2022年9月21日水曜日

涼しいというよりも…

今朝の天気は涼しいというよりは、なんか肌寒く感じました。
台風の被害があった地域は、これからが大変だと思います。

過ぎたあとのほうがずっと怖い?台風”後”にひそむ思わぬ危険」(NHK)
貴重映像で振り返るエリザベス女王」(NHK クローズアップ現代 9月12日)

天皇皇后両陛下 エリザベス女王の国葬への参列終え 帰国」(NHK 9月20日)
お二人そろって国葬に参列することができてよかったなと思います。

The Royal FamilyのTwitterに

As The Queen's Committal Service comes to a close, Her Majesty's Piper plays a lament.

江川紹子さんのTwitterに(9月19日)

英国の国葬を見て。
葬儀というのは祈りを伴うので、やはり宗教とは切り離しがたい儀式だな、と思う。
宗教分離の中で、宗教的行事を国家として行う例外の1つが国葬なのかも。
だからこそ、一定の基準が必要なのでは。
無宗教で行われる場合は、葬儀というより「お別れ会」的イベントという感じがする。


元首相の国葬を
首相「国葬落札は適正」 桜を見る会と同一会社〟(共同通信社 9月4日)
だそうです。
これまでの元首相との関係から誠心誠意執り行うと思います。
国葬演出の会社「桜を見る会」設営5度落札〟(共同通信社 9月2日)
露、占領地併合へ住民投票 東南部で23~27日に」(産経新聞) 
親ロシア派について実態を知らないのでなんとも言えないけど
かつて、日本が満州を建国したことが重なる。

満洲国 建国十周年式典」(NHKアーカイブス 1942年)

満州帝国の正体 溥儀元皇帝出廷 -東京裁判」(NHKアーカイブス 1946年)
霞が関 男性が焼身自殺図ったか 近くに国葬反対メモ 警視庁」(NHK)
70代の方で詳しいことは分からないけど、つい思い出したのが

私とベトナム④ 焼身自殺と車」(日本記者クラブ 田中 信義 2011年8月)
1963年6月11日の事なのでその時は、知らなかったと思うけど
後にその姿を雑誌か何かで見て戦慄した。

今朝のニュースに
 「“ロシア軍が司祭を拉致して拷問” ウクライナ正教会大主教」(NHK)
エフストラティ大主教は
「一刻も早く平和が訪れるよう宗教指導者こそ声を上げるべきだ」
 こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(6)「慈悲の実践」
を見て、高木顕明(たかぎけんみょう)を初めて知り、もっと知りたいと思いました。

番組の中で

顕明は初めて訪ねた被差別部落の門徒の家で出迎えた家族の様子におののいています。
娘の首筋は垢
(あか)にまみれ手や爪は汚れていました。
出された握り飯もところどころ黒ずみ
顕明は泣かんばかりに一口ずつ念仏を称えながら飲み込んだといいます。
「自分の中にはぬぐいがたい差別の心が宿っている」。
この体験は 顕明が自らを厳しく見つめる原点となりました。
以来、顕明は、彼ら門徒からお布施を取って生活などできないと
自ら按摩
(あんま)の技術を学んで働き寺の生計を立てました。
番組のテキストより

 第6回 慈悲の実践
 10 『歎異抄』のその後


…前略…

 その『歎異抄』が、近代になって清沢満之(きよざわまんし)に再発見されたことは、第1回で述べました。
近代になると、国家や社会をその構成員の意思によって動かすことができるという思想が、まがりなりにも現れてきます。
近代以前は、慈悲の実践は個人レベルにとどまっていましたが、時代とともに、社会的な活動へと変わっていったのです。
その例として、高木顕明(たかぎけんみょう)という人物を紹介しましょう。
(『歎異抄にであう 無宗教からの扉』阿満利麿 NHK出版 2022年)
 高木顕明は、1864年に愛知県で生まれ、真宗大谷派(しんしゅうおおたには)の学校を卒業し、東本願寺(京都市)の僧侶となりました。
三十代半ばで入った浄泉寺(和歌山県新宮市)には、門徒として被差別部落出身の貧困者が多くいました。
これを機に、高木は部落解放運動や廃娼(はいしょう)運動の先頭に立つようになります。
 日露戦争が始まる1904年頃からは、社会主義者と交流し始めました。
とはいえ、彼自身は、「自分の反差別、反戦の運動は、社会主義ではなく阿弥陀仏の信心から生まれているのだ」とはっきり述べています。
 しかし、1910年の「大逆事件(たいぎゃくじけん)」で、高木は冤罪(えんざい)によって逮捕されてしまいます。
明治天皇暗殺計画が発覚し、社会主義的活動に関わる人物が一斉の検挙されたのです。
 彼は、多くの逮捕者と同じように死刑判決を受け、のち終身刑に減刑されるも、1914年、五十歳のときに監獄で自死しました。
 高木は、逮捕された翌年1911年、僧籍を剝奪(はくだつ)され、教団から追放されました。
しかし、60年代に始まる真宗大谷派の同朋会(どうぼうかい)運動(教団に対する自己批判から始まった信仰復興運動)が進み、1996年に処分が取り消されます。
さらに、「今後の教団は高木顕明の意志を引き継ぐ」という決意表明までなされました。
実に85年ぶりに名誉を回復したわけです。
11 『歎異抄』に見る人間の平等性

 高木顕明は、こう言っています。
阿弥陀仏の慈悲をこうむると、阿弥陀仏が我々に対してなそうとしていることを我々はなし、阿弥陀仏の心をもって我が心とするようになるのだ、と。
阿弥陀仏の慈悲を体得して、それを基準に生きようとしていたのです。
 阿弥陀仏の慈悲の特色は「平等」にあります。
慈悲は、平等にはたらくからこそ慈悲なのです。
したがって、阿弥陀仏の慈悲を暮しの基準にするということは、具体的には「平等」をものの見方の基準にするということです。
高木は、まさに「阿弥陀仏の事業に参加」しようとしていたのです。
 阿弥陀仏の慈悲の実践を自分の生き方とすることが、高木にとっての生きがいそのものでした。
その実践の一つは非戦論、もう一つは社会的差別の全否定です。
世界の平和を実現し、差別に苦しむ人々をなくすための活動に、彼は尽力しました。
それは、阿弥陀仏の本願から見た人間の平等性に支えられていたからこそ生まれたのです。
 阿弥陀仏の目から見れば、人は皆、同じです。
いったん阿弥陀仏の本願を受け入れると、人間に共通するものが、はっきり見えてきます。
たとえば、「人は煩悩的存在である」とか「固有の業縁(ごうえん)を背負っている」などという本質がわかれば、人は皆、平等だということがはっきりとします。
 『歎異抄』第一条にも、「弥陀の本願には、老少善悪(ろうしょうぜんまく)のひとをえらばれず」とありました。
「老少」は年齢の違い、「善悪」は道徳的観念の違いです。
そのようなことは、人間社会では大きな問題ですが、阿弥陀仏の本願から見れば、たいした違いではありません。
『歎異抄』には、最初から本願にもとづく平等性が強調されているのです。
 差別をなくし、社会を変えようとした高木顕明の慈悲の実践は、近代以降だからこそ可能となりました。
先に述べたように、近代という時代では、社会や国家のあり方は、その構成員の総意によって変えることができるという考え方が尊重されています。
だからこそ、高木のような人物が生まれてきたのです。
(『歎異抄にであう 無宗教からの扉』阿満利麿 NHK出版 2022年)
今朝の父の一枚です(^^)/

四季の雲

 気象衛星「ひまわり8号」が平成27年(2015年)7月7日から運用を開始し、以前よりも詳細な情報を得られるようになった。
 気象庁のホームページの気象衛星のコーナーでは、冬の<季節風>が吹く際の日本海の雪を降らせる筋状の雲、<台風>のまわりを取り巻く雲、風が強いときに島や山の風下側に発生するエクマン流と呼ばれる渦状の雲など、季節ごと、気象現象ごとに発生するさまざまな雲の写真や動画が掲載されており、みるだけでも楽しい。
 四季の移り変わりは上空の雲のようすにいち早く出る。
たとえば夏から秋に変わるころには、暑さが続いていても空の高いところに<鰯雲(いわしぐも)><鱗雲(うろこぐも)>などと呼ばれる秋の雲が見えると、そろそろ夏も終わりだなとわかる。
 雲の特徴は一つである同じ雲は二つとしてないことは、雲の写真を掲載した雲愛好家のホームページが多い理由なのかもしれない。
(『風と雲のことば辞典』倉嶋厚監修 2016年 講談社学術文庫)