2023年4月8日土曜日

急に荒れそうな…

天気予報では晴れだったけど
空は暗く冷たい風が吹いていて今にも雨が降りそうでした。
春の天気変りやすく山では天気が急変し気象遭難が多発します。

春山も雪崩・滑落・天候の急変に要注意」(山岳遭難対策中央協議会)
鴨の声が大きくてケンカをしているのかなと思ったら…
 マガモなのかな?
他の池では、繁殖地へ渡って行ったようで見かけなくなっている。
こちらの公園で繁殖しているのはカルガモだと思うのだけど…
言葉にできない、そんな夜。第2シーズン (19)」に紹介されていたのが
民放のドラマの中のセリフ

無理なことってあるんだよ

無理してやったことって
無理なことなんだよ
無理すると、ほんとうに全部
無理になっちゃうんだよ

やればできるって
やらせるための呪文だよ
期待と圧力は違うよ

  ―生方美久『silent』
『万葉集』第3巻に載っている歌には…

大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)
おし照(て)る 難波(なには)の国(くに)
あらたまの 年経(としふ)るまでに
(しろ)たへの 衣(ころも)も干(ほ)さず
朝夕(あさよひ)に ありつる君(きみ)
いかさまに 思(おも)ひいませか
うつせみの 惜(を)しきこの世(よ)
露霜(つゆしも)の 置(お)きて去(い)にけむ
(とき)にあらずして  (抜粋)
  巻三・443 大伴三中(おおとものみなか)
(『NHK日めくり万葉集vol.4』中村勝行編 講談社 2009年)
天皇の御命令を謹んで承って
難波の国で
年が経つまで長い間
衣も洗い干す暇もなく
朝夕忙しくお仕えしていたあなたは
どのように思われて
惜しいこの世を
あとに残して
逝ってしまったのであろうか
死ぬべき時でもないのに
[選者 香山リカ] 万葉時代の人々は心がのびやかだったという印象を、私はこれまで抱いていました。
ですから、そんな時代にすでに自殺という状況があったことにとても驚きました。

――天平元年(729)、奈良の都から大阪に赴任していた若い役人が、業務多忙のあまり自らの命を絶ってしまいました。
そのときに先輩の役人が嘆いて詠んだ長歌の後半です。
[香山] 「白たへの 衣も干さず」というのは、着ているものを洗濯する時間がなかったのか、心のゆとりがなかったのか、追い詰められた状況です。
この人がいま私の診察室に来たら、いわゆるウツ状態と診断したかもしれません。

――自殺した役人は、戸籍と課税の制度「班田収授(はんでんしゅうじゅ)法」の実施のために忙殺されていました。
[香山] 過労状態になると、どうしても仕事の能率が落ちたり、ミスが増えたりします。
でもそれは、その人の能力や努力のしかたに問題があるのではなく、じつは過労からくるストレスが影響を与えています。
 でも、真面目な人ほど、いまは疲れ過ぎているんだとは思わずに、私がいけないんだと、自分を責めてしまう。
それでますますミスが増えたり、仕事が溜まってくると「自分には仕事を続ける資格がない」、さらに進んで「もう死んでしまったほうがいいんじゃないか」と思い詰め、死を選ぶ人もいます。

――この役人は、天皇に仕えることを名誉と思い、故郷に父母と妻子を置いて単身赴任で仕事に励んでいたようすが、長歌の前半から窺えます。
[香山] おそらく意欲満々で赴任してきたのでしょう。
けれど意欲が高かっただけに、途中で無理だと思っても、「できません」とか「忙しすぎます」とは言い出せなかったかもしれません。
その点は、真面目で頑張る現代のビジネスパーソンと瓜二つだと感じますね。
(『NHK日めくり万葉集vol.4』中村勝行編 講談社 2009年)
 「幾年もたった後」つづき

 このおじいさんは、いいおじいさんで、やさしく孫たちをかわいがりました。
だから、孫たちは、おじいさん、おじいさんといって懐(なつ)きました。
しかしおじいさんは、もう孫たちのめんどうを見ることができなくなったほど年をとってしまいました。
 すると、おじいさんは、いつとはなしに、この世の中での、うるさかったこと、めんどうだったこと、心をやなましたこと、また苦しかったこと、いろいろなことが忘れられてゆきました。
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年)
 おじいさんの目は、子供の目のように美しく澄んできました。
すると、なんでも、目に映ったものは美しく見えました。
おじいさんは、道ばたに咲いている山茶花(さざんか)も、菊の花も、みんな心あってなにか物語ろうとしているように見られたのです。
おじいさんは、つえを止めて、腰を伸ばして、ぼんやりとそれに見とれていました。
 小鳥が、木のこずえにきて鳴いていると、おじいさんは、また立ち止まって、その鳴き声に聞きとれていました。

 ある日のこと、おじいさんは、孫たちに手を引かれて歩いていました。
 「おじいさん、ここは水たまりですよ。この板の上をトン、トンとお歩きなさいよ。」
と、孫たちに教わって、おじいさんは、その水たまりを歩いていました。
 おじいさんには、なにもかもこの世界が美しく、そして、広く見られたのであります。
 太陽は、大空から、下を見ていました。
そして、この有り様を笑顔でながめていました。
 昔、あのおじいさんは、自分の子供を、ちょうどあのように手を引いて、この道を歩いたことがあった。
いまは、孫たちに手を引かれて、ああして歩いてゆく。
 「どうか、もう一度子供の時分になってみたい。」と、あの時分いっていた。
そして、そのとき、俺が、「もう一度、おまえを子供にしてやる。」といったら、たいへんに喜んだものだ。
いまあのように子供と同じである。
 こう、太陽は考えると、下を歩いているおじいさんに向って、
 「三十年も、四十年も昔に、もう一度子供になってみたいといったが、いまおまえは、どんなに考えている?」と、太陽はたずねました。 
 しかし、おじいさんは、知らぬ顔で、とぼとぼ歩いていました。
おじいさんには太陽のいったことが、ちょうど子供のようにわからなかったのであります。
      ――1922・7作――
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年)