。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
 抜け殻はしっかりとツメを立て、羽化した場所に何日も残っている。
同じ場所で定期的に抜け殻を調べれば、その場所でどの時期にどんな種類のトンボが羽化しているか知ることができるだろう。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)

サナエトンボの羽化の様子です
トンボのよう虫からせい虫になるまで」(小学3年)
 匂兵部卿(におうひょうぶきょう) 

 この巻からあとは、源氏の次の世代、子や孫たちの物語です。
 幻の巻とこの巻の間には、古くから「雲隠(くもがくれ)」という、巻名のみあって物語本文のない巻が置かれています。
「雲隠」とは、光源氏の死を暗示する巻名で、物語は主人公の誕生から死に到るまでの一生を書くのが本来の形であることからすると、桐壺の巻と形の上で照応させたことになります。
光源氏は、のちの宿木(やどりぎ)の巻によれば、出家ののち二、三年して、五十五、六歳で亡くなったとされています。

 …後略…

(『源氏物語五十四帖』清水好子 平凡社 1982年)
小倉百人一首に「雲がくれ」という言葉が入った紫式部の歌が載っています。

 めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 
    雲がくれにし 夜半(よは)の月影 紫式部 57番
 
<何年ぶりかしら
 久しぶりにあなたに逢(あ)うなんて
 ほんとうにあなた?
 もっとお顔見せてよ
 幼顔(おさながお)が残っているような気もするし……
 何だかあやふやな
 夢のような思いのうちに
 あなたはもうはや
 雲にかくれる 夜半の月のように
 帰ってしまったのね>
(『田辺聖子の小倉百人一首』田辺聖子 角川文庫 1991年)
『新古今集』巻十六・雑に、
「早くよりわらは友だちに侍(はべ)りける人の、年ごろ経(へ)てゆきあひたる、ほのかにて、七月(ふみづき)十日ごろ、月にきほひて帰り侍りければ」
 として出ている。
これは『紫式部集』の冒頭に据(す)えられている。
 ずっと以前から幼友達だった人、その彼女と、何年かたってずいぶん久しぶりに逢った。
けれどもあまりにつかのまだった。
彼女は七月十日の、夜半に沈む月と競(きそ)うように早々とかえってしまった、というのである。
 七月十日は太陰暦(たいいんれき)でいえば、もう初秋である。
 今でいえば八月中頃、日中は暑いが、そろそろ夜の風はひややかになり初(そ)める。
 この「わらは友だち」は女友達である。
紫式部は若いころ、同性の友人を多く持っていた。
 これは他の王朝女流と違う点だと、清水好子先生は『紫式部』(岩波新書)の中で、おっしゃっている。
「紫式部集には女友だちが顔を並べ、そのために式部は女学生のように爽(さわ)やかで、時には少年ぽく見える」と。
 紫式部、この『源氏物語』の作者も、生没年がわからない。
27番の作者、藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)を曾祖父(そうそふ)に持ち、父は為時(ためとき)、文章生(もんじょうしょう)出身の学者で、越前守(えちぜんのかみ)になった。
式部は970年代に生まれ、長和(ちょうわ)3年(1014)頃、死んだのではないかといわれる。
母は早逝(そうせい)し、年のあまり違わぬ姉がいたらしい。
 この「めぐりあひて」の歌の次には『紫式部集』によると、こうある。
「その人遠き所へいくなりけり。秋の果(は)つる日来たるあかつき、虫の声あはれなり。『鳴き弱る まがきの虫も とめがたき 秋の別れや 悲しかるらむ』」
 その女友達は遠い所へいく。
恐らく地方官に任じられた父に従って任国へ下るのであろう。
九月末の夜ふけに式部に別れを告げにきた。
式部は友との別れを悲しんだのである。
未婚の娘時代、いろんな女友達を持ったことは、式部の情操を豊かにしたのではないかと、私は思う。
 大体、いい女友達を作れない女は、たいした女はいないようである。
 女の友情はアテにならぬというのは、男性文化が作りあげた迷妄(めいもう)と偏見である。
それも家庭や係累(けいるい)に埋没してしまうような女なら友情を持つ能力はないだろうが、自我と個性が確立している女なら、女同士の能力をみとめ、嘉(よみ)する力もあるであろう。
 されば、互(かた)みにみとめ合い、信じ合う女たちの間に友情が生まれるのは当然である。
私は男性の友人も尊重するが、女性の友人のほうも共に仕事して楽しい。
そればかりでなく公共の職場へ電話をかけたとき、場合によっては電話口に男性が出てくると私は、<すみません、女のかた、いらっしゃいません?>ということもある。
これも西も東も分からぬようなクチバシの黄色い娘っ子では、しょうがないが、おちついてシッカリした中年女性の声が<ハイ、何でしょう>と出てくると、とても嬉しくてホッとしますね。
アテにできる。
 それはさておき、式部は娘時代、女友達といろんな物語を論じたり、歌を詠み合って楽しみ、文学的才能を育てていたのではないかと思う。
生まれつき怜悧(れいり)だった。
これは式部が自分で書いていることだが、兄の惟規(のぶのり)に父が漢籍(かんせき)を教えているのを、そばで聞いていた式部は兄より早く覚え、父は<この子が男の子だったら>と惜しがったという。
 少女の式部はさかしく学問を学んで、血肉(けつにく)としていった。
家は詩文を以(もっ)て立つ一族であった。
父は政界ではうだつが上がらないが、漢詩文の大家として社交界では重んじられていた。
 姉をふくむ女友達のサークルは、式部に、物語の夢をふくらませた。
文学少女のあつまりがあったとみていいであろう。
「めぐりあひて」の歌は、その娘時代の歌である。
 少女時代に、女性の友情に恵まれたことが、式部の心を柔らかく、深く耕し、人生を、男性の眼(め)と女性の眼と、複眼(ふくがん)で見ることを教えたのではないかと思われる。
『源氏物語』を読むと、女の眼六十パーセント、男の眼四十パーセント、という感じである。
とまれ、この歌はういういしい、未婚の娘の友情の歌、式部の若き日の歌である。
<ちょっとうかがいますが>
 と与太郎(よたろう)青年はさえぎる。
<なんで男は『源氏物語』を読めまへんのやろ、おもろい、おもろない、いうより前に、手ェが出まへん>
 それはいろいろありますが、徳川時代の儒教尊重(恋のあわれを排してポルノだと貶<おと>しめた)と、明治の富国強兵精神(軍国主義国家では柔眉軟弱<じゅうびなんじゃく>といやしめた)、戦時中は皇室不敬罪(皇室に関係するものは文学作品といえども国禁の書となった)があったせいでして、それより前は、『源氏』は教養のシンボルとして、物のあわれを知るほどの男は、みな一度は読んだのですよ。
(『田辺聖子の小倉百人一首』田辺聖子 角川文庫 1991年)
今朝の父の一枚です(^^)/
キョウチクトウを撮していました。
キョウチクトウが街路樹などに利用されるのは、車の排気ガスなどに強いからですが

 第8章 ●植物の戦略
 2 植物の防御
 ●化学的な防御


 物理的な防御の他に、化学的な防御をしている植物もあります。
いわゆる毒を持つ植物です。
シカやウシがいるところで、トゲがないのに食べ残されている植物は、毒を含んでいる植物が多いです。
 植物の作る毒には2種類あります。
1つは高い毒性を示すもので、少量で効果があるものです(質的阻害物質<しつてきそがいぶっしつ>)。
多くのアブラナ科植物が持っている「カラシ油配糖体(ゆはいとうたい<いわゆるワサビやカラシの辛さ成分>)」が代表的な例です。
質的阻害物質を持つものは、草本に多く見られます。
特に、キンポウゲ科やケシ科の植物の多くは、有毒植物ということが知られています。
その他に、身近なものでは、スズランやキョウチクトウに「強心性配糖体(きょうしんせいはいとうたい)」という毒が含まれています。
これらを口にしてしまい、中毒になったという例も知られています。
 もう1つは、毒性はほとんどありませんが、大量に摂取させることによって消化作用を著しく妨げて、昆虫などの発育を阻害し、死亡率を高めるものです(量的阻害物質<りょうてきそがいぶっしつ>)。
シブ柿の渋さのもとである「タンニン」が代表的な例です。
量的阻害物質を持つものの多くは木本に見られます。

 …後略…

(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)