今朝は、自転車で公園に向ったのでヘルメットデビューです(^^)v
「自転車用ヘルメットの着用」(警視庁 2023年3月20日)
努力義務ということでヘルメット着用率はかなり低いのだけど…
子どもや高齢者には必要だと思います。
「自転車用ヘルメットの着用が努力義務化 あなたはどうする?」(NHK 3月27日)4月3日 平成15年(2003) 政府、新型肺炎(SARS)蔓延のため中国広東省・香港への渡航延期を勧告(SARSを新感染症に指定)。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)
「SARS(重症急性呼吸器症候群)とは」(国立感染症研究所)
「SARS IDWR速報(1999年から2011年までの記事一覧)」(国立感染症研究所)第3章 新型コロナウイルス
3 重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルス
野生動物産業が生みだしたSARS
SARSは人々の間からは消失したが、これまでのエマージングウイルスと同様に、どこかにいる自然宿主がウイルスを保有しているはずである。
その由来を知ることは、第二のSARSの出現を防ぐために重要である。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年) 中国南部の動物市場で売られいるハクビシン、イタチアナグマ、タヌキから、SARSコロナウイルスに類似のウイルスが検出されている。
そのうち、ハクビシンがヒトへの感染源としてもっとも疑われている。
しかし、ハクビシン以外の保有するウイルスにハクビシンが感染し、それがヒトに感染を起こした可能性も考えられた。
中国の野生動物市場では、さまざまな種類の動物が小さな檻に入れられ、その檻が何段も積み重ねられていた。
そのため、お互いの糞便を浴びるだけでなく、清掃のためにホースで撒かれる水が糞便を飛沫として飛散させていた。
このような環境では容易に飛沫感染が起こるため、多くの種類の動物に感染が起きても不思議ではなかった。 一方、2013年、中国の雲南省でチュウゴクキクガシラコウモリの糞便から、SARSコロナウイルスと95%もの高い相同性を持つウイルスが分離された。
このウイルスは、ヒトの気道上皮細胞やキクガシラコウモリの腎臓細胞で増殖した。
これはコウモリがSARSコロナウイルスの自然宿主であることを示す強力な証拠となった。
また、ハクビシンなどを介さずにコウモリから直接ヒトに感染しうることが示唆されたのである。
これらの結果から、コウモリから直接ヒトに感染する場合と、ハクビシンのような中間宿主での変異を介するものなど、いくつかの経路でSARSコロナウイルスの感染が起こりうることが明らかになった。 自然界では異なる種の生物が接触する頻度が低いため、ウイルスの伝播も低頻度でしか起こらない。
さまざまな野生生物を自然界ではありえない密度で共存させたことが、新型ウイルス出現の温床となった可能性がある。
SARSは、そのような環境を維持し続けることは、新型ウイルスの出現リスクかけ続けることを意味するという教訓を残した。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)「枯野抄」つづき
続いて乙州(おとくに)、正秀(まさひで)、之道(しどう)、木節(もくせつ)と、病床を囲んでいた門人たちは、順々に師匠の脣(くちびる)を沾(うるお)した。
が、その間に芭蕉の呼吸は、一息ごとに細くなって、数さえ次第に減じて行く。
喉(のど)も、もう今では動かない。
うす痘痕(いも)の浮んでいる、どこか蠟(ろう)のような小さい顔、遥(はるか)な空間を見据えている、光の褪(あ)せた瞳(ひとみ)の色、そうして頤(おとがい)にのびている、銀のような白い鬚(ひげ)――それが皆人情の冷(つめた)さに凍(い)てついて、やがて赴(おもむ)くべき寂光土(じゃっこうど)を、じっと夢みているように思われる。
(『或日の大石内蔵之助・枯野抄』 芥川竜之介 岩波文庫 1991年)するとこの時、去来(きょらい)の後(うしろ)の席に、黙然(もくねん)と頭を垂れていた丈艸(じょうそう)は、あの老実な禅客の丈艸は、芭蕉の呼吸のかすかになるのに従って、限りない悲しみと、そうしてまた限りない安らかな心もちとが、徐(おもむろ)に心の中へ流れこんで来るのを感じ出した。
悲しみは元より説明を費(ついや)すまでもない。
が、その安らかな心もちは、あたかも明方(あけがた)の寒い光が次第に暗(やみ)の中にひろがるような、不思議な朗(ほがらか)な心もちである。
しかもそれは刻々に、あらゆる雑念を溺(おぼ)らし去って、果ては涙そのものさえも、豪(ごう)も心を刺す痛みのない、清らかな悲しみに化してしまう。
彼は師匠の魂が虚夢の生死を超越して、常住涅槃(じょうじゅうねはん)の封土(ほうど)に還(かえ)ったのを喜んでいるのであろうか。
いや、これは彼自身にも、肯定の出来ない理由であった。それならば――ああ、誰か徒(いたずら)に䠖跙逡巡(しそしゅんじゅん)して、己(おのれ)を欺(あざむ)くの愚を敢(あえ)てしよう。
丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏(しっこく)に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力を以(もっ)て、漸(ようや)く手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである。
彼はこの恍惚(こうこつ)たる悲しい喜びの中に、菩提樹(ぼだいじゅ)の念珠(ねんじゅ)をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払って去った如く、脣頭(しんとう)にかすかな笑(えみ)を浮べて、恭(うやうや)しく臨終の芭蕉に礼拝した。――
こうして、古今に倫(りん)を絶した俳諧(はいかい)の大宗匠、芭蕉庵松尾桃青(ばしょうあんまつおとうせい)は、「悲歎(ひたん)かぎりなき」門弟たちに囲まれたまま、溘然(こうぜん)として属纊(しょくこう)に就いたのである。
――大正7年9月―― 解 説 中村真一郎
…前略…
『枯野抄』になると、これは一世の俳聖の死の床での弟子たちの感慨に託して、実は若き芥川にとって決定的な人格的影響を持っていた、師夏目漱石の臨終をめぐる門弟たちの心理的反応の観察を描いたものであり、中でも師が息を引きとるのを見て、その巨大な「人格的圧力の桎梏(しっこく)」から解放される「悲しい喜び」を、丈草が感じるくだりは、芥川自身の、師の死に対しての正直な感想を述べたものと思われる。
…後略…
(『或日の大石内蔵之助・枯野抄』岩波文庫 1991年)