昨日、受付けの方が、郵便で送ればいいと封筒を渡してくださったのですが
父が気が済まないといってやってきました。
父が、仏壇の用意をしていると過去帳がパラパラと開いて見台から落ちました。
父は「怒っている」と手を合せていました。令和5年春から3年間かけて六時礼讃堂と元三大師堂の
保存修理並びに耐震工事を兼ねた大規模な修理工事が行われています。四天王寺で春と秋のお彼岸に行なわれるのが「日想観(にっそうかん)」
「四天王寺のお彼岸 夕日の向こうの極楽浄土」(NHKアーカイブス 2015年) 観無量寿経(漢文和訳)
…前略…
そのとき、ヴァイデーヒー(韋提希<いだいけ>)は師に向って言った――
「尊き師よ、わたくしは今、仏の力によってかの仏国土を観ることができるでありましょう。しかし、尊き師が入滅された後にこの世に現われる生ける者どもは、汚濁と悪と不善の者どもであって五種の苦しみに苛(さいな)まれるでありましょう。そのような者どもは、どのようにしてアミタ仏の<幸あるところ>という世界を観たらよいのでありましょうか。」と。
(『浄土三部経(下)』訳註 中村元、早島鏡正、紀野一義 岩波文庫 1990年) 世尊はヴァイデーヒーに告げられた――
「あなたと、そして、生ける者どもは、心を一筋にし、思念を一処に集中して西方を観想(かんそう)するのだ。さて、どのように観想するかというと、一切の生ける者どもは、生まれながらの盲目でないかぎり見ることはできるのであるから、目明きあればみな、太陽の沈むのを見ることができよう。正坐して西に向かい、はっきりと太陽を観るのだ。心をしっかりと据え、観想を集中して動揺しないようにし、まさに沈もうとする太陽の形が天空にかかった太鼓のようであるのを観るのだ。すでに太陽を観終ったならば、その映像が眼を閉じているときにも、眼を開いているときにもはっきりと残っているようにするのだ。これが<太陽の観想>であり、<最初の冥想(めいそう)>と名づけるのだ。
…後略…
(『浄土三部経(下)』訳註 中村元、早島鏡正、紀野一義 岩波文庫 1990年)今朝も祖父母や義弟が眠るお墓にお参りしました。
隣りのお墓に7月から母も眠ります。天満橋駅で父と別れて本屋さんで本を探しました。
と言うのも今朝、父に私も一緒に行くというと、ついて来なくてもいいと言ったのですが
書店で本を探したいからというと納得してくれました。
「RIVER CAFE」で「一汁七菜」をいただきました。
私にしたら久しぶりにちょっと贅沢なランチかな?
電車の中などで読んでいたのが、先に転記した『浄土三部経(下)』
蛍光ペンなどで線を引いているのに記憶がないです(^^;
転記をしているのは、訪問してくださった方のためにというよりも
少しでも記憶したいためにしています(^^ゞ
追記)
blogのリンクの修正をしていたら2017年6月30日の記事に
「母さんの納骨をいつにしようかと相談しました。
もうしばらく母さんには家でゆっくりしてもらって桜の季節がいいねと決まりました。」
と三人で話し合っていました。
ちょっと延ばしすぎたのですが(^^ゞ