歩いているときに傘はたたんだままでした。
でも、蒸し暑くて汗でシャツが重たくなりました(-_-;)
「台風12号 11日~週明け 強い勢力で先島諸島などに近づくおそれ」(NHK)「英エリザベス女王、死去 英王室発表」(BBCNEWS)
各国首脳の追悼のメッセージのなかに
ドイツのオラフ・ショルツ首相は、女王を「何百万もの人々の模範で、インスピレーション」だと表現。
「第2次世界大戦の恐怖」の後に、イギリスとドイツの関係修復に果たした女王の役割をたたえた。
また、「彼女の素晴らしいユーモアも惜しまれます」とした。
日本との関係修復にも尽力されました。
「エリザベス女王 戴冠式」(NHKアーカイブス 1953年)
「天皇皇后両陛下 イギリス訪問」(NHKアーカイブス 2012年)
NHK国際部のTwitterに
【訃報】歴代最長70年にわたって在位してきたイギリスのエリザベス女王。
8日、96歳で亡くなりました。
世界中から追悼の言葉が寄せられ、ロンドンには虹がかかっていました。
第6章 宮廷の行事
重陽・後の明月
九月九日は九が重なるところから重陽(ちょうよう)の節とよばれ、また、菊の節句ともいわれます。
この日、天皇は紫宸殿に出御、群臣に宴を賜い、音楽があり、また内教坊の舞妓の奏などのことがあります。
なおこの日には菊のきせ綿ということがあります。
九月八日の夜、花に綿をおおい、翌日それをとって身体を拭き、老を去る呪(まじな)いとしました。
『紫式部日記』に、道長の室倫子から、菊のきせ綿をおくることが見え、『枕草子』その他にも所見がはなはだ多いのです。
九月十三日は、いわゆる後の明月であって、菅公の「去年今夜侍清涼(去年ノ今夜 清涼ニ侍ス)」の詩は、この夜のことであろうといわれています。
(『平安朝の生活と文学』池田亀鑑 ちくま学芸文庫 2012年)
六 九月九日朝~中宮の母倫子の気遣い重陽・後の明月
九月九日は九が重なるところから重陽(ちょうよう)の節とよばれ、また、菊の節句ともいわれます。
この日、天皇は紫宸殿に出御、群臣に宴を賜い、音楽があり、また内教坊の舞妓の奏などのことがあります。
なおこの日には菊のきせ綿ということがあります。
九月八日の夜、花に綿をおおい、翌日それをとって身体を拭き、老を去る呪(まじな)いとしました。
『紫式部日記』に、道長の室倫子から、菊のきせ綿をおくることが見え、『枕草子』その他にも所見がはなはだ多いのです。
九月十三日は、いわゆる後の明月であって、菅公の「去年今夜侍清涼(去年ノ今夜 清涼ニ侍ス)」の詩は、この夜のことであろうといわれています。
(『平安朝の生活と文学』池田亀鑑 ちくま学芸文庫 2012年)
九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、
「これ、殿の上(うへ)の、とりわきて。『いとよう老い拭(のご)ひ捨て給へ』と、のたまはせつる」
とあれば、
「菊の露若ゆばかりに袖触れて花のあるじに千代は譲らむ」
とて返し奉らむとするほどに、
「あなたに帰(かへ)り渡らせ給ひぬ」
とあれば、用無さにとどめつ。
(『紫式部日記』山本淳子訳注 角川ソフィア文庫 平成22年) 九月九日、菊の着せ綿を、女房の兵部さんが持ってきて、
「これ、殿の奥様から、格別に。『この綿で、うんとすっきり老化をお拭(ふ)き取りなさいませ』とおっしゃって」
ということなので、
「せっかくの菊の露、私はほんの少し若返る程度に触れておいて、後は花の持ち主、奥様にみなお譲りしますわ。どうぞ千年も若返って下さいませ」
そう詠んでお返ししようとしたが、歌のできた時には、
「奥様は向こうにお帰りになってしまいました」
ということで、歌は詠んだが役に立たないので、贈るのもやめにした。
(『紫式部日記』山本淳子訳注 角川ソフィア文庫 平成22年)【第八段】
正月一日(むつきついたち)、三月三日(やよひみか)は、いと、麗(うら)らかなる。
五月五日(さつきいつか)は、曇(くも)り暮(く)らしたる。
七月七日(ふんづきなぬか)は、曇り、夕方(ゆふがた)は、晴れたる空に、月、いと、明(あ)かく、星の姿、見えたる。
(『枕草子 上』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)九月九日(ながつきここのか)は、暁方(あかつきがた)より、雨、少し降りて、菊の露も、こちたく、濡(そぼ)ち、覆(おほ)ひたる綿(わた)なども、甚(いた)く濡(ぬ)れ、移(うつ)しの香(か)も、持(も)て映(は)やされたる。
早朝(つとめて)は、止(や)みにたれど、猶(なほ)、曇りて、動(やや)もすれば、降り落ちぬべく見えたるも、をかし。 訳
一月一日の元旦と、三月三日の上巳(じょうし)の節句は、うららかな空模様であってほしい。
五月五日の端午(たんご)の節句は、一日中、曇り日がよい。
七月七日の七夕(しちせき)の節句は、日中は曇っていて、夕方になってから、空が晴れ渡り、月がとても明るく、星もよく見えてほしい。九月九日の重陽(ちょうよう)の節句は、夜明け頃から雨が少し降って、菊にもたっぷりの露が降(お)り、菊の花にかぶせた「着(き)せ綿(わた)」なども、露を吸い込んでしとどに濡れて、菊の香りが綿にしみ移って、いっそう引き立てられるのは、素晴らしい。
また、早朝には、雨が止んでいたとしても、まだ曇り空で、今にも雨粒が落ちてきそうに見える、そんな天候がよいのだ。 評
五節句の最初は、一月七日の「人日」であって、「正月一日」ではないのだが、この段は、ほぼ五節供に従って、それぞれにふさわしい天候を画く段である。
中でも、菊の節句の描写が詳しい。
曇り空や雨模様の多いのが意外な印象を受けるが、それは現代人の感覚であって、太陰暦の五月五日は、現在では梅雨時にあたる。
いずれにしても、第一段以来ここまで、季節や気象に関する段が目立つ。
藤原俊成の至言、「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり」に倣(なら)って言えば、「枕草子見ざる俳人は、遺恨のことなり」と言ってもよいほど、『枕草子』には、歳時記を先取りしたかのような記述が散見される。
(『枕草子 上』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年) くらがり峠にて
菊の香にくらがり登る節句かな (菊の香)
芭蕉は九月九日に奈良を立ち、生駒山脈を暗(くらがり)峠で越えて大坂へ向った。
この日は菊の節句だから、菊の香が漂う路を、その香をたよりに「くらがり」を登っていった、という意味。
地名の暗峠をきかせて、仄暗い中を登ったという言葉の洒落である。
中国では重陽に日に赤い嚢(ふくろ)に茱萸(はじかみ)を入れて菊酒に浸し、高い山に登って飲めば災いを払うとされ、俳諧の季語にも「高きに登る」というのがある。
この句の「くらがり登る」には、その登高の意味が含ませてある。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)今朝の父の一枚です(^^)/
センニンソウが覆うように咲いています。
センニンソウ Clematis terniflora キンポウゲ科
ボダンヅルと同じく、晩秋の頃、果実につく綿毛が夕日に映え、とてもきれいです。
そんなふわふわした毛を仙人のひげにたとえて名がつきました。
日当たりのよい林の縁などで普通に見られます。
この2種類は庭によく植えられるテッセンやクレマチスにとても近い仲間です。
●分布:日本全土
●花期:8月~9月
識別のポイント
葉の形が違います
葉の縁にギザギザがあるのでボダンヅル、ないのがセンニンソウです。
(『花のおもしろフィールド図鑑(秋)』ピッキオ編著 実業之日本社 2002年)