すぐに止んでくれました。
台風14号の動きがゆっくりなので被害が大きくなる…
「台風14号 中国地方 近畿 四国を暴風域に北東へ 浸水被害相次ぐ」(NHK)歩いていると蒸し暑かったです
荒木健太郎さんのTwitterに
台風に伴う風の影響でフェーン現象が起こり、19日は北陸で気温が上がります。
新潟や富山では最高気温37℃予報の地域もあります。
お気をつけください。
(画像1 、 画像2 、 画像3 、 画像4)
さらに荒木健太郎さんのTwitterに
現代語訳で転記します( ..)φ
八 仏の救いは摩訶不思議
捨てる定めの母をかくまった大臣の話
今は昔、七十歳を過ぎた人々を他国に流し遣(や)ってしまう国が天竺にあった。
その国に、年老いた母を持つ一人の大臣がいた。
彼はことのほか親孝行な人物で、朝な夕な一所懸命母の世話をしていた。
そうした日々が過ぎていき、いつしか母は七十歳を越えた。
大臣は、
「母の顔を朝見ていても、夕方に見なかったりするだけで、堪えがたいほど心配になるのに、はるか遠い他国に送り出してそのまま顔を見ることもできなくなるなんて、到底耐えられる話ではない」
と思い、ひそかに家の片隅の地下に穴蔵を掘り、そこに母親をかくまった。
ほかの家族も知らないことで、まして世間にはこのことはまったく洩れなかった。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年) こうして何年かがたった頃、隣国から見分けがつかないほど似通った二頭の雌馬が送られてきた。
送り状には、
「この二頭のどちらが母で子か判別し、印をつけて送り返せ。もしもできないようなら、軍を発して七日のうちにそちらの国を滅ぼす」
とある。
困った国王は大臣を召し出し、
「いったいどうしたものだろうか。なにか思いつく名案はないか」
とご下問になった。
大臣は、
「これは難題で、簡単にお答えいたしかねます。いったん退出いたし、よくよく考えてあらためて御返答申し上げます」
と答えを保留したが、内心では、
「かくまっている母は年の功で、このようなことについてなにか聞き及んでいるかもしれない」
と思って、急いで家に戻った。 帰るとすぐに母のいる地下蔵に忍んでいって、くだんの難題を説明し、
「なにかご存じのことはありますまいか」
と訊いた。
すると母は、
「昔若かった頃、こんなことを聞いたことがあります。そっくりな馬の親子を判別するには、二頭の真ん中に草を置いてみるといい。すぐに食べはじめるのが子で、子に思うまま食べさせたあとで食べるのが親である、とのことでした」
と言った。
大臣が、その答えを携えて王宮に戻ると、国王は待ちかねたように、
「なにかいい考えが浮かんだか」
とお訊きになる。
大臣は、母が言ったとおりのことを、さも自分が思いついたかのように言上した。
すると国王は、
「おお、それは名案だ」
と喜ばれ、すぐさま草を持ってこさせて二頭の馬の真ん中に置かせた。
すると、一頭はすぐにがつがつ食べたが、もう一頭はその食べ残しをゆっくり食べた。
そこで、それぞれの馬に判別の札を付けて隣国に送り返した。 それからしばらくして隣国は、今度は一本の木を同じ太さに削って漆を塗ったものを送りつけてきた。
「この木のもともとの先端と根元を判別せよ」
と言うのである。
国王は、また大臣を呼び出し、
「いったいどうしたらいいだろう」
とおっしゃった。
大臣は前回と同じように返答し退出するや、母のいる地下蔵に行って「かくかくしかじか」っと難問の答えを求めた。
母は、
「答えは簡単ですよ。水に浮かべてみて、少し沈む方が根元の方です」
と言った。
大臣は宮殿に戻ってこのことを報告したところ、ただちに国王は木を水に入れてご覧になった。
すると、一方の端が少し沈んだので、そちらに「根本」という札をつけて送り返した。 三度目の難題は、象だった。
象が一頭送られてきて、
「この象の重さを測って言って寄越せ」
と申し入れてきた。
国王は、
「こうも次々に難題をふっかけてくるとは、まことに困ったことだ」
と思い悩まれ、またしても大臣を呼んで相談なさった。
「いったい全体どうしたらよいのだ。今回もまた、ひときわむずかしい問題ではないか」
と仰せられる。
大臣は、
「じつにまったく仰せの通りでございます。しかしながら、このたびも退出いたし、よくよく思案してご返事申し上げたく存じます」
と言って、例のごとく家に戻った。
その様子に国王は、
「大臣め、わが面前でも考えをめぐらすことはできるだろうに、いちいち家に戻るとはすこぶるおかしな話だ。家にどういう仕掛けがあるのだろう」
とお疑いになった。 やがて大臣が戻ってきた。
国王は、いくらなんでも今回の難題には答えは見つからないだろう、とひどく心配しながら、
「妙案はうかんだか」
とお訊ねになった。
大臣は、
「少々思いついたことがございます。まず、象を船に乗せて水に浮かべます。船がその重さで沈みますから、その時の吃水線(きっすいせん)に墨で目印をつけておきます。そのあと象を船からおろします。次に、今度は石を船に運び入れ、象が乗った時の吃水線と同じになるまで積み込みます。その石をひとつひとつ秤にかけて重さを測ったのち、それらの目方を足し合わせれば、それが象の目方ということになります」
と答えた。
国王はこれを聞き、大臣の言ったとおりに計量して、「象の重さはこれこれである」と書いて隣国に返書した。 敵である隣国は、相手が三つの難題をひとつとして間違えることなく解決し返答してきたので、感嘆し褒めたたえ、
「あの国は賢人が多いと見える。なまなかの才智ではとても返答できないようなことを、すべて見事に言い当てて寄越した。これほど賢い国にうっかり戦いをしけたりしたら、かえって計略にかかってこちらが滅ぼされてしまうだろう。ここはお互い仲良く友好関係を結んだ方がいい」
という判断を下した。
そして、長年にわたる敵対的な態度をきっぱり改め、和平の文書を取り交わして友好国となった。 国王は大臣を召し出し、
「わが国を屈辱から救い、敵国を友好国に変えられたのは、すべてそなたの働きゆえだ。朕(ちん)は、ことのほかうれしく思うぞ。だが、どうやってあのような難問を解き明かすことができたのだ? 申してみよ」
と仰せられた。
その瞬間、大臣はこぼれ落ちる涙を袖で押しぬぐいながら、国王に申し上げた。「この国には、昔から七十を過ぎた老人を他国に流し遣る習わしがございます。今に始まった政令ではございません。ところが、わが母は七十を越えますこと、今年で八年に及びます。その母に朝夕親孝行をしたいがために、ひそかに家の中に地下蔵を掘り、八年の間ずっとそこに隠し置いたのでございます。今回の難題がふりかかりました時、年老いた者は見聞も広いので、もしやなにか見聞きして知っていることもあろうかと思い、御前から下がって家に戻って問い訊ね、母の返答通りのことを言上いたしたのでございます。この老母がおりませんでしたら、どうなっておりましたことか」 大臣の告白を聞いた国王は、
「どういう理由で、老人を捨てるという風習がかつてできたのであろうか。だが、今回のことで、老人は尊ぶべきものであるということを、朕は肝に銘じて悟った。すぐにも宣旨(せんじ)を下して、これまで遠い場所に流し遣った老人たちは、身分男女を問わずすべて召し返すようにしよう。また、老人を捨てる国という名を改め、老人を養う国と称するようにしよう」
と仰せられた。
これよりのち、この国は平和に治まり、民は平穏に暮らし、国中が豊かになった、と、こうして今に語り伝えられている。
(巻第五第三十二) ✤ 北魏(386年~538年)で漢訳された仏典『雑法蔵経(ぞうほうぞうきょう)』に、本話の原拠が収められている。
その話では、老母は老父で難問も九つある上に、そこには仏教教理の問答的なものが含まれる。
これが、原話が釈迦の本生譚だったからであろう。
すなわち、老父は釈迦の、国王は阿闍世王の、そして大臣は舎利弗の前世なのである。
本話は、それをわかりやすい孝養教訓の形に変化させたものと考えられる。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)今朝の父の一枚です(^^)/
…前略…
以前、TBSラジオの「全国こども電話相談室」で、「ヘチマの巻髭が途中で逆巻きになるのはなぜか?」という質問を受けて慌てたことがある。
それまで確かめたことがなかったので、宿題にして家へ帰り、近所でヘチマを見つけてよく見たら、まさにその通り。
こんな細かいところを、子供がよく見つけたと感心させられた。
これは物理学的に、途中で逆巻きになると、抜けそうになった時によく締まって、抜けにくくなるためだということらしい。
…後略…
(『柳宗民の雑草ノオト』 毎日新聞社 2002年)
今、日本では台風14号とエリザベス女王国葬のことが報道されているけど
救助・救援が必要だと思う。
これまでにも日本の災害への温かいメッセージが台湾から届いていたのですから。
「台湾東部の地震 1人死亡 146人けが」(NHK)
「台湾南東部の地震、1人死亡・140人超負傷 建物倒壊や列車脱線も」(ロイター 9月18日)
フェーン現象により日本海側で気温が上がっており、新潟県では最高気温が37℃を超えている地域があります。
体調管理などにお気をつけください。
( 画像 )
『今昔物語集』にこんな話が載っています。現代語訳で転記します( ..)φ
八 仏の救いは摩訶不思議
捨てる定めの母をかくまった大臣の話
今は昔、七十歳を過ぎた人々を他国に流し遣(や)ってしまう国が天竺にあった。
その国に、年老いた母を持つ一人の大臣がいた。
彼はことのほか親孝行な人物で、朝な夕な一所懸命母の世話をしていた。
そうした日々が過ぎていき、いつしか母は七十歳を越えた。
大臣は、
「母の顔を朝見ていても、夕方に見なかったりするだけで、堪えがたいほど心配になるのに、はるか遠い他国に送り出してそのまま顔を見ることもできなくなるなんて、到底耐えられる話ではない」
と思い、ひそかに家の片隅の地下に穴蔵を掘り、そこに母親をかくまった。
ほかの家族も知らないことで、まして世間にはこのことはまったく洩れなかった。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年) こうして何年かがたった頃、隣国から見分けがつかないほど似通った二頭の雌馬が送られてきた。
送り状には、
「この二頭のどちらが母で子か判別し、印をつけて送り返せ。もしもできないようなら、軍を発して七日のうちにそちらの国を滅ぼす」
とある。
困った国王は大臣を召し出し、
「いったいどうしたものだろうか。なにか思いつく名案はないか」
とご下問になった。
大臣は、
「これは難題で、簡単にお答えいたしかねます。いったん退出いたし、よくよく考えてあらためて御返答申し上げます」
と答えを保留したが、内心では、
「かくまっている母は年の功で、このようなことについてなにか聞き及んでいるかもしれない」
と思って、急いで家に戻った。 帰るとすぐに母のいる地下蔵に忍んでいって、くだんの難題を説明し、
「なにかご存じのことはありますまいか」
と訊いた。
すると母は、
「昔若かった頃、こんなことを聞いたことがあります。そっくりな馬の親子を判別するには、二頭の真ん中に草を置いてみるといい。すぐに食べはじめるのが子で、子に思うまま食べさせたあとで食べるのが親である、とのことでした」
と言った。
大臣が、その答えを携えて王宮に戻ると、国王は待ちかねたように、
「なにかいい考えが浮かんだか」
とお訊きになる。
大臣は、母が言ったとおりのことを、さも自分が思いついたかのように言上した。
すると国王は、
「おお、それは名案だ」
と喜ばれ、すぐさま草を持ってこさせて二頭の馬の真ん中に置かせた。
すると、一頭はすぐにがつがつ食べたが、もう一頭はその食べ残しをゆっくり食べた。
そこで、それぞれの馬に判別の札を付けて隣国に送り返した。 それからしばらくして隣国は、今度は一本の木を同じ太さに削って漆を塗ったものを送りつけてきた。
「この木のもともとの先端と根元を判別せよ」
と言うのである。
国王は、また大臣を呼び出し、
「いったいどうしたらいいだろう」
とおっしゃった。
大臣は前回と同じように返答し退出するや、母のいる地下蔵に行って「かくかくしかじか」っと難問の答えを求めた。
母は、
「答えは簡単ですよ。水に浮かべてみて、少し沈む方が根元の方です」
と言った。
大臣は宮殿に戻ってこのことを報告したところ、ただちに国王は木を水に入れてご覧になった。
すると、一方の端が少し沈んだので、そちらに「根本」という札をつけて送り返した。 三度目の難題は、象だった。
象が一頭送られてきて、
「この象の重さを測って言って寄越せ」
と申し入れてきた。
国王は、
「こうも次々に難題をふっかけてくるとは、まことに困ったことだ」
と思い悩まれ、またしても大臣を呼んで相談なさった。
「いったい全体どうしたらよいのだ。今回もまた、ひときわむずかしい問題ではないか」
と仰せられる。
大臣は、
「じつにまったく仰せの通りでございます。しかしながら、このたびも退出いたし、よくよく思案してご返事申し上げたく存じます」
と言って、例のごとく家に戻った。
その様子に国王は、
「大臣め、わが面前でも考えをめぐらすことはできるだろうに、いちいち家に戻るとはすこぶるおかしな話だ。家にどういう仕掛けがあるのだろう」
とお疑いになった。 やがて大臣が戻ってきた。
国王は、いくらなんでも今回の難題には答えは見つからないだろう、とひどく心配しながら、
「妙案はうかんだか」
とお訊ねになった。
大臣は、
「少々思いついたことがございます。まず、象を船に乗せて水に浮かべます。船がその重さで沈みますから、その時の吃水線(きっすいせん)に墨で目印をつけておきます。そのあと象を船からおろします。次に、今度は石を船に運び入れ、象が乗った時の吃水線と同じになるまで積み込みます。その石をひとつひとつ秤にかけて重さを測ったのち、それらの目方を足し合わせれば、それが象の目方ということになります」
と答えた。
国王はこれを聞き、大臣の言ったとおりに計量して、「象の重さはこれこれである」と書いて隣国に返書した。 敵である隣国は、相手が三つの難題をひとつとして間違えることなく解決し返答してきたので、感嘆し褒めたたえ、
「あの国は賢人が多いと見える。なまなかの才智ではとても返答できないようなことを、すべて見事に言い当てて寄越した。これほど賢い国にうっかり戦いをしけたりしたら、かえって計略にかかってこちらが滅ぼされてしまうだろう。ここはお互い仲良く友好関係を結んだ方がいい」
という判断を下した。
そして、長年にわたる敵対的な態度をきっぱり改め、和平の文書を取り交わして友好国となった。 国王は大臣を召し出し、
「わが国を屈辱から救い、敵国を友好国に変えられたのは、すべてそなたの働きゆえだ。朕(ちん)は、ことのほかうれしく思うぞ。だが、どうやってあのような難問を解き明かすことができたのだ? 申してみよ」
と仰せられた。
その瞬間、大臣はこぼれ落ちる涙を袖で押しぬぐいながら、国王に申し上げた。「この国には、昔から七十を過ぎた老人を他国に流し遣る習わしがございます。今に始まった政令ではございません。ところが、わが母は七十を越えますこと、今年で八年に及びます。その母に朝夕親孝行をしたいがために、ひそかに家の中に地下蔵を掘り、八年の間ずっとそこに隠し置いたのでございます。今回の難題がふりかかりました時、年老いた者は見聞も広いので、もしやなにか見聞きして知っていることもあろうかと思い、御前から下がって家に戻って問い訊ね、母の返答通りのことを言上いたしたのでございます。この老母がおりませんでしたら、どうなっておりましたことか」 大臣の告白を聞いた国王は、
「どういう理由で、老人を捨てるという風習がかつてできたのであろうか。だが、今回のことで、老人は尊ぶべきものであるということを、朕は肝に銘じて悟った。すぐにも宣旨(せんじ)を下して、これまで遠い場所に流し遣った老人たちは、身分男女を問わずすべて召し返すようにしよう。また、老人を捨てる国という名を改め、老人を養う国と称するようにしよう」
と仰せられた。
これよりのち、この国は平和に治まり、民は平穏に暮らし、国中が豊かになった、と、こうして今に語り伝えられている。
(巻第五第三十二) ✤ 北魏(386年~538年)で漢訳された仏典『雑法蔵経(ぞうほうぞうきょう)』に、本話の原拠が収められている。
その話では、老母は老父で難問も九つある上に、そこには仏教教理の問答的なものが含まれる。
これが、原話が釈迦の本生譚だったからであろう。
すなわち、老父は釈迦の、国王は阿闍世王の、そして大臣は舎利弗の前世なのである。
本話は、それをわかりやすい孝養教訓の形に変化させたものと考えられる。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)今朝の父の一枚です(^^)/
…前略…
以前、TBSラジオの「全国こども電話相談室」で、「ヘチマの巻髭が途中で逆巻きになるのはなぜか?」という質問を受けて慌てたことがある。
それまで確かめたことがなかったので、宿題にして家へ帰り、近所でヘチマを見つけてよく見たら、まさにその通り。
こんな細かいところを、子供がよく見つけたと感心させられた。
これは物理学的に、途中で逆巻きになると、抜けそうになった時によく締まって、抜けにくくなるためだということらしい。
…後略…
(『柳宗民の雑草ノオト』 毎日新聞社 2002年)
今、日本では台風14号とエリザベス女王国葬のことが報道されているけど
救助・救援が必要だと思う。
これまでにも日本の災害への温かいメッセージが台湾から届いていたのですから。
「台湾東部の地震 1人死亡 146人けが」(NHK)
「台湾南東部の地震、1人死亡・140人超負傷 建物倒壊や列車脱線も」(ロイター 9月18日)