あぜ道にカキドオシが咲いていました。毎週水曜日に多田多恵子さんが案内人として登場するEテレ「道草さんぽ・春」
第一回目は「道草さんぽ・春 (1)下町さんぽ」
多田多恵子さんが「私のお気に入りなんです。」と紹介していたのがキュウリグサ(ムラサキ科)。
いつもこの花見ると「不思議の国のアリス」を思い出すそうですよ。
「キュウリグサやホトケノザのように小さな野草でも
飛んでくる虫から見ればさ自分の体と同じ大きさとか自分の体よりもおっきな花だったりする。
それを自分で思ってみると自分の体の大きさの花が咲いてたら決してちっちゃくない。
自然に向かう時って人間の立場だけで見てたら人間目線の自然しか見えない。」
テキスト『趣味どきっ!道草さんぽ・春』に書かれていないことも話しておらるので
番組とテキストの両方あわせてたのしまれるといいと思います。
泣けぬ爺(ぢい)ばかりのベンチ八重桜 熊谷愛子
つれづれに公園のベンチで一人孤独に時を過ごす老人の、男女比率はどちらが高いか。
詳しいことは知らないけれど、男性の方が目立つ存在。
掲出句もそう感じての作だろう。
<泣けぬ>というのには、いろんな意味が込められている。
生来泣けぬのが男といえばそうでもあるまい。
泣けぬようにと歴史的にしつけられてきただけだ。
男の末路を象徴するかの内容に、<八重桜>が添えられている。
ぼってり重く、実はならない。
今後わが国において解決してゆかねばならないものの一つは老人問題だろう。
特に生き甲斐(がい)をもって生きてゆけるかどうかだ。
「『用なしだけんど死ねんもんね』日向(ひなた)ぼこ」の作も。
1923~ 石川県生まれ。「逢」創刊主宰。
句集『火天』『水炎』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)「児童文学者コーナー 小川未明」(日本の子どもの文学 国際子ども図書館)に、
「1980年代には、かつてはしりぞけられた死の問題などが、人間にとって大切なものとして児童文学でも書かれるようになります。」
「未明は、没後50年のいまも、子どもの文学について考える素材を提供しつづけています。」
これから転記する「幾年もたった後」は、「初出一覧」を見ると、
1924(大正13)年頃に発表されたのですが(小川未明42歳)、
時代を先取りした作品だと思います。
(作品の末に「1922・7作」)
幾年もたった後
ある輝かしい日のことです。
父親は、子供の手を引きながら道を歩いていました。
まだ昨日(きのう)降った雨の水が、ところどころ地のくぼみにたまっていました。
その水の面(おもて)にも、日の光は美しく照らして輝いていました。
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年) 子供は、その水たまりをのぞき込むように、その前にくると歩みを止めてたたずみました。
「坊や、そこは水たまりだよ。入ると足が汚れるから、こっちを歩くのだよ。」と、父親はいいました。
子供は、そんなことは耳にはいらないように、笑って足先で、水の面を踏もうとしていました。
「足が汚れるよ。」と、父親は無理に、やわらかな白い子供の腕を引っ張りました。
すると、子供は、やっと父親のあとについてきましたが、また、二足三足歩くと、また立ち止まって、こんどは頭の上に垂れ下がった木の枝をながめて笑っていました。
そして、父親は、自分も、こんなように子供の時分があったのだということを、ふと心の中(うち)に思い出したのであります。
「やはり自分もこんなように、歩いたのであろう。やはり自分の目にも、こんなように、映(うつ)ったものはなんでも美しく見えたことであったのであろう。」と父親は思ったのでありました。 しかし、もう、いまとなっては、そんな昔のことをすっかり忘れてしまいました。
これは、ひとり、この父親ばかりにかぎったことではないでありましょう。
みんな人間というものは一度経験したことも年をたつにつれて、だんだんと忘れてしまうものです。
そして、もう一度それを知りたいと思っても思い出すことができないのであります。
「ああ、どんな気持ちだろうか? もう一度自分もあんな子供の時分になってみたい。」と、父親はしみじみと思いました。 この父親は、やさしい、いい人でありました。
無邪気(むじゃき)な、世の中のいろいろなことはなにも知らない、ただ、なにもかもが美しく、そして、みんな笑っているようにしか見えない子供の心持ちを、ほんとうに哀れに感じていました。
それでありますから、できるだけ、子供にやさしく、そして、しんせつにしてやろうと思いました。 子供は、二足、三足歩くと足もとの小石を拾って、それを珍しそうに、ながめていました。
鶏(とり)が餌(え)を探していると立ち止まって、
「とっと、とっと。」といって、ぼんやりとながめていました。
また小犬が遊んでいると、子供は立ち止って、じっとそれを見守りました。
「わんわんや、わんわんや。」と、かわいらしい、ほんとうに心からやさしい声を出して、小さな手を出して招くのでした。 子供にとって、木の葉も、草も、小石も、鶏も、小犬もみんな友だちであったのです。
その父親は、手間がとれても、子供の気の向くままにまかせて、ぼんやり立ち止まって、それを見守っていることもありました。
「なぜ、人間は、いつまでもこの子供の心を失わずにいられないものだろうか。なぜ年を取るにつれて、悪い考えをもったり、まちがった考えをいだいたりするようになるものだろうか。ああ、自分も、どうかして、もう一度、なにも世の中のことを知らなかった、そして、なんでも美しく見える子供の時分になりたいものだ。しかし、流れた水が、もう帰ってこないように、なれるものでない。」と父親は、考えながら歩いていました。
…つづく…
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年)
幾年もたった後
ある輝かしい日のことです。
父親は、子供の手を引きながら道を歩いていました。
まだ昨日(きのう)降った雨の水が、ところどころ地のくぼみにたまっていました。
その水の面(おもて)にも、日の光は美しく照らして輝いていました。
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年) 子供は、その水たまりをのぞき込むように、その前にくると歩みを止めてたたずみました。
「坊や、そこは水たまりだよ。入ると足が汚れるから、こっちを歩くのだよ。」と、父親はいいました。
子供は、そんなことは耳にはいらないように、笑って足先で、水の面を踏もうとしていました。
「足が汚れるよ。」と、父親は無理に、やわらかな白い子供の腕を引っ張りました。
すると、子供は、やっと父親のあとについてきましたが、また、二足三足歩くと、また立ち止まって、こんどは頭の上に垂れ下がった木の枝をながめて笑っていました。
その木は、なんの木か知らなかったけれど、緑色の葉がしげっていました。
そして、その緑色の葉の一つ一つは、青玉のように美しく日に輝いていました。
父親は子供がうれしそうに、木の葉の動くのをながめて笑っているようすを見るにつけ、また水たまりをおもしろそうにのぞき込んだようすを思い出すにつけ、この世の中が、どんなに子供の目には美しく見えるのだろうかと考えずにはいられませんでした。
父親は、子供の手を引いて、ゆるゆると道の上を歩いていました。そして、その緑色の葉の一つ一つは、青玉のように美しく日に輝いていました。
父親は子供がうれしそうに、木の葉の動くのをながめて笑っているようすを見るにつけ、また水たまりをおもしろそうにのぞき込んだようすを思い出すにつけ、この世の中が、どんなに子供の目には美しく見えるのだろうかと考えずにはいられませんでした。
そして、父親は、自分も、こんなように子供の時分があったのだということを、ふと心の中(うち)に思い出したのであります。
「やはり自分もこんなように、歩いたのであろう。やはり自分の目にも、こんなように、映(うつ)ったものはなんでも美しく見えたことであったのであろう。」と父親は思ったのでありました。 しかし、もう、いまとなっては、そんな昔のことをすっかり忘れてしまいました。
これは、ひとり、この父親ばかりにかぎったことではないでありましょう。
みんな人間というものは一度経験したことも年をたつにつれて、だんだんと忘れてしまうものです。
そして、もう一度それを知りたいと思っても思い出すことができないのであります。
「ああ、どんな気持ちだろうか? もう一度自分もあんな子供の時分になってみたい。」と、父親はしみじみと思いました。 この父親は、やさしい、いい人でありました。
無邪気(むじゃき)な、世の中のいろいろなことはなにも知らない、ただ、なにもかもが美しく、そして、みんな笑っているようにしか見えない子供の心持ちを、ほんとうに哀れに感じていました。
それでありますから、できるだけ、子供にやさしく、そして、しんせつにしてやろうと思いました。 子供は、二足、三足歩くと足もとの小石を拾って、それを珍しそうに、ながめていました。
鶏(とり)が餌(え)を探していると立ち止まって、
「とっと、とっと。」といって、ぼんやりとながめていました。
また小犬が遊んでいると、子供は立ち止って、じっとそれを見守りました。
「わんわんや、わんわんや。」と、かわいらしい、ほんとうに心からやさしい声を出して、小さな手を出して招くのでした。 子供にとって、木の葉も、草も、小石も、鶏も、小犬もみんな友だちであったのです。
その父親は、手間がとれても、子供の気の向くままにまかせて、ぼんやり立ち止まって、それを見守っていることもありました。
「なぜ、人間は、いつまでもこの子供の心を失わずにいられないものだろうか。なぜ年を取るにつれて、悪い考えをもったり、まちがった考えをいだいたりするようになるものだろうか。ああ、自分も、どうかして、もう一度、なにも世の中のことを知らなかった、そして、なんでも美しく見える子供の時分になりたいものだ。しかし、流れた水が、もう帰ってこないように、なれるものでない。」と父親は、考えながら歩いていました。
…つづく…
(『小川未明童話集』桑原三郎編 岩波文庫 1996年)