木陰で風が吹くと秋を感じさせます。
台風14号の進路予報を見ていると「りんご台風」(1991年の台風19号)の進路と似ている。
「台風14号 あすにかけ沖縄 奄美 18日は九州接近 暴風などに警戒」(NHK)
〝平成3年19号「りんご台風」 平成一番の風台風〟(ウェザーニュース 2019年2月18日)素敵な話だなぁと思ったのが
「目指せ高校日本一 “溶接”の世界に挑む」(NHK 9月13日)
日本では、オリンピックに関わって厭なニュースが連日報道されているのだけど
「パタゴニア創業者 4200億円相当の株式 環境保護団体などに寄付」(NHK)
そして
〝「イグ・ノーベル賞」に千葉工業大グループ “つまむ”を分析〟(NHK)
日本人の受賞は16年連続です。
実験から四半世紀。(実験は1997年)
息の長い研究だなぁ!昨日の記事で『田辺聖子の古典まんだら(上)』より
「女はやっぱりしたたか――今昔物語集」の平中の話を紹介しました。
今日は、古文で紹介したいと思います。
注などは省略して転記します( ..)φ
なお〝□〟は欠字を表しています。
欠字については後日、転記します。
巻第三十
平定文、本院の侍従に仮借する語(こと)、第一
今は昔、兵衛佐平定文(ひやうゑすけたひらのさだふみ)と云ふ人有けり。
字(あざな)をば平中(へいぢゆう)となむ云ひける。
品(しな)も賤(いや)しからず、形・有様も美(うるは)しけり。
気(け)はひなにとも物云(ものいひ)も可咲(をか)しかりければ、其の比(ころ)、此の平中に勝(すぐ)れたる者世に無かりけり。
此(か)かる者なれば、人の妻(め)・娘、何(いか)に況(いはむ)や宮仕人(みやづかへびと)は此の平中に物云はれぬは無くぞ有りける。
(『新潮古典集成 今昔物語集 本朝世俗部四』阪倉篤義他校注 昭和59年) 而(しか)る間(あひだ)、其の時に本院の大臣(おとど)と申す人御(おは)しけり。
其の家に侍従君(じじゆうのきみ)と云ふ若き女房有りけり。
形・有様微妙(めでた)くて、心ばへ可咲しき宮仕人にてなむ有りける。
平中、彼の本院の大臣の御許(おんもと)に常に行き通ひければ、此の侍従が微妙き有様を聞きて、年来艶(としごろえもいは)ず身に替へて仮借(かさう)しけるを、侍従、消息(せうそく)の返事をだに為(せ)ざりければ、平中嘆き侘(わ)びて、消息(せうそく)を書きて遣(や)りたりけるに、「只(ただ)『見つ』と許(ばかり)の二文字をだに見せ給へ」と、絡(く)り返(かへ)し泣く泣くと云ふ許に書きて遣りたりける使の、返事(かへりごと)を持ちて返(かへ)り来たりければ、平中(へいぢゆう)物に当りて出で会ひて
其の返事を急ぎ取りて見ければ、我が消息に、「『見つ』と云ふ二文字をだに見せ給へ」と書きて遣りたりつる、其の「見つ」と云ふ二文字を破りて、薄様(うすやう)に押し付けて遣(おこ)せたるなりけり。 平中此れを見るに、弥(いよい)よ妬(ねた)く侘(わび)しき事限無(かぎりな)し。
此れは二月の晦(つごもり)の事なりければ「然(さ)はれ、此(か)くて止(や)みなむ、心尽しに無益(むやく)なり」と思ひ取りて、其の後(のち)、音(おと)も為(せ)で過ぐしけるに、五月の二十日余(あまり)の程に成りて、雨隟無(ひまな)く降りて極(いみ)じく暗かりける夜、平中、「然りとも今夜(こよひ)行きたらむには、極じき鬼の心持ちたる者なりとも、哀(あは)れと思(おぼ)しなむかし」と思ひて、夜深更(ふ)けて、雨、音止まず降りて、目指(めざ)すとも知らず暗きに、内より、破無(わりな)くして本院に行きて、局(つぼね)に前々(さきざき)云ひ継(つ)ぐ女(め)の童(わらは)を呼びて、「思ひ侘(わ)びて此くなむ参りたる」と云はせたりければ、童即(わらはすなは)ち返り来て云はく、「只今は御前(おんまへ)に人も未(いま)だ寝(い)ねねば否下(えお)りず。今暫(しば)し待ち給へ。忍びて自(みづか)ら聞えむ」と云ひ出したれば、平中此れを聞くに胸騒ぎて、「然ればこそ、此(か)かる夜来たらむ人を哀(あは)れと思はざらむや。賢(かしこ)く来にけり」と思ひて、暗き戸の迫(はさま)に搔副(かきそ)ひて待ち立てる程、多く年を過ぐす心地なるべし。 一時(ひととき)許(ばかり)有りて、皆人寝ぬる音為(おとす)る程に、内より人の音して、来たりて、遣戸(やりど)の懸金(かけがね)を竊(ひそ)かに放つ。
平中喜(うれ)しさに寄りて遣戸を引けば、安らかに開(あ)きぬ。
夢の様に思ひて、「此は何(いか)にしつる事ぞ」と思ふに、喜しきにも見篩(ふる)ふ物なりけり。
然れども思ひ静め、和(やは)ら内へ入れば、虚薫(そらだき)の香(か)局(つぼね)に満ちたり。
平中歩(あゆ)び寄りて、臥所(ふしど)と思(おぼ)しき所を捜(さぐ)れば、頭様細やかにて、髪を捜れば凍(こほり)を延(の)べたる様に氷(ひや)やかにて当る。
平中喜しさに物も思えねば、篩はれて云ひ出でむ事も思えぬに、女の云ふ様(やう)、「極じき物忘(ものわすれ)をこしてけれ。隔(へだて)の障子(しやうじ)の懸金を懸(か)けで来にける。行きて彼(か)れ懸けて来(こ)」と云へば、平中(へいぢゆう)現(げ)にもと思ひて、「然(さ)は疾(と)く御(おは)しませ」と云へば、女起きて、上に着たる衣(きぬ)を脱ぎ置きて、単衣(ひとへ)・袴許(はかまばかり)を着て行きぬ。 其の後、平中、装束(しやうぞく)を解きて待ち臥(ふ)したるに、障子(しやうじ)の懸金(かけがね)懸くる音は聞えつるに、「今は来む」と思ふに、足音の奥様(おくざま)に聞えて、来たる音は為(せ)で、良(やや)久しく成りぬれば、恠(あや)しさに起きて、其の障子の許(もと)に行きて捜(さぐ)れば、障子の懸金は有り。
引けば彼方(かなた)より懸けて入りにけるなりけり。
然れば平中、云はむ方(かた)無く妬(ねた)く思ひて、立ち踊り泣きぬべし。
物も思(おぼ)えで障子に副(そ)ひ立てるに、何と無く涙泛(こぼ)るる事雨に劣らず。
「此(か)く許(ばかり)入れて謀(はか)る事は奇異(あさま)しく妬き事なり、此く知りたらましかば、副(そ)ひて行きてこそ懸けさすべかりけれ、『我が心を見む』と思ひて此くはしつるなりけり。何(いか)に白墓無(しれはかな)き者と思ふとすらむ」と思ふに、会はぬよりも妬く悔しき事云はむ方(かた)無し。
然れば、「夜明くとも此くて局(つぼね)に臥したらむ。然(さ)有りけりとも人知れかし」と強(あなが)ちに思へども、夜明方に成りぬれば、皆人驚(おどろ)く音すれば、「隠れで出でても何にぞや」思へて、明けぬ前(さき)に急ぎ出でぬ。 然て、其の後よりは、「何(いか)で此の人の心疎(うと)からむ事を聞きて思ひ疎みなばや」と思へども、露然様(つゆさやう)の事も聞えねば、艶(えもいは)ず思ひ焦(こが)れて過ぐす程に、思ふ様、「此の人此く微妙(めでた)く可咲(をか)しくとも、筥(はこ)に為入(しい)れらむ物は我ら等(ら)と同じ様にこそ有らめ、其れを搔(か)き涼(さが)しなどして見てば、思ひ疎まれなむ」と思ひ得て、「□の筥洗ひに行かむを伺(うかが)ひ、筥を奪ひ取りて見てしがな」と思ひて、然(さ)る気(け)無しにて、局の辺(ほとり)に伺ふ程に、年十七八許の姿・様体(やうだい)可咲しくて、髪は衵長(あこめたけ)二三寸許足らぬ、瞿麦重(なでしこがさな)の薄物の衵、濃(こ)き袴四度解無気(しどけなげ)に引き上げて、香染(かうぞめ)の薄物に筥を裹(つつ)みて、赤き色紙に絵書きたる扇を差し隠(かく)して、局より出でて行くぞ、極じく喜(うれ)しく思えて、見継ぎ見継ぎに行きつつ、人も見えぬ所にて走り寄りて筥を奪ひつ。
女(め)の童(わらは)、泣く泣く惜しめども、情無く引き奪ひて走り去りて、人も無き屋(や)の内に入りて内差しつれば、女(め)の童(わらは)は外に立ちて泣き立てり。 平中(へいぢゆう)其の筥(はこ)を見れば、琴漆(きんうるし)を塗りたり。
裹筥(つつみはこ)の体(てい)を見るに、開(あ)けむ事も糸糸惜(いといとを)しく思(おぼ)えて、内は知らず、先ず裹筥の体の人のにも似ねば、開けて見疎(みうと)まむ事も糸惜しくて、暫(しばら)く開けで守り居たれども、「然(さ)りとて有らむやは」と思ひて、恐(お)づ恐(お)づ筥の蓋(ふた)を開けたれば、丁子(ちやうじ)の香(か)極(いみ)じく早う聞(か)がえ、心も得ず恠(あや)しく思ひて、□筥の内を臨(のぞ)けば、薄香(うすかう)の色したる水半許(なからばかり)入りたり。
亦(また)大指の大きさ許なる物の黄黒ばみたるが、長さ二三寸許にて、三切許打丸(うちまろ)かれて入りたり。
「思ふに、然にこそは有らめ」と思ひて見るに、香の艶(えもいは)ず馥(かうば)しければ、木の端に有るを取りて、中を突き差して鼻に宛(あ)てて聞(か)げば、艶ず馥しき黒方(くろばう)の香にて有り。平定文、本院の侍従に仮借する語(こと)、第一
今は昔、兵衛佐平定文(ひやうゑすけたひらのさだふみ)と云ふ人有けり。
字(あざな)をば平中(へいぢゆう)となむ云ひける。
品(しな)も賤(いや)しからず、形・有様も美(うるは)しけり。
気(け)はひなにとも物云(ものいひ)も可咲(をか)しかりければ、其の比(ころ)、此の平中に勝(すぐ)れたる者世に無かりけり。
此(か)かる者なれば、人の妻(め)・娘、何(いか)に況(いはむ)や宮仕人(みやづかへびと)は此の平中に物云はれぬは無くぞ有りける。
(『新潮古典集成 今昔物語集 本朝世俗部四』阪倉篤義他校注 昭和59年) 而(しか)る間(あひだ)、其の時に本院の大臣(おとど)と申す人御(おは)しけり。
其の家に侍従君(じじゆうのきみ)と云ふ若き女房有りけり。
形・有様微妙(めでた)くて、心ばへ可咲しき宮仕人にてなむ有りける。
平中、彼の本院の大臣の御許(おんもと)に常に行き通ひければ、此の侍従が微妙き有様を聞きて、年来艶(としごろえもいは)ず身に替へて仮借(かさう)しけるを、侍従、消息(せうそく)の返事をだに為(せ)ざりければ、平中嘆き侘(わ)びて、消息(せうそく)を書きて遣(や)りたりけるに、「只(ただ)『見つ』と許(ばかり)の二文字をだに見せ給へ」と、絡(く)り返(かへ)し泣く泣くと云ふ許に書きて遣りたりける使の、返事(かへりごと)を持ちて返(かへ)り来たりければ、平中(へいぢゆう)物に当りて出で会ひて
其の返事を急ぎ取りて見ければ、我が消息に、「『見つ』と云ふ二文字をだに見せ給へ」と書きて遣りたりつる、其の「見つ」と云ふ二文字を破りて、薄様(うすやう)に押し付けて遣(おこ)せたるなりけり。 平中此れを見るに、弥(いよい)よ妬(ねた)く侘(わび)しき事限無(かぎりな)し。
此れは二月の晦(つごもり)の事なりければ「然(さ)はれ、此(か)くて止(や)みなむ、心尽しに無益(むやく)なり」と思ひ取りて、其の後(のち)、音(おと)も為(せ)で過ぐしけるに、五月の二十日余(あまり)の程に成りて、雨隟無(ひまな)く降りて極(いみ)じく暗かりける夜、平中、「然りとも今夜(こよひ)行きたらむには、極じき鬼の心持ちたる者なりとも、哀(あは)れと思(おぼ)しなむかし」と思ひて、夜深更(ふ)けて、雨、音止まず降りて、目指(めざ)すとも知らず暗きに、内より、破無(わりな)くして本院に行きて、局(つぼね)に前々(さきざき)云ひ継(つ)ぐ女(め)の童(わらは)を呼びて、「思ひ侘(わ)びて此くなむ参りたる」と云はせたりければ、童即(わらはすなは)ち返り来て云はく、「只今は御前(おんまへ)に人も未(いま)だ寝(い)ねねば否下(えお)りず。今暫(しば)し待ち給へ。忍びて自(みづか)ら聞えむ」と云ひ出したれば、平中此れを聞くに胸騒ぎて、「然ればこそ、此(か)かる夜来たらむ人を哀(あは)れと思はざらむや。賢(かしこ)く来にけり」と思ひて、暗き戸の迫(はさま)に搔副(かきそ)ひて待ち立てる程、多く年を過ぐす心地なるべし。 一時(ひととき)許(ばかり)有りて、皆人寝ぬる音為(おとす)る程に、内より人の音して、来たりて、遣戸(やりど)の懸金(かけがね)を竊(ひそ)かに放つ。
平中喜(うれ)しさに寄りて遣戸を引けば、安らかに開(あ)きぬ。
夢の様に思ひて、「此は何(いか)にしつる事ぞ」と思ふに、喜しきにも見篩(ふる)ふ物なりけり。
然れども思ひ静め、和(やは)ら内へ入れば、虚薫(そらだき)の香(か)局(つぼね)に満ちたり。
平中歩(あゆ)び寄りて、臥所(ふしど)と思(おぼ)しき所を捜(さぐ)れば、頭様細やかにて、髪を捜れば凍(こほり)を延(の)べたる様に氷(ひや)やかにて当る。
平中喜しさに物も思えねば、篩はれて云ひ出でむ事も思えぬに、女の云ふ様(やう)、「極じき物忘(ものわすれ)をこしてけれ。隔(へだて)の障子(しやうじ)の懸金を懸(か)けで来にける。行きて彼(か)れ懸けて来(こ)」と云へば、平中(へいぢゆう)現(げ)にもと思ひて、「然(さ)は疾(と)く御(おは)しませ」と云へば、女起きて、上に着たる衣(きぬ)を脱ぎ置きて、単衣(ひとへ)・袴許(はかまばかり)を着て行きぬ。 其の後、平中、装束(しやうぞく)を解きて待ち臥(ふ)したるに、障子(しやうじ)の懸金(かけがね)懸くる音は聞えつるに、「今は来む」と思ふに、足音の奥様(おくざま)に聞えて、来たる音は為(せ)で、良(やや)久しく成りぬれば、恠(あや)しさに起きて、其の障子の許(もと)に行きて捜(さぐ)れば、障子の懸金は有り。
引けば彼方(かなた)より懸けて入りにけるなりけり。
然れば平中、云はむ方(かた)無く妬(ねた)く思ひて、立ち踊り泣きぬべし。
物も思(おぼ)えで障子に副(そ)ひ立てるに、何と無く涙泛(こぼ)るる事雨に劣らず。
「此(か)く許(ばかり)入れて謀(はか)る事は奇異(あさま)しく妬き事なり、此く知りたらましかば、副(そ)ひて行きてこそ懸けさすべかりけれ、『我が心を見む』と思ひて此くはしつるなりけり。何(いか)に白墓無(しれはかな)き者と思ふとすらむ」と思ふに、会はぬよりも妬く悔しき事云はむ方(かた)無し。
然れば、「夜明くとも此くて局(つぼね)に臥したらむ。然(さ)有りけりとも人知れかし」と強(あなが)ちに思へども、夜明方に成りぬれば、皆人驚(おどろ)く音すれば、「隠れで出でても何にぞや」思へて、明けぬ前(さき)に急ぎ出でぬ。 然て、其の後よりは、「何(いか)で此の人の心疎(うと)からむ事を聞きて思ひ疎みなばや」と思へども、露然様(つゆさやう)の事も聞えねば、艶(えもいは)ず思ひ焦(こが)れて過ぐす程に、思ふ様、「此の人此く微妙(めでた)く可咲(をか)しくとも、筥(はこ)に為入(しい)れらむ物は我ら等(ら)と同じ様にこそ有らめ、其れを搔(か)き涼(さが)しなどして見てば、思ひ疎まれなむ」と思ひ得て、「□の筥洗ひに行かむを伺(うかが)ひ、筥を奪ひ取りて見てしがな」と思ひて、然(さ)る気(け)無しにて、局の辺(ほとり)に伺ふ程に、年十七八許の姿・様体(やうだい)可咲しくて、髪は衵長(あこめたけ)二三寸許足らぬ、瞿麦重(なでしこがさな)の薄物の衵、濃(こ)き袴四度解無気(しどけなげ)に引き上げて、香染(かうぞめ)の薄物に筥を裹(つつ)みて、赤き色紙に絵書きたる扇を差し隠(かく)して、局より出でて行くぞ、極じく喜(うれ)しく思えて、見継ぎ見継ぎに行きつつ、人も見えぬ所にて走り寄りて筥を奪ひつ。
女(め)の童(わらは)、泣く泣く惜しめども、情無く引き奪ひて走り去りて、人も無き屋(や)の内に入りて内差しつれば、女(め)の童(わらは)は外に立ちて泣き立てり。 平中(へいぢゆう)其の筥(はこ)を見れば、琴漆(きんうるし)を塗りたり。
裹筥(つつみはこ)の体(てい)を見るに、開(あ)けむ事も糸糸惜(いといとを)しく思(おぼ)えて、内は知らず、先ず裹筥の体の人のにも似ねば、開けて見疎(みうと)まむ事も糸惜しくて、暫(しばら)く開けで守り居たれども、「然(さ)りとて有らむやは」と思ひて、恐(お)づ恐(お)づ筥の蓋(ふた)を開けたれば、丁子(ちやうじ)の香(か)極(いみ)じく早う聞(か)がえ、心も得ず恠(あや)しく思ひて、□筥の内を臨(のぞ)けば、薄香(うすかう)の色したる水半許(なからばかり)入りたり。
亦(また)大指の大きさ許なる物の黄黒ばみたるが、長さ二三寸許にて、三切許打丸(うちまろ)かれて入りたり。
惣(すべ)て心も及ばず、「此れは世の人には非(あら)ぬ者なりけり」と思ひて、此れを見るに付けても、「何(いか)で此の人に馴れ睦(むつ)びむ」と思ふ心、狂ふ様(やう)に付きぬ。
筥を引き寄せて少し引き飲めるに、丁子の香に染(し)み返(かへ)りたり。
亦此の木に差して取り上げたる物を、崎(さき)を嘗(な)めつれば、苦(にが)くて甘し。
馥しき事限無し。 平中心迅(と)き者にて、此れを心得(う)る様(やう)、「尿(ゆばり)とて入れたる物は、丁子を煮て其の汁を入れたるなりけり。今一つの物は野老(ところ)・合はせ薫(たきもの)を虆(あまづら)にひちくりて、大きなる筆欛(ふでつか)に入れて、其れより出だせたるなりけり」。
此れを思ふに、此(こ)は誰(た)れも為(す)者は有りなむ、但し此れを涼(さが)して見む物ぞと云ふ心は何(いか)でか仕(つか)はむ。
然れば、「様々に極(きは)めたりける者の心ばせかな。此(こ)この人には非(あら)ざりけり、何でか此の人に会はでは止みなむ」と思ひ迷(まど)ひける程に、平中病み付きにけり。
然て悩みける程に死にけり。
極めて益(やく)無き事なりけり。
男も女も何に罪深かりけむ。
然れば、「女には強(あなが)ちに心を染(そ)むまじきなり」とぞ、世の人謗(そし)りけるとなむ、語り伝へたるとや。
(『新潮古典集成 今昔物語集 本朝世俗部四』阪倉篤義他校注 昭和59年)
なお、「虆(あまづら)」は、該当する文字を見つけることができなかったので『今昔物語集 本朝部(下)』(岩波文庫)を参照しました。 今朝の父の一枚です(^^)/
田んぼの古代米(赤米かな?)
「古代米とはどんなお米なのか、また、……。」(こどもそうだん 農林水産省)
秋の田 田の色・秋田・色づく田
稲が成熟して色づいた田を言う。
「田の色」と言っても同様である。
「秋の田の穂(ほ)の上(へ)に霧(き)らふ朝霞いづへの方に我が恋ひやまむ」磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)(『万葉集』巻二相聞)、「ひとりしてものをおもへば秋の田の稲葉のそよといふ人のなき」躬恒(みつね)(『古今集』巻十二恋二)、「秋の田のかりほの庵の苫(とま)をあらみわがころもでは露にぬれつつ」天智天皇(『後撰集』巻六秋中)など、古くから詠まれ、『古今六帖』第二にも「秋の田」は題として挙げられている。
『連珠合璧集(れんじゆがつぺきしふ)』以下の連俳集にも題として掲出。
…後略…
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
父が新聞記事をみて、ため息をつき、残念がっていました。
〝「芭蕉布」の復興に取り組む 人間国宝の平良敏子さん死去〟(沖縄NHK 9月15日)