こんなに暑い日が続くと海水温も高くなり台風が次々と襲来する。
「台風14号 3連休には沖縄や奄美地方 西日本に近づくおそれ」(NHK 9月14日) 渡邉英徳さんのTwitterに
77年前の今日。
1945年9月15日、終戦直後にマーシャル諸島で撮影された日本軍兵士たち。
おそらくウォッゼ島かマロエラップ環礁タロア島で撮影されたもの。
ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。
父の話では、母親が芋を焚いていたら、後ろに兵隊の長い列ができていたそうです(奄美)。
母の話では、米軍がキャンプを移動するときに大量の缶詰を残していった。
その缶詰などの食糧の山を見て、母は日本は負けると思ったそうです(沖縄)。
〝日本軍兵士の多くは餓死や自決、ときには「処置」も……〟(Yahoo!ニュース 7月31日)田辺聖子さんの『田辺聖子の古典まんだら(上)』より『今昔物語集』を紹介したいと思います。
女はやっぱりしたたか――今昔物語集
『今昔物語集』は千篇以上の説話が収められた短編集です。
タイトルは、すべての話が、「今は昔」という言葉で始められ、<語り伝へたるとや「という話でしたよ」>という言葉で終わることに由来します。
地理的に三部構成になっていて、天竺(てんじく)部、震旦(しんたん)部、本朝部、それぞれインド、中国、日本を舞台にしています。
本朝部はさらに仏法と世俗に分かれています。
仏教を信ずると御利益(ごりやく)があるという仏教鼓吹の物語と世態人情を描いた物語です。
原本は漢字まじりの片仮名で書かれています。
儒学を学び、仏典にも造詣(ぞうけい)の深い僧侶(そうりょ)が著者、もしくは編者なのでしょうか。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』新潮社 2011年)『今昔物語集』が成立したのは十二世紀初めといわれています。
王朝の栄華はもはや夕暮れの闇(やみ)に沈もうとし、かなたからは、中世の曙光(しょこう)が差し初(そ)めている時代です。
馬蹄(ばてい)の音をとどろかせて、武士が社会の表舞台に駆け登ってこようとしています。
生々潑刺(はつらつ)たる生命力を持った庶民が台頭してきます。
そういう時代の、まことに元気のいい日本人の姿が書きとどめられています。『源氏物語』は貴族社会を舞台にした長編ですが、『今昔物語集』には、天皇や妃だけではなく、金持ち、侍、商売人、僧侶、泥棒と、さまざまな人が登場し、社会のさまざまな層から面白い物語を集めています。
『源氏物語』と『今昔物語集』はまったく対照的な作品ですが、面白さで優劣がつけがたいものがあります。
もし絶海の孤島に流されることになったら、私はこの二冊を持って行きます。
その『今昔物語集』から、私の好きな短編のさわりをご紹介します。 まず最初は女性が活躍する説話です。
平中(へいじゅう)こと平定文(たいらのさだふん)という人がいました。
彼は平安中期に実在した人物で、皇族の血を引く歌人です。
ハンサムで、姿形もすらりとし、とても女性にもてました。
彼を主人公とする『平中物語』という恋愛物語は、大いに人気を博しました。
ハンサムでもてたというと、『伊勢物語』の在原業平(ありわらのなりひら)を連想しますよね。
でも、業平の歌物語は哀切で、ロマンチックなのですが、平中の物語はなぜかコミカルなものが多いのです。
『今昔物語集』に収められているこの話もそのひとつです。
平中はたいそうな発展家です。
人妻でも、姫君でも、女房たちでも、平中に言い寄られない女性はいませんでした。 あるとき、本院の大臣(おとど)――藤原時平のことです――の邸に仕えている侍従の君という女房が、とても美人ですばらしいという噂(うわさ)を聞いた平中は、さっそく恋文を書きます。
歌人ですから、いかにも女心をそそるようなことが、そめそめと書かれていたことでしょう。
ところが、全く返事がありません。
恋文をつけて断られたことは一度もないと自負する平中は嘆きます。
ついに平中は、「これだけ心を尽くして、あなたを思う気持ちを訴えてきたではありませんか。せめて、私の手紙を見たとだけでもおっしゃってください」と泣かんばかりの調子で手紙を書きます。 しばらくして、使いが返事を持ってきました。
あわてて出てきた平中が、手紙を開いてみると、「見たとだけでもおっしゃってください」と平中が書いたなかの「見た」というところを切り抜いて、薄い紙に貼(は)ってあるだけでした。
平中はがっかりして、妬(ねた)ましいやら、もんあんなやつのことは思い切ろうとします。
これが二月の末のことでした。 とはいいながらも、平中は、侍従の君のことが忘れられません。
そうこうするうちに、五月の二十日過ぎ、しとしとと五月雨(さみだれ)が降る夜のことでした。
こういう夜に忍んでいけば、鬼の心を持つ人でも哀れと思ってくれるだろうと平中は思案します。
本院の屋敷に忍んで行き、かねがね取り次いでくれていた少女を呼び出します。
「雨をついで、濡(ぬ)れそぼって来たんだ。この真心だけでも訴えておくれ」
しばらくして少女が帰ってきました。
「ただいまはご主人様のところにいて、みなさんもまだおやすみではないので、私一人抜けることはできません。しばらくそこでお待ちください。後に参ります、とのことです」
平中は大喜びです。
しばらく暗い戸のところで忍んでいました。 やがて、屋敷の灯が一つ、二つと消えていきます。
皆寝静まったと思われるころに、密(ひそ)かな女の足音が聞こえ、掛金をそっと外します。
平中が暗い中でそっと押してみると、戸があきました。
そこは侍従の君の部屋です。
平中はうれしさのあまり、心臓が口から飛び出しそうになります。
どうやら女が臥(ふ)せているようです。
近寄り、手探ってみると、氷のように冷たい女の髪に触れます。
女の髪の冷たいのは、とても色っぽいものなのだそうです。
平中は思わずふるえて、ものもいえません。 ところが女は小さな声で言います。
「向こうの戸の掛金をかけるのを忘れてしまいました。ちょっと行ってまいります」
「早く帰ってきてください」
女は立ち上がり、着ている小袿(こうちぎ)を脱いで、小袖(こそで)と袴(はかま)だけの姿で出ていきます。
これはいまだと下着姿ぐらいの感じです。
またここへ戻るというしるしです。
向こうで掛金をかける音がコトリとしました。
平中はいまか、いまかと待っています。
ところが、足音はこちらへ来ずに、奥に向かっているようです。
しばらく待っていたのですが、そのあとは何の音もしません。
あまりに遅いので平中が調べてみると、戸の掛金は向こうからかけられていました。
見事に逃げられたわけです。
平中は頭を殴られたようにショックです。
朝までここにいつづけて、侍従の君に浮名を流させ、恥をかかせてやろうかと思いましたが、しだいに夜が明け、みんなが起きる物音がしてくると、まさかそうもできません。
よろぼいよろぼい帰りました。 それ以後も、どうしても侍従の君を忘れられず、恋しさがなお募るばかりです。
そのとき平中は妙なことを思いつきました。
「いくら美人でも、食べもすれば排泄(はいせつ)もするだろう。彼女の排泄したものを見れば、興ざめして、恋心もやむかもしれない」
密かに侍従の君の部屋のあたりで様子をうかがいます。
すると、侍従の使っている十七、八歳のきれいな女が、香染の薄絹に包んだ漆塗りの箱を大事そうに捧(ささ)げて、それを赤い扇で隠しながら、しずしずとやってきます。
香染というのは丁子(ちょうじ)で染めたもので、紅色を帯びた黄色のことです。
瞿麦重(なでしこがさね)の衵(あこめ)に濃い袴を引き上げています。
若い女性は紅を濃く染めた袴、年配の女性は明るい赤の袴をつけるのが決まりです。 あれだと思った平中は、人目のないところで箱を奪います。
少女が泣きながら追いかけてきますが、男の足には追いつけません。
平中は人のいない小屋に閉じこもって、鍵(かぎ)をかけてしまいます。
少女は小屋の外で泣いています。
ベルサイユ宮殿にはトイレがないことを『ベルサイユのばら』で知ったときは驚きましたが、平安時代の建物にもトイレはありませんでした。
貴族はしかるべき箱――きれいに漆を塗ったり、螺鈿(らでん)が施してあるのまであったそうです――に用をたして、樋洗童(ひすましわらわ)がそのたびに捨てに出たのです。
箱をあけようとする平中の手は震えます。瞿麦重(なでしこがさね)の衵(あこめ)に濃い袴を引き上げています。
若い女性は紅を濃く染めた袴、年配の女性は明るい赤の袴をつけるのが決まりです。 あれだと思った平中は、人目のないところで箱を奪います。
少女が泣きながら追いかけてきますが、男の足には追いつけません。
平中は人のいない小屋に閉じこもって、鍵(かぎ)をかけてしまいます。
少女は小屋の外で泣いています。
ベルサイユ宮殿にはトイレがないことを『ベルサイユのばら』で知ったときは驚きましたが、平安時代の建物にもトイレはありませんでした。
貴族はしかるべき箱――きれいに漆を塗ったり、螺鈿(らでん)が施してあるのまであったそうです――に用をたして、樋洗童(ひすましわらわ)がそのたびに捨てに出たのです。
ところが、あけた途端に鼻を打ったのは、例のけしからぬ臭(にお)いではなくて、むせかえるよう丁子の香です。
黄色い液体の中に、固体が三切れほど浮かんでいました。
親指ほどの大きさで、黄色に黒みがかっています。
平中はそのへんにあった木切れでそれを突き刺し、鼻にあてて嗅(か)ぐと、さらに芳香が舞い立ちます。
それは黒方(くろぼう)という香料の香りでした。
「あの人は人間ではない。あの人だったら、飲んでも苦しくない」 平中が箱を引き寄せ、その黄色い液体を飲むと、口いっぱいに丁子の香りが広がりました。
そのとき、はっと気づきます。
それは尿ではなく、丁子を煮かえした汁だったのです。
木切れでついた先をなめてみると、甘くて、苦くて、これもいいにおいがしました。
これは野老(ところ)と練り香を甘葛(あまずら)に練り合わせたものを太い筆の軸に詰めて押し出したものでした。
平中はつくづく思います。
「これぐらいのいたずらは誰だってするかもしれない。だけどおれが箱を奪って、なかを覗(のぞ)くなんて、どうして思いつくだろう。この心ばえはこの世のものとは思えない。この女をものにせずにはいられない」 物語の結末は、恋患(わずら)いがもとで、平中は病にかかり死んだことになっています。
『宇治拾遺物語』にも同じ話が収録されていますが、こちらは、本当に恥ずかしくて、いまいましかったと平中は秘(ひそ)かに人に語ったそうだ、というのが結末です。
この侍従の君は、王朝物語には絶対に出てこないタイプの女です。
とてもしたたかですね。
もしかしたら、平中のことを朋輩(ほうばい)に話して、笑っていたのかもしれません。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』新潮社 2011年)
別の機会に続きを転記する予定です( ..)φ
今朝の父の一枚です(^^)/
芙蓉(ふよう)
晩夏から秋にかけ、淡紅色ないし白の典雅な五弁の花を咲かせるアオイ科の落葉低木。
「芙蓉の顔(かんばせ)」といえば、花の美しさと一日でしぼむ儚(はかな)さが相まって艶麗(えんれい)な美女のたとえ。
「芙蓉」は多く一重だが、八重咲で、朝は白、昼過ぎに淡紅色、夜にはすっかり酔いが回ったように紅色に三変化する園芸品種を<酔芙蓉(すいふよう)>という。
秋の季語。
呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
(『花のことば辞典 四季を愉しむ』倉嶋厚監修、宇田川眞人編著 講談社学術文庫 2019年)