公園に来たときは蒸し暑かったです。
まだ遠くにある台風6号の影響かな?
今日から
「新たな防災気象情報スタート 専門家“地域リスク調べ活用を”」(NHK)よく見かけるイモカタバミのそばに白い花が咲いていました。
初めてみるので調べたら「シロバナイモカタバミ」のようです。 イモカタバミ(芋傍食) カタバミ科
南アフリカ原産。
園芸植物として戦後に導入されたものが、逃げ出し人里などに野生化している。
地下の塊茎(かいけい)から長い葉柄を出し、3枚のハート形の小葉をつける。
葉はすべて根性し、葉より長い花茎を出し、その先に紅色の花を多数開き、花つきがとてもよい。
花の中心部が濃紅紫色で、葯が黄色いことがよく似たムラサキカタバミとの区別点。
(『道草の解剖図鑑』金田初代 エクスナレッジ 2021年)
「根茎と塊茎の違い」(日本植物生理学会)
| 朝ドラ「風、薫る」(43)第9週「看病婦とアメ」で泉喜代が 「私ね子どもができなくて 離縁されたんです」 「皇位継承 衆参議長らが会談 6月上旬にかけて調整続く見通し」(NHK) 昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は、子どもに恵まれませんでした。 そして『源氏物語』の紫の上も…… |
| 御法(みのり) …前略… 秋、少し涼しくなっても、ご病気は一向に好転しません。 急にひんやりと身に沁む秋風の吹き出した夕暮、紫の上は脇息にもたれて庭先の萩をご覧になっていました。 中宮や源氏もご一緒です。 折からの風に、萩の枝が大きくうねり、露がこぼれ落ちんばかり。 危(あやう)い露のようなお命、風よ吹くな。 そんな気持が三人の唱和となり、お歌を詠み交わされたあと、紫の上は中宮に手を取られながら、露が消え去るように静かに息を引き取られました。 (『源氏物語五十四帖』清水好子 平凡社 1982年) |
源氏は茫然自失、駆け付けた夕霧が、そっと御(み)几帳を上げて紫の上のお顔を覗き込んでいるのを、制止もなさいません。
夕霧は、生前あんなにお慕いしていたのに、今こうしてつくづくと死の床のお顔しか拝ませなかったことで胸がいっぱいです。
ご葬送は、逝去の翌日、八月十五日の夜を通して行われました。 …前略…
歌を詠むことは、当時の貴族にとって、それぞれの心を伝える最も美しい効果的な言語であり、最高の雅であった。
この物語のなかで、その臨終を歌で飾られているのは紫の上だけである。
作者のこの人物に対する愛惜の深さを見ることができる。
(『源氏物語五十四帖』清水好子 平凡社 1982年)平安時代の葬送は、
四十三 平安人の心で「御法」巻を読む
死者の魂を呼び戻す呪術~平安葬儀
四十帖「御法(みのり)」のあらすじ( …略… )
人は死ねば遺体となる。
その亡骸(なきがら)は衛生上、いつまでも平安京の中に置いてはおけない。
そこで遺体は河原や郊外の野辺(のべ)に運ばれ、葬られた。
そして一般庶民の場合、その代表的な葬送(そうそう)法は、亡骸を「捨て置く」ことだった。
(『平安人の心で「源氏物語」を読む』山本淳子 朝日新聞出版 2014年) 後白河法皇(ごしらかわほうおう<1127~1192>)の時代に作られたとされる、「餓鬼草紙(がきぞうし)」なる絵巻がある。
餓鬼とは生前の罪のために餓鬼道に墜ちた亡者で、常に飢えに苦しみ、時々人間界に現れては食べ物を貪(むさぼ)る。
おぞましいことに、この絵巻で彼らが好んで食べているのは生者の食べ残しや排泄物などで、死体も大好物の様子である。
そんな訳でこの絵巻の一場面には、墓地らしき場所を舞台に、いくつもの死体が描かれている。
棺桶に入れて放置された死体。
敷物の上に寝かされた死体。
土の上に直に転がされた死体。
それぞれが死後の経過時間に応じてあるいは黒ずみ、あるいは白骨化している。
これらの死体は、火葬されず、埋められもしていないのだ。
絵師の作り事ではない。
『続日本後紀(しょくにほんこうき)』には、承和(じょうわ)9(842)年、河原に捨てられた髑髏(どくろ)を朝廷が処分した際、その数が五千五百にものぼったという記事もある。
こうした「捨て置く」葬送法を、歴史学では「遺棄葬(いきそう)」と呼ぶ。
即座に「死体遺棄」という現代語が浮ぶが、それとは違う。
「餓鬼草紙」をよく見れば、遺体の傍らには供物も描かれている。
これでも平安時代にはれっきとした弔い方だったのだ。 とはいえ貴族階級では、やはり火葬が一般的だった。
だが、例外も少なくない。
『栄華物語(えいがものがたり)』(巻七)によれば、一条天皇(980~1011)の皇后定子(ていし)の葬儀は土葬だった。
「煙とも雲ともならぬ身なりとも 草葉(くさば)の露をそれとながめよ(煙となって空に上ることも、雲となって漂うこともない私の体。どうぞ草の葉に降りた露を、私と思って偲んでください)」。
本人がこのように、辞世(じせい)の歌で願ったからだ。
せめて体だけでもこの世にとどめたかったのだろうか。
あるいは、万に一つ蘇りを願ったのだろうか。
遺族は定子のために、まず霊屋(たまや)という遺体安置所を建て、周囲に築地(ついじ)塀もめぐらした。
遺体はいったん六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に置かれ、葬儀の日には絹と金銅で飾った豪華な牛車(ぎっしゃ)に乗せられて、鳥辺野(とりべの)の霊屋まで運ばれた。
霊屋の中には遺体と共に調度の品々も収められたという。
ちなみに定子の女房(にょうぼう)だった清少納言は、晩年をこの鳥辺野の近く、月輪(つきのわ)の地で過ごしたとされる。
主人が亡くなっても傍(そば)に仕えたのだ。 ところで、霊屋に安置された遺体は、その後どうなったのか。
自然に任せ、そのまま朽ちたのである。
だがそれが、何年も経ってから改葬されることもあった。
一条天皇の側近で『枕草子』にも登場する藤原行成(ふじわらのゆきなり)が、自ら日記『権記(ごんき)』に記していることだ。
行成の母は長徳(ちょうとく)元(995)年正月に亡くなった。
時に行成の祖父がまだ存命中で、娘の火葬を拒み、霊屋をつくって亡骸を置いた。
だがその祖父も、後を追うように三カ月後に亡くなり、遺体は遺言によって北山の幽谷(ゆうこく)の地に安置された。
行成はその二人の遺骸を、寛弘(かんこう)8(1011)年7月、実に16年の歳月を経て再び葬ったのだ。
もちろん、すでに骸骨である。
それを松脂(まつやに)や油で焼き、砕いて骨灰(こっぱい)にして、鴨川に散骨した。
彼はまた、妻がお産で亡くなった際にも散骨している。
こちらは死の翌日に鳥辺野で荼毘(だび)に付し、明け方には骨粉(こっぷん)を白川(しらかわ)に流した。
14年連れ添い、7人の子をなした妻だった。
彼は慟哭(どうこく)し、「妻の往生(おうじょう)を願うものの、心のつらさは極まりない」と記した。
火葬や散骨をすれば、死者の魂はもうこの世に戻ってこない。
行成は悲しみの中でそれを受け入れ、死者の浄土(じょうど)への生まれ変わりを願おうと努めたのだ。 今も昔も葬送の儀礼は、死者のためのものであると同時に、遺された人のためのものである。
儀式を一つ一つ行うことで、大切な人を喪(うしな)ったことを受け入れ、きちんと悲しむ。
心理学ではこれを「喪(も)の仕事」という。
それができない時、人はもがき苦しむ。
藤原道長は、万寿(まんじゅ)2(1025)年、娘の嬉子(きし)が19歳で亡くなったとき、陰陽師(おんようじ)に命じた「魂(たま)呼び」を行わせた。
死者の魂を呼び戻す呪術である。
当時すでに滅多に行われなくなっており、陰陽師は手を尽くしてようやくその術を調べ、行った。
死者の家の屋根に上り、呪文をとなえながらその衣を三度振り、魂を招くのだ(『左経記(さけいき)』)。
道長は、そうすることで娘が生き返るかもしれないと、真剣に考えていた。
『源氏物語』の中でも、葵の上(あおいのうえ)がお産で亡くなったとき、父の左大臣(さだいじん)は遺体をすぐには荼毘に付させなかった。
生き返るのではないかと、様々な秘法の限りを尽くした。
だが亡骸の腐敗が進むのを見ては、諦めざるを得なかった。 さて、紫の上が亡くなったとき、光源氏はその日のうちに彼女を荼毘に付した。
蘇生を願わなかった訳ではあるまい。
だがむしろ、自分の心に無理をさせてでも紫の上の死を受け入れ、信心深かった彼女の極楽往生を進めようとしたのではなかったか。
それが、最後までこの妻に出家をさせなかった彼の、懺悔(ざんげ)のしかたではなかったのだろうか。
野辺送りの道すがら、一人で歩けないほど打ちひしがれた彼の姿は、そんな心の証しのようだ。
(『平安人の心で「源氏物語」を読む』山本淳子 朝日新聞出版 2014年)
「餓鬼草紙」(東京国立博物館)今朝の父の一枚です(^^)/
ツバメが飛んでいるのを撮そうとしていましたρ(^^)q
新型コロナのあと、またもや、ハンターウイルスやエボラ出血熱。
感染症は、繰り返し人類を襲います。
交通手段が現代のように発達していなかった江戸時代でさえもコレラが人々を襲ったのですから…
5章 ウイルスとともに生きる
4 根絶の時代から共生の時代へ
19世紀後半から「細菌の狩人の時代」が始まり、20世紀に入るとウイルスが狩りの対象に加わった。
抗生物質の開発により細菌感染の多くは治療可能となり、ワクチンにより天然痘や狂犬病のような恐ろしいウイルス感染症は予防可能となった。
天然痘根絶は、20世紀における微生物学のめざましい進展を象徴する偉業である。
そして、麻疹、ポリオの根絶計画が始まった。
まさに20世紀はウイルスの根絶を目指した時代であった。
なぜ、天然痘を根絶できたのか。
振り返ってみると、その最大の理由は、天然痘ウイルスが感染するのが人間だけだったからである。
しかも、天然痘ワクチンという非常に効果のある武器があり、それでもって天然痘ウイルスがヒトの間で広がるのを防ぐことができた結果、天然痘ウイルスを地球上から(正確には、CDCとロシアの研究所に保管されているウイルスを除けば)排除することができたのである。
…つづく…
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)













